Gift
□おまじない
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だって、ねぇ、こんなことになると思わなかったんだ。
楸瑛は、見つめてくれる絳攸へ、曖昧な表情しかできなかった。
そしてそれは、泣きそうな表情によく似ていて。
『勝負あり、だな。だが腕を上げたじゃないか』
ーー…キィン
得物を跳ね飛ばした、景気のいい音がする。
その日、楸瑛は剣の稽古をつけていた。それもまた楸瑛の仕事のひとつで。
『ーーうわっ!!』
聞き慣れぬ驚いた声に、楸瑛は振り向いた。
声の先には、四阿に佇む絳攸がいて、その絳攸のすぐそばの柱に、楸瑛が跳ね飛ばした得物が見事に刺さっていて。
『絳攸!?どうしたんだいこんなところで…って、ははーん』
『う、うるさい!なんだその顔は!!』
『んーいやいや。さて、今日はどこへ行く予定なの?連れてってあげるよ』
『余計なお世話だ!大体貴様、いつもへらへらしてるから人様の方向へこんなものが飛んでくるんだ!!』
『それは…うん、ごめんね。怪我はなかったかい』
『遅い!!大体お前はいつもへらへら笑ってーー』
不意に、絳攸の声を遮って音がする。
ーー…バキッ
それはとても不吉な音だった。
今になれば、4本の柱と屋根でしかできていない四阿の、柱に刃物が刺さったのだから、どれだけ危うい状態だったかと推察できる。
今、思えば。
それとも絳攸の言う通り、いつもへらへら微笑っていい加減だったのが悪かったのだろうか。
『…っ、絳攸!!』
四阿に走ったけれど、間に合わなかった。
何のために体を鍛えていたのか。笑ってしまいそうだ。
崩れた四阿を、無我夢中になって掘り起こし、絳攸に息があったときには信じてもない神仏に感謝を捧げた。
ただ、崩れた四阿で絳攸が無事だったのは、たまたま彼がいた場所の位置と、柱に刺さった得物が支点になったからだったが。
もしも、一歩間違えれば。
楸瑛は全身から血が引くようだった。
「なんて顔してるんだ。ただの事故だろう」
絳攸は呆れた顔で楸瑛を眺めた。
命に別状はないとはいえ、左足と右腕が柱に挟まれたせいで、絳攸はこの半月療養していた。
否、呆れるというより、どうしてこんなにいらいらしているんだろう。
「…でも、私のせいだよ」
「空が青いのも海がしょっぱいのも自分のせいにする気か?そんな鬱々とした表情ばかりしてると毛根から腐るぞ」
「…そうかな」
絳攸は眉間にシワを寄せる。
なんでそこから!という反応や、逆に言い返してくれることを期待したのだが。
「…俺が復帰したら、仕事を手伝え。それで許してやる」
「でも…」
「でもももやしもないだろう!!半月前からウジウジしやがって…鬱陶しい!何か、お前は俺に怪我させたくてしたのか!?」
「私が?そんな訳ないだろう!!」
「だろうな!だったらそんなウジウジくよくよしてるんじゃない!!いつものへらへらしたお前はどこいったんだ!!」
だって、ねぇ、こんなことになると思わなかったんだ。
「無理だよ。笑えない…君を傷つけた」
楸瑛は、見つめてくれる絳攸へ、曖昧な表情しかできなかった。
そしてそれは、泣きそうな表情によく似ていて。
「…いらいらする…っ」
絳攸は、吐き捨てるように呟いた。
「公務をしていないと落ち着かなくていらいらするが、何よりお前がお前らしくないのがいらいらするんだ」
不意に、絳攸の腕が楸瑛に伸びる。
「笑えよ。微笑ってくれ。お前がへらへらしてないほうが、怪我より痛い」
ぐい、と引っ張られる。
理解する前に、息が止まる。
否や、吐息が交わる。
「…!」
「…ぷはっ…い、いいか、つけあがるなよ、これはお前がいつものように笑えるようにとのおまじないと、俺の苛つき防止のためであってだな…」
長いようで短い瞬きの間に、絳攸は真っ赤になっていた。
楸瑛は、顔をくしゃくしゃにした。
「…『ぷはっ』て…相変わらず慣れてないね。もっと上手なおまじない、教えてあげようか?」
「いっ…いらんわ馬鹿たれがぁああ!!つけあがるなと言っただろうが!」
絳攸は、両手それぞれで楸瑛の目尻と口端をつかみ、引っ張った。
「いいい痛いよ絳攸。っていうか君、腕!!」
「貴様の顔をつねることぐらい造作もないわ!!」
怪我人とは思えぬ仕打ちである。
「…ようやく」
「…うん?」
「笑ったな」
「…君もね」
END