00部屋その壱

□名を知らぬ
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 この感情の名前も正体も知らない。今までに体験したことがないものなのだ。
 それは、王進様に対する想いに少し似ている。
 ただ、それよりももっと緩やかで柔らかくて、同時に苦しいものだ。胸の奥で燻って、呼吸を邪魔しようと表面に表れてくる。
 この感情を何と呼ぶのだろうか。
 それを私は、知らない。





「どうしましたか、林冲殿」
「いえ……」

 少しぼうとしていた。ハッとして顔を上げた私の顔を、いつの間にとなりに来ていたのか、宋江殿が気遣わしげに覗き込んでいる。

「何でもありません」
「考え事でも?」
「……そういうところです」

 貴方のことを考えていました、とは言えなかった。失礼のように思えたからだ。
 この男が一体何者なのかを、私はよく知らない。
 ただ、義賊の首領にあたる人間なのだということは、会話の端々や他の人間の態度から分かっていた。しかし、それにしては、なんとも判断し難い。
 煙のようなのだ。
 飄々としていて、掴みどころがない。

「宋江殿は、何か私に用でも?」
「いえ、特にそういうわけではありませんよ」
「はあ……」
「ただ、することもないので、一緒にお茶でもどうかと思っただけです」

 言いながら立ち上がった彼は、慣れた手つきで茶の準備に取り掛かる。
 やはり義賊の首領らしくない彼の動作を、ぼんやりと、私は目で追っていた。

「林冲殿は」

 こちらに背を向けたままで、宋江殿が言う。

「私のことが、気になりますか」
 
 図星を刺され、冷や汗が流れ出しそうな気分になる。

「……どういう意味でしょうか」
「いえ、特にどうというわけでもありませんよ。ただ、貴方が時々私のことを見ているなと、思っただけで」

 気付かれていた。
 思えば迂闊だった。たとえ外見上はおっとりして見えていても、ここに集う者たちを束ねる立場にいるのだ。怪力であることすら忘れそうになる程だが、視線くらい気付かないはずがない。
 私らしくもない。

「……私は、」

 続ける言葉は思いつかなかった。
 なんとも言えない。何しろ、どうしてこの男のことが気になるのか、自分でも分からないのだ。
 ただ、もっと知りたいと、そう思う。
 言葉を探して困っていると、出来上がった茶を手にした宋江殿が、いつもどおりの笑顔でこちらへと戻ってきた。湯呑みを机に置いた彼は、また元のように私と向き合って座り、じっとこちらを見る。
 見透かされているかのような、そんな気分になった。

「林冲殿は、私のことが好きですか?」
「……はい?」

 にこにことした顔で唐突に訊かれ、どういう意味かと思わず訊き返す。
 すると、ずずっと茶を飲んでから、「いえ」と彼は口を開いた。

「好きでないのなら構いません。ただ、訊いてみただけです」
「好き、とは……」

 どういう意味なのだろうか。
 嫌いかと問われれば、違うと答えるだろう。確かに正体のわからない男だが、不思議と警戒心を抱かせない。どころか、一緒にいると安堵してしまう程だ。
 だが、果たしてそれを好きだと言えるのだろうか。
 王進様、そして王母様のことは、胸を張って好きだと言える。当たり前だ。二人には返しきれないほどの恩があるし、何より二人ともとても素晴らしい方たちなのだから。
 なのに、宋江殿のことは、分からない。
 ただ、変にわだかまって巧く表現できないものがあることは、確かだ。

「そう真剣に考えることはありませんよ」

 眉を寄せる私を見て、彼はフォローするかのような言葉を口にした。

「……正直なことを言ってしまえば、私の方が貴方を気にしているだけなのです」
「はあ」
「質問を変えましょう」

 威圧感を与えない、それなのに存在感のある目。
 こちらの目を一度捉えられては、逸らすことはできなかった。

「私のことが、嫌いですか」

 息が止まる。
 この男は義賊だ。嫌いだ、と答えておかなければ、後に面倒なことになるかもしれない。ずるずると仲間にされては堪らない。
 頭ではそう分かっていても、嫌いだと口にはできなかった。
 何故だか分からない。けれど、この男を否定してしまうことを、自分は酷く恐れている。嫌いだ、その人ことを口にしてしまうことが、酷く恐ろしいことのように思えた。

「……嫌いでは、ありません」

 正直にそう言えば、彼は満足げな表情をする。

「私は、林冲殿、貴方に私の仲間になってほしいと思っています」
「それとこれとは違います。私は仲間になどなりません」
「ええ、今の貴方はそう思っているでしょう。私も無理強いする気はありません。……でも、貴方に仲間になってほしいと、私は思っているのです」

 ゆったりとしているのに、間に言葉を挟むことを許さない口調。
 知らず知らずの間に圧倒されている自分に気付く。

「貴方が強いから。それだけではありません」
「……では、何故」

 やっとのことでそれだけを絞り出すと、一呼吸おいて、宋江殿は言った。



「私が貴方のことをもっと知りたいと思っているからです」



 どくん。心臓が一際大きく音を立てた。
 口の中がへばりついているのが分かる。

「宋江、殿……?」
「すみません、驚かせてしまいましたか? けれど、私は本当にそう思っていますよ」

 驚いた、どころの話ではなかった。
 私と同じことを相手が思っているだなんて、一体誰が考えようか。

「貴方は私を好きではないでしょうけれど、私はどうやら、貴方のことが好きなようです」
「……好き、ですか」
「ええ。もっと貴方のことを知りたい。貴方のことを考えるだけで、落ち着かない気分になる……これを恋と呼ぶのでしょう?」

 返す言葉がなかった。
 完全に動かなくなってしまっている私を見て、困ったように宋江殿は首を傾げる。しかし、今度は子供のような微笑みを見せると、ずいっと顔を近付けて言った。

「覚悟していてくださいね、林冲殿」

 吐息を感じられるほどの距離で、彼は私に告げる。

「私は結構、我儘なのですよ」

 その言葉は、どこか遠くで言われているかのように聴こえた。ぐらりぐらりと頭が揺れて、言葉の意味を正常には受け入れてくれない。
 目は、すぐ近くの宋江殿の顔に、釘付けになっている。

「欲しいものは、絶対に手に入れる主義ですから」

 それだけはっきりと言うと、またすぐに私から離れた宋江殿は、「では」と自分が飲んでいた茶を手に机から離れた。そして、そのまま歩き出すと、すぐに私の視界から消えていく。
 なのに、彼が見えなくなってしまってからも、私はそこから動けなかった。
 頭が麻痺してしまったのだろうか。指一本動かせない
 代わりに、一つの疑問だけが、頭の中に渦巻いていた。





 これは、恋、なのだろうか?





 誰かにそう訊いてみたいと思ったが、相手になりそうな人物は、王進様でさえもいなかった。
























――あとがき
初の宋林でした。
本当はもう、そのまま口付けくらいはという勢いで書き出したのですが、林冲を悩ませるのが楽しくて楽しくて(←)結局このようなものになってしまいました。
宋江様のマイペースは最強です。
悩みながらも彼に惹かれていく林冲、という構図はとっても素晴らしいと思います。宋江様のカリスマ性はすごいです。
とっくに宋江様に落とされてる林冲、すでに掌の上、ですけれど(笑)
書いていてとても楽しかったです。ずっと書きたかったのですが、思い切りが足りなくて……。
ぱとさま、きっかけを与えてくださってありがとうございました。
とても楽しく書かせていただきました。
キリ番を報告してくださる方が少ないサイトなので、リクエストを頂けるととてもうれしく、また、励みになります。
これからもどうぞよろしくお願いします。
67000HIT、本当にありがとうございました!

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