00部屋その四
□さよならとあいしてるの間
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「京平」
千景のくちびるが、啄ばむように俺のくちびるに触れる。
心地良い、甘くて優しい口付け。
女にするのとまるっきり同じなその優しさが心地悪くて、俺は少し身を捩る。
「逃げんなよ」
「……逃げてなんかいねえよ」
「逃げてんじゃん」
可愛い京平、と耳元で囁く声。やめてくれ。そんなに優しく触れないでくれ。逃げられなくなってしまう。
逃げる俺の頬を、千景の存外大きな掌が捕らえる。ソファの背に押し付けられているから、逃げることはできない。そのまま、剥き出しの額にくちびるが触れ、ぞくり、と体が震えた。
「……千景」
「すきだ、京平」
低い声で囁く千景の顔は、こんなときだけ大人びている。馬鹿、餓鬼のくせに。そう言いたかったけど、声には出さなかった。今口を開いたら、とんでもないことを言ってしまいそうだ。
くちびるは眉間に触れ、鼻筋を伝い、やがてまたくちびるへと辿り着く。頬を包んでいた手は、いつの間にか背に回っていた。完全にホールドされる形になってしまい、俺は内心ため息をつく。
俺をすきだと千景は言う。どうしようもないほどにあいしているのだと。だが、これは本当に恋愛感情なのだろうか?
必要以上の触れ合いを求める千景。俺に触れていないと安心できないのだと笑う。すきだと囁く。まるで、それしか知らないかのように。
お前は本当に俺のことがすきなのか?
そして、このままでいいのか?
「……千景、離せ」
「なんで。今日は気分が乗らないのか?」
「違う。これじゃ駄目だ」
「何が駄目なんだよ。俺は京平に触れたい。キスしたい。だから間違っちゃいないだろ?」
違う、間違ってる。このままじゃ駄目なんだ。
俺とお前は一緒にいては駄目だ。
このままじゃあ、俺もお前も駄目になる。
「なあ、京平」
八重歯が首に突き刺さる。まるで俺を縛り付けるかのように。
「やめろ、千景」
一度離れた口から舌が伸び、傷口を舐める。血は染み出していないだろう。けれど、じくじくと染みる。
首を捻っても、避けることはできなかった。
まるで毒が染み込むかのように、丹念に丹念に、舌が傷口をなぞる。傷口が熱を持ち、痛い。けれど、
(甘い)
さよなら千景、もう会えない。
そう告げればいい。そう言えば、千景ももうここには来ないだろう。
今日こそ言おうと決心するのに、俺に甘えて甘やかそうとする千景の様子を見ていると、それは喉で棘のように刺さったまま出てこないのだ。
「あいしてる」
お前が、こんなにも幸せそうな顔でそう言うから。
さよならとあいしてるの間で、毒に囚われた俺は惑い続けてしまうんだ。
(門田受け企画「I sing for you」様へ提出/溺れそうな甘さ)