短編小説

□春を送る
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 巧が大学に合格したお祝いに、家族4人で高層ビルに入っているレストランで食事をした。

「アパートも決めたし、あとは持っていく荷物をまとめるだけね。本当に入学式行かなくていいの?」
「遠いしいいよ」

 巧はこの春から一人暮らし。家から通えないどころか、飛行機を使うぐらい離れた地に行く。

「巧が家を出たら、母さんと梓だけになるな」
「ますますごはんに手を抜きそう」
「やっぱり」

 お父さんが単身赴任してからおかずの数が減った気がしていた。気のせいじゃなかったらしい。

 隣の席に座る巧は他人事のように微笑を浮かべながら鴨肉のコンフィにナイフをいれる。巧は感情の起伏があまりない。両親に言わせると私も同じらしい。

「巧の受験も無事終わったし、来週の金曜から3日間、お父さんのところに行ってもいい?」
「いいよ」
「よく休み取れたね」
「もぎ取った」

 お母さんは、本当に私の母親かと思うぐらいバイタリティーに富んだ人で、バリバリ仕事をこなしている。母子手帳を見せてもらったことがあるから私の、そして巧の母親であることは間違いないけれど。

 食事を終えてレストランの外に出たところで、お父さんが知り合いを見つけて立ち話をはじめた。聞こえてくる言葉の端々から仕事関係の人のようだ。

 お母さんはお父さんに寄り添ってあいさつしている。手持ちぶさたになった私はじゅうたんが敷かれたフロアーを横断して、ガラス張りの端に近寄る。見下ろす地上は夜空よりも光が瞬いていた。

「巧、夜景きれい」
「ほんとだ」

 ガラスに反射して自分たちの姿が映っている。フォーマルの服装で、とお母さんにあらかじめ言われたので、私はワンピース、巧はシャツにジャケットを羽織っている。朝晩の寒暖差は大きくても、日中の柔らかい暖かさに春の気配が感じられるようになった。

「欲しいもの決まった?」
「欲しいもの?」

 反応が鈍い。この様子は先週の話を忘れているな。

「高校卒業と大学合格のお祝いに、プレゼント何がいいか聞いたでしょう」
「ああ」

 巧は再び視線を夜景に向ける。欲しいものがたくさんありすぎて、という悩みではきっとない。巧は欲がないから。

 お父さんたちはまだ話している。巧の答えを待ちながらその横顔を眺める。

『あんなかっこいい弟がいたら、理想高くなるね』

 毎日のように見ているからぴんとこないけれど、外で果乃がはじめて巧と顔を合わせた後、うらやましがられた。最初梓の彼氏かと思った、とも。

 理想が高いというより、合コンに誘われても気がのらず、果乃から彼氏の話を聞いてうらやましく思っても行動するわけでもなく、ぼんやり過ごしているから彼氏ができないと答えた。多分本心では必要としていないのだ。

 それに、果乃にも巧と高校は違うけれど同じ年の弟がいて、祐輔君の優しい雰囲気を私はいいと思うと伝えた。

 巧が夜景からこちらを向く。

「母さんが父さんのところに行っている間、梓は予定ある?」
「ボランティアぐらい」
「その3日間、梓の時間をちょうだい」

 感情の起伏があまりないといっても、生まれてからずっと同じ家で暮らしてきた弟だ。その表情と声は緊張をはらんでいるように感じた。
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