00部屋その五

□嘘と愛
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「ニールが死んだ」




 刹那からのその報せを、俺は信じられない思いで聞いた。
「死んだ、って……失敗したのか?」
 スケジュールを浮かべてみるが、兄さんに仕事があったのか、よくは思い出せなかった。混乱している。兄さんが死ぬはずなんてない。頭ががんがんする。現実味がなく、これが夢なんじゃないかとすら思った。それほどに、あの人が死ぬなんて、考えられない。
 受話器の向こうの刹那が、言葉を選んで言う。
「テレビは見たか」
「……テレビ?」
 平静さを装った声が、小刻みに震えているのが分かった。まさか、という考えが浮かび、消える。消えたんじゃない、消したんだ。
「テロだ」
「嘘だろ……!」
 テロ。俺たちの両親と妹を奪っていったもの。過去だったものが一気にリアルになって、意識に押し寄せた。頭が重い。
「ライル、」
「兄さんは、何処に運ばれたんだ?」
 何処にいるんだ?
 ブラックアウトを防ぐために呟くと同時、あぁ、俺は泣けないんだな、と気が付いた。
 刹那は静かに泣いていた。











 兄さんに恋人がいたと知ったのは、テロから五日後のことだった。
 テロに巻き込まれたとき、兄さんと一緒に居た人物。相手が男だと知ったときには驚いた。しかし、スメラギさんが言うんだ、間違いなはずもなかった。
「……本当なのか?」
「嘘は言わないわ。彼の戸籍を調べてみて分かったんだけど、同居もしていたみたい」
「死んだ相手に言うのもあれなんだけど、その……兄さんは、ゲイだったんだな」
「そうね。本当に知らなかったの?」
「あぁ」
 兄さんのことは、あまりよく知らなかった。
 両親を失う少し前から、俺は全寮制の学校に通っていた。俺たちが再会したのはテロの直後、一緒の仕事を始めたのもつい最近のこと。バラバラに暮らしていて、顔を合わせるのは仕事の時ぐらいしかないような関係だった。
 俺が避けていたのだ。兄さんのことを。
 だから、恋人はいるだろうとは考えていたが、それが男だなんてこれっぽっちも知らなかった。いや、知らなくて良かったのかもしれない。もし生きている間に知ってしまっていたら、俺はもっと兄さんと距離を置いただろうから。
 黙りこむ俺に、悪いことを言ったと思ったのか、スメラギさんは、少し気を遣うように言った。
「ねぇライル、彼――ニールの恋人に、会ってみない?」
「……俺が?」
 思いもしなかった言葉に訊き返すと、彼女は首を縦に振る。
「えぇ、貴方が」
「でも、何処にいるのかも分からないだろ?」
「いえ、それは分かるの。命は何とか助かったけど後遺症があるとかで、今は病院にいるらしいわ。元は軍人だったらしいけど、どうやら復帰は無理みたい。彼の友人の、私の昔の知り合いから聞いたわ」
「それで、どうして俺が?」
「彼ね、脳に障害が残っているらしいの」
 脳に、障害?
 訊き返すことも忘れて、息を止める。空気がとても静かだ。
「恋人が自分の目の間で死んだのだから、無理はないわ。ニールは、彼を守って死んだのよ」
「兄さんが、」
「でもその彼は、覚えていない」
「覚えていないって、まさか、」





「自分の恋人が自分を守って死んだことを、まったく、欠片も覚えていないそうよ」





 なんて話だ。
 スメラギさんの声は震えている。爪が手の平に食い込んで、血の気がない。長い睫毛は伏せられている。
 痛々しい、どころか、苦しくて悲しい、滑稽なほどの話だ。
「刹那が面会に行って来たんだけど、本当に、何も……。見ていて痛々しかったって言ってたわ。刹那がニールの知り合いだと言ったら、不安そうに、縋るように尋ねたそうよ」








『ニールは何処にいるんだ?』











 彼が退院した翌日、俺は彼の家へと向かった。言うことなんてない、特に理由もありはしない。だけど、兄さんがそこまでした相手に、会ってみたいと思った。
 見舞いも何も手にせずに、電車を乗ってその家へ。アレルヤが一緒に来ることを申し出たが、何となく一人で行きたくて断った。
 辿り着いたマンションの一室。真白い建物、同色のドア。通路に面した部屋のカーテンはクリーム色で、今は存在しない幸せを象徴しているようだ。
 この部屋の中にはきっと、愛があったんだろう。人を愛すことから逃げていた兄さんが、その恋人ともに育んだ愛が。
 インターホンを鳴らす。ピンポーン。ありふれた音がする。
 インターホンには誰も出ない。代わりに、とたとたと騒々しい音がした。
「はい」
 はやる気持ちのような、心臓が鳴るような足音。五秒も経たずにドアが開く。
 そんなにもずっと、ずっと待っていたのか。本当に俺が来てよかったんだろうか。思わず顔を伏せていると、兄さんの恋人が顔を出した。
 金の髪に碧眼、まるでカトリックの天使のような美貌を持っているが、疲労のせいか少しくすんで見える。それでも人を惹きつけてやまない、魅力的な顔。
 その目が俺の顔を認めた瞬間、長い睫毛がぐらりと揺れた。その手が俺に触れようとして、戸惑うように止まる。
 音がした。涙がコンクリートに落ちた音が。







「ニール、」








 縋るように、泣きだしそうに呼ばれた名前に、違う、なんて言えなかった。
 気がつけば、答えていたのだ。













「ただいま、グラハム」














   
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