00部屋その壱

□甘楽ちゃんシリーズ
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「あ、甘楽さんだ」

 友人とともに池袋の街を歩いていた帝人は、人込みの中で偶然目にした人物の名を口にした。

「え?」
「ほら、あそこ」

 帝人の視線の先には、彼とは五歳以上歳の離れた女の姿。全身の黒を違和感なく見に纏った彼女は、明らかに他の人間から浮いていた。
 その姿を認めた正臣が、帝人の腕を引く。

「行くぞ」
「……挨拶なし?」
「今声掛けたら巻き込まれる」
「巻き込まれ……?」

 友人の不可解な言葉に首を傾げる帝人。しかし、次の瞬間には、彼の言葉を理解した。



「かーんーらー」



 地を這うように不機嫌な声。
 怒りと殺意を存分に含んだ声に、甘楽が整った眉を寄せる。

「げっ、シズちゃん」

 現れたのは、池袋の喧嘩人形――静雄だった。
 帝人とほぼ同時に彼の姿に気付いた甘楽は、一瞬顔を歪めた後、いつも通りの笑顔で口を開く。

「私に何か用ですかぁ? 今用事があるんで、どうでも良い用事だったら後にしてくださいよ!」
「何しに池袋に来た? 甘楽」
「別にシズちゃんには関係ないじゃないですかぁ。お仕事ですよ、し・ご・と」

 互いを名前で呼び合う二人は、何も知らない人間が見れば恋人同士にも見えたかもしれない。しかし、実際のところは違うのだ。
 文字通り、犬猿の仲。
 池袋で一番危険な本気の喧嘩を繰り広げる二人は、池袋に詳しい人間に知らない者がいないほどの有名人である。
 今日もいつものようにすぐ隣にあったゴミ箱を持ち上げた静雄に、甘楽もコートの胸元からナイフを取り出す。

「今すぐ地獄に送ってやる」
「キャー、シズちゃんったらこわーい」
「殺すぞ」
「そう言ってて、今まで殺せたことないですよね?」

 まさに売り言葉に買い言葉。あえて静雄を挑発する言葉を並べる甘楽に、静雄の怒りが沸点を過ぎる。
 ブチ、と血管が切れる音がすると同時、甘楽が静雄に背を向けて走り出した。

「正面切って相手するほど、私も馬鹿じゃないですけどね」
「オイ甘楽、待ちやがれ!」
「待ちませんよー、馬鹿シズちゃん」

 呆然と見る帝人と正臣の横を、軽い足取りで、しかし本気で走り過ぎて行く甘楽。途中にひらりと手を振られて、帝人は思わず「あ、どうも」と挨拶する。

「巻き込まれたくなかったら、帝人くんも逃げた方が良いですよー」
「え、ああ、はい……」
「それじゃ」

 その後ろを、血管を浮き上がらせながら全速力で駆け抜けていく静雄。捕まらないようにと路地裏のゴミ箱を足場にしてマンションの二階通路へと逃げて行く甘楽は、微笑みにも近いものを浮かべている。
 二人の姿が見えなくなり、呆然としていた通行人たちがまた元のように歩きだしたところで、帝人は正臣に言った。

「……ねえ、紀田君」
「何だ? 帝人」
「あの二人って、本当に鈍いよね」
「帝人もそう思うか?」
「流石にこれだけ遭遇してたらね……」
「帝人が気付くなんて、相当だよな……」
「紀田君、今さり気なく失礼なこと言わなかった?」
「そうか?」

 視線を逸らしながらあからさまに誤魔化した正臣が、「じゃ、行くか」と何事もなかったかのように歩き出す。
 その後を追って歩き出そうとした帝人は、ふと思い付いて唇を緩めた。
 ツインテールを揺らして駆ける甘楽と、その後を殺意とともに追いかける静雄。
 たとえ静雄が甘楽に追い付くことがあっても、二人が自分の気持ちに追いつくことは――気がつくことは、ずっとないのではないだろうか。

「良い歳して、二人とも鈍いなあ」





 未だ歪んだ青春の延長線上にいる二人の存在とは裏腹に、池袋の空は、青い。











甘楽である必要性は何処でしょう。
二人が誰がどう見てもな関係であるということを書けるという点でしょうか。
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