00部屋その壱

□甘楽ちゃんシリーズ
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 彼女――折原甘楽は、久々のオフに浮かれていた。
 オフといっても、情報屋という職業を考慮すれば、それは休日ではない。情報は鮮度が命であり、そういう意味では、彼女は今日も仕事中である。手には携帯電話を持ち、方々の協力者からの情報を絶えず受け取ることのできる状態にいる。
 しかし、今日の彼女には商談も取引も何もない。このところはまだ事件の火種を仕込んでいる状態で、彼女自身が特に関わることだってない。
 その点において、彼女はフリーだった。
「うふふ、暇も良いものですよね!」
 目立つ姿でスキップしながら、何をしようか考える甘楽。
 折角の休日なのだから、静雄に会うことは避けたい。やはり人間観察だろうか。池袋を外すとなると、ここはやはり――。
 うきうきとした彼女の思考は、自分の名を呼ぶ声によって中断された。
「……甘楽さん?」
 聴き覚えのある声に振り向くと、そこには少し意外な人物が立っていた。
「――幽君?」
 羽島幽平――平和島幽である。
 まさか平日の昼間っから出歩いているとは思っていなかった、そしてもし出歩いていても自分には声を掛けてこないだろうと思っていた人物に、甘楽は目を丸くする。
「えっと、幽君は今日は……」
「オフです」
 相変わらずの無表情で「お久し振りです、甘楽さん」と丁寧に頭を下げる幽。
目立たない服装にウィッグ、眼鏡と変装じみた格好をしていて、パッと見たところ彼だとは分からない。この程度の変装でもそう思わせるところにこそ、彼の役者としての才能があるのだろう。雰囲気が違うのだ。
 そんなことを思いながら、甘楽は急いで人目に付かない場所に入った。
「久し振りですねー」
 いくら変装しているとはいえ、ファンが見れば羽島幽平だと分かるはずだ。職業柄、甘楽もあまり目立つわけにはいかない。幽と並んで歩けば週刊誌のネタになるであろう顔を自分がしていることも、彼女はよく知っていた。
「甘楽さんもオフですか?」
「ええ、まあ、そういうところです」
「そうなんですか」
「あ、じゃあ私はこれで。オフ楽しんでくださいね!」
 ここも誰が見ているかは分からない。早めに退散しようと甘楽は手を振るが、幽がそれを許しはしなかった。
「甘楽さん」
 兄には負けるが平均の男性よりは強い握力(さすがスタントなしでアクション映画に出演するだけある)でコートの袖を掴まれた甘楽は、足を止めて振り向く。
「もう、なんですか!」
「オフなら、甘楽さんは暇ですよね?」
 じゃあ、と彼が提案したのは、彼女が予想もしなかった内容だった。
「買い物、付き合ってもらえませんか?」



 二時間後。
 断ることもできず、甘楽は幽とショッピングをしていた。
「着替え終わりましたよー、開けますねっ」
 はしゃいだふりをしてはいるものの、兄とは違った意味で、甘楽は幽のことが苦手である。
 何を考えているか分からない、というのが最大の原因だ。恋人である聖辺ルリを使えば彼を動かすことは可能だろうが、それとはまた意味が違う。気付けばペースに乗せられている、そういったところが苦手なのだ。
 別に、静雄の弟だからといって、嫌いなわけではない。むしろ好きだ。人間なのだから。
 しかし――しかし、兄を何度も危険な目に遭わせている自分に何故相手が普通に接してくるのか、それが彼女には分からなかった。
「似合いますね」
 無表情で褒められ、反応に困る甘楽。
 しかも、普通に接してくるどころか、何故か一緒に買い物している。その内容も何だかおかしいように彼女には思える。
 「一人で買い物するのは難だから」や「服を選んでほしいから」なら分かる。しかし、幽はさっきから一度も自分の服を買おうとしていない。すべて甘楽の服を見ているのだ。
 普通の20代が買うには少し高級すぎるブランドショップから、手頃な値段のカジュアルな店まで。手持ちに余裕がある二人だから行くことのできる店を、さっきから何件も何件も回っている。
「そうですか? 悪い気はしないですけど……」
「そっちのワンピースとは、どっちの方が好きですか?」
「どっちの方が似合います?」
「どっちも似合うと思います」
「えーじゃあ、こっちの方が好きですよ?」
「じゃあ、それで」
「え?」
 またか、と顔を引き攣らせる甘楽。幽は構わず店員を呼ぶ。
「すみません、着替え終わったらこれと、あとそこの帽子を……」
 これが一番甘楽には分からない。
 二人は、ただ二時間も店を回っているだけではない。回る店回る店で、幽は何故か服を買っているのだ。
「……幽君?」
 それが恋人のためではない、明らかに甘楽の服として買っている、ということは、誰の目にも明らかだった。
「どうしましたか?」
 やはり無表情で言われ、甘楽は口を噤む。
 幽の足元には、既に四つほどの紙袋が存在している。赤いチェックに髑髏のスカート、カナリアイエローのワンピース、底がぺったんこの青いパンプス、左右で色の違うニーハイソックス――。一袋に一式、という形で四袋、系統も何もかも違う洋服たちが詰め込まれたものだ。
 一体何万円使っているのか。さすがに気になる甘楽だったが、当の幽が気にしていない以上は、聴く気にもならなかった。
 会計を手早く済ませた幽は、気付かれる前にと甘楽の手を引いて店を出る。そして、引っ張られるがままの甘楽を振り向いた。
「そろそろ昼食ですね。何かリクエストはありますか?」
「えっと、じゃあ、服は買ってもらってばかりなので、私が会計を――」
「いえ、俺が付き合わせているんですから、俺が払います」
「……」
「あそこにでも入りましょうか」
 有無を言わさぬ彼の口ぶりに、甘楽は呆然と思った。
 こんな子だったっけ、と。



 二人は結局、昼食後も三時間ほど歩きまわっていた。会計は勿論、全額幽持ちである。
「気を遣ってくれるのは嬉しいですけど、私の方が年上ですし……幽君には負けるかもしれないけどお金だってあるから、私が払いますよ?」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫ですって……」
 今は二人ともアイスクリームを買い、ベンチで一休みしているところ。
 隣でペパーミントチョコのアイスをかじる幽の横顔を、甘楽は黙って眺めていた。
 やはり、美形だ。変装していてもそれは変わらない。この無表情から、一体どうやってあの鮮やかな表情が創造されるのだろう。それは甘楽も気になるところである。というか、この物静かな弟が、あの兄と同じ血を引いているとは――。
 今の今まで忘れていた人物のことを思い出し、アイスのコーンを握る甘楽の手に思わず力が籠った。しかし、コーンが折れては大変だと、慌てて力を緩める。
 そんな彼女の様子に気付いたのか、幽は甘楽に視線を向け、深々と頭を下げた。
「今日は、ありがとうございます」
「いえ、私こそこんなに買ってもらっちゃって」
「付き合ってもらったので当然です」
 二人が座るベンチの上には、10ほどに増えた紙袋が置いてある。
 それを見ながら、甘楽は今日ずっと気になっていたことを彼に訊いた。
「どうして私に服を買ってくれたんですか?」
 動じることなく幽は答える。
「甘楽さんは、いつも服が黒いから」
「……え?」
「勿体ないと思ったので」
「勿体ないも何も、私も職業柄目立つわけにはいかないですし、この服たち、多分タンスのこやしですよ?」
「時々思い出して着てもらえれば」
「……それで良いんですか?」
「はい」
 もぐもぐと口を動かす幽に、甘楽は動揺しつつ言葉を重ねる。
「でも、シズちゃんが私のことを大嫌いなことくらい、幽君も知ってますよね? このことをシズちゃんが知ったら――」
「これは俺の判断だから、兄貴は関係ありません」
「……幽君はもっとお兄ちゃんっ子だと思ってましたよ?」
「だから、買おうと思ったんです」
 眼鏡越しに、二人の視線が交わる。何となく甘楽が視線を外すと、それを見計らったかのように幽は続けた。
「兄貴と普通に接してくれる女性は、甘楽さんくらいです。甘楽さんだけは、兄貴を怖がらずに接してくれる」
「でも、」
「兄貴は昔、自分の力である女性を傷付けてしまったことがあるんです。それからは、女性と関わることを避けていました。でも、甘楽さんには、傷付けてしまうことを怖がらずに関わっている」
「それは、私が女扱いされてないからで――」
「素直じゃないだけで、兄貴も本当は感謝してると思うんです」
 だから、と空を見上げた幽の顔は、彼の兄にそっくりに見えた。
「兄貴は素直じゃないから、俺がお礼をしようと思って」
 そのために、一体何枚万札を使ったのか。
 呆れたような感心したような気持になり、甘楽は噴き出していた。
「シズちゃんも相当ですけど、幽君もブラコンなんですねー」
 そして、食べ終わったアイスの紙を捨て、にっこりと微笑んで見せた。
「じゃあ、ちゃんと責任を持って家まで運んでくださいね?」



 それから数日後。
 道を歩いていると吹っ飛んできた標識に、甘楽はスカートをひらめかせて飛び退いた。
「かーんーーーらあああああああああ」
 叫びながら現れた静雄は、しかし、甘楽の姿を認めると同時に足を止める。
「……テメェ、その服どうした」
「その服って……シズちゃん、私を確認せずに投げたんですかあ? こわーい、他人だったらどうするんですか!」
「質問に答えろ、それ何だ」
 米神に青筋を立てた静雄の言葉に、くるりと一回転してポーズを決める甘楽。
 彼女の今日の服装は――所謂ゴスロリだった。
「えへ、似合うでしょー?」
 腿までの黒いふわりとしたワンピースに、左右で色の違うボーダーのニーハイソックス。そして膝までの黒いブーツと、いつもと同じ黒ずくめだが、いつもとは明らかに違う。スカート丈に至っては更に短くなり、最早動くと危険なレベルだ。
 見せびらかすようにしばらく様々なポーズを撮った甘楽は、ギャラリーが向ける無遠慮なカメラを気にもせず、呆気にとられる静雄に言った。
「これ、この前幽君が買ってくれたんですよ?」
「……幽が?」
「そう! 本当、兄には似ていない良い子で――」
 にこにことした甘楽の頬2cmの距離を、その場に落ちていたペットボトルが凶器と化して通り抜ける。
「テメェ……!」
 聴こえたのは、地を這うような唸り声だった。
「幽と何かあったらただじゃおかねぇぞ……!」
 怒気を隠しきれない静雄に、「もうっ、避けなきゃ当たってましたよっ」とわざとらしく憤慨して見せ、甘楽は途中で動きを止める。
「……あれ?」
 そして、浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「『幽に何かしたら――』じゃないんですか?」
「……え?」
 問われて初めて自分の言葉を反芻した静雄が、自分の発言に気付いて動きを止める。
「何かそれじゃ、シズちゃんが幽君にやきもち焼いてるみたいですけど……」
「黙れぇえええええええ!!!!!」
 煙草を口から落とした静雄が、甘楽の脇を走り抜けて行く。
「……シズちゃん?」
 その顔が赤いことに気付いたのはごく一部で。
 残念ながら、その一部に甘楽は含まれていなかったのだった。


「んなわけがあるか……! 俺は、ノミ蟲が幽に近付いたのに腹が立っただけで……!」







はい、甘楽ちゃんシリーズその4でした!
幽と甘楽ちゃんの組み合わせは可愛いだろうなあという沸いた頭が生み出したものです。多分幽甘ではない……と。
やきもち焼くシズちゃんって可愛いよね! 幽はそこまでお見通しだったら可愛いよね! という話です。
うちの静甘は既に本人以外の全員公認カップル^q^
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