00部屋その四

□さよならとあいしてるの間
1ページ/1ページ




「京平」
 千景のくちびるが、啄ばむように俺のくちびるに触れる。
 心地良い、甘くて優しい口付け。
 女にするのとまるっきり同じなその優しさが心地悪くて、俺は少し身を捩る。
「逃げんなよ」
「……逃げてなんかいねえよ」
「逃げてんじゃん」
 可愛い京平、と耳元で囁く声。やめてくれ。そんなに優しく触れないでくれ。逃げられなくなってしまう。
 逃げる俺の頬を、千景の存外大きな掌が捕らえる。ソファの背に押し付けられているから、逃げることはできない。そのまま、剥き出しの額にくちびるが触れ、ぞくり、と体が震えた。
「……千景」
「すきだ、京平」
 低い声で囁く千景の顔は、こんなときだけ大人びている。馬鹿、餓鬼のくせに。そう言いたかったけど、声には出さなかった。今口を開いたら、とんでもないことを言ってしまいそうだ。
 くちびるは眉間に触れ、鼻筋を伝い、やがてまたくちびるへと辿り着く。頬を包んでいた手は、いつの間にか背に回っていた。完全にホールドされる形になってしまい、俺は内心ため息をつく。
 俺をすきだと千景は言う。どうしようもないほどにあいしているのだと。だが、これは本当に恋愛感情なのだろうか?
 必要以上の触れ合いを求める千景。俺に触れていないと安心できないのだと笑う。すきだと囁く。まるで、それしか知らないかのように。
 お前は本当に俺のことがすきなのか?
 そして、このままでいいのか?
「……千景、離せ」
「なんで。今日は気分が乗らないのか?」
「違う。これじゃ駄目だ」
「何が駄目なんだよ。俺は京平に触れたい。キスしたい。だから間違っちゃいないだろ?」
 違う、間違ってる。このままじゃ駄目なんだ。
 俺とお前は一緒にいては駄目だ。
 このままじゃあ、俺もお前も駄目になる。
「なあ、京平」
 八重歯が首に突き刺さる。まるで俺を縛り付けるかのように。
「やめろ、千景」
 一度離れた口から舌が伸び、傷口を舐める。血は染み出していないだろう。けれど、じくじくと染みる。
 首を捻っても、避けることはできなかった。
 まるで毒が染み込むかのように、丹念に丹念に、舌が傷口をなぞる。傷口が熱を持ち、痛い。けれど、
(甘い)
 さよなら千景、もう会えない。
 そう告げればいい。そう言えば、千景ももうここには来ないだろう。
 今日こそ言おうと決心するのに、俺に甘えて甘やかそうとする千景の様子を見ていると、それは喉で棘のように刺さったまま出てこないのだ。
「あいしてる」
 お前が、こんなにも幸せそうな顔でそう言うから。
 さよならとあいしてるの間で、毒に囚われた俺は惑い続けてしまうんだ。





(門田受け企画「I sing for you」様へ提出/溺れそうな甘さ)

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ