dream■short_T
□糖度零の甘言に乗り
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「サー・クロコダイル、此方が娘の名無しさんです。
手前味噌ながら、鳶が鷹を生んだと云いますか、私に似ずこの通り器量も抜群…
イヤこれは親馬鹿が過ぎましたかな、失礼失礼!」
アラバスタ一の豪商の男は、恰幅の良い腹を揺らしながらガッハッハッと豪快に笑った。
サー・クロコダイルは紫煙を燻らせながら、淑やかに佇むその娘を見遣った。
―確かに、稀にみる麗人といっても良い姿である。
小柄だがすらりとした身体つきに白い肌、それに映える青みすらかかった漆黒の髪。
艶やかな瞳をふちどる伏せた睫毛が色濃く影を落とし、そよ風にも飛ばされそうななよやかな風情。
風にもあてぬように育てられた、世間知らずの生粋のお嬢様といったところか。
「…悪くねェな。」
心とは裏腹に、口端を引き上げながら肯定の意を表す。
―捨て駒にしちゃあ、上等な造形じゃねェか。
続きは肚の中で呟く。
今、自分の伴侶候補として差し出されているそれ。
だが、サー・クロコダイルにとって女とは、性欲の捌け口の道具であり、もしくは野望を達成する為の踏み台に過ぎなかった。
(…まァ、実際見た目は好みだがな。)
一時的に騙すだけとはいえ、隣に並ばせる女の容姿が整っているに越したことはない。
だが、全ては目的の為であった。
「はーっ、つっかれたぁー。
お見合いとか柄じゃないし!」
名無しさんは、充てがわれた客室のベッドにドサリと音を立ててダイブすると、ひとり不満を爆発させた。
「しかもあんな、顔に傷とか横断してるヤバそうな男とか冗談じゃないっての!!
…まー、格好良いし好みではあるけど。」
男の容姿を思い浮かべ、少しだけトーンを落とす。
だが、どんな男であろうとも、政略結婚を強いらている相手なぞ唾棄すべき存在であった。
この最大の危機をどうやって掻い潜ろうかと、唸り声を上げながら転げまわりはじめた、そのとき。
「随分さっきとは違った印象だな。
蓋を開けて見れば、とんだじゃじゃ馬姫という訳か。」
低く響いてきたその声に、驚愕のあまりそのままの体勢で首だけをその方向に向ける。
そこには、黒い笑みを浮かべたサー・クロコダイルが此方を見下ろしていた。
「…っ!?
サ、サー・クロコダイル…!
…あの、わたくし、ちょっと頭が痛くなってしまいましたの。それで少し横に…」
ガバッと飛び起き、慌てて「お嬢様」を装う。
「ほう、頭痛がしてる癖に、ゴロゴロ転がりまわってた訳か?
そいつァなかなか斬新な治癒方法だな。」
厭味ったらしい台詞と紫煙を吐き、嘲笑するクロコダイル。
「…あ、貴方、
レディの部屋を覗いて聞き耳を立てるなんて、失礼でしてよ?!」
悪足掻きのように別角度から毅然としてみせる。
「ハッ、
扉を全開にして、馬鹿でけェ声で叫んでた奴の言うことか?」
尚も何か言い返そうとしたが、もはや背水の陣と悟った名無しさんは、とうとう鎧をかなぐり捨てた。
「お願い、見なかったことにして聞かなかったことにしてー!
こんなことクソ親父にバレたら、花嫁修業とかで地獄の毎日になっちゃう!!
マジお願いっ!何でもするから!!」
クロコダイルは、みっともなく足に縋ってくる「似非お嬢様」を虫けらでも見るように見下ろしていたが、やがて極悪非道の笑みを浮かべた。
「なら、俺と結婚しろ。」
「…………は?」
あまりにも突拍子もない交換条件に、へたり込んだままの姿で凍りつく。
「但し、三ヶ月だけでいい。
後ァ出て行くなり離縁するなり好きにしろ。」
「え?
そ、それはどういう…」
「てめェの父親との商談はそれくらいあれば纏まりそうだからな。
契約さえしちまえば、効力は俺の必要期間は続く。」
名無しさんは衝撃の余韻で数十秒の間返答ができない様子であったが、やがて案外と理解した風に冷静に立ち上がった。
「ふぅん。…アンタもとんだ腹黒って訳ね。
だけど、そんな裏話とか…
…私のこと、そんなに信用していいの?」
首を傾げながら、ソロリと上目遣いで伺う。
「ハッ、信用なんざするわきゃねェだろ。
単に、こんな話に噛んでくるほどの頭も才覚も無ェと見込んだだけだ。」
「はぁ?!
ちょっ、酷…!
そんな負の見込みで嫁を決める奴があるかぁ!!」
「人生のうちの三ヶ月間くらいの汚点なら、後でどうにでも挽回できる。」
「何か名言風にこき下ろされた…!!」
「オイ、グダグダ言ってねェで親父と話つけるぞ。
…てめェの本性がわかりゃ、半狂乱になるだろうなァ?」
「…ッ…!
こ…この…!!」
人生初のプロポーズが恐喝であることに目眩を覚えるが、幸か不幸か乙女らしい夢や希望なぞ持ち合わせていない名無しさんは、自棄になって叫んだ。
「…ええーいわかった!
そうと決まったらサッサと済ましてしまおう!
ふつつか者ですけど三ヶ月間宜しくー!!」
そこからは、あれよあれよという間の流れであった。
双方の唸るほどの財力により挙げられた結婚式。
仮面を被るスキルだけは磨いてきた名無しさんは、アラバスタ中の女性から憧憬の眼差しを向けられた。
結婚生活はといえば、最初こそ同室ということに身の危険を感じたが、指一本触れて来ようともしないクロコダイル。
あまりにもその心配が皆無なことに、さすがの名無しさんも女として多少侘しい気分になった。
だがその一方、衣食住は贅沢の極みといってよい待遇。
勿論、思いやりなどという感情などではなかろうが、最大限に配慮されていることは肌身に感じた。
―そしてもう一つ意外であったのが、酷薄そうなこの男が案外、会話をしてくるということ。
とはいっても、これでは話さないほうがマシだというほどの罵倒ぶりであり、名無しさんは日に日に眉間の皺を深くしていった。
あるとき、無駄にムーディーな照明にて豪華なディナーを平らげていると、ふいにじっと見詰められていることに気づいた。
思わず、ナイフを動かす手が止まる。
「………何か…、ソースでも付いてる?」
怪訝そうに問うと、いつになく真剣味を帯びた金の双眸。
橙色の光がそこへ映り、不覚にも思わず見惚れてしまうほどであった。
「どうやったら、てめェのような家柄と容姿で…、」
ゆっくりと囁くような低音に、思わずドキリと鼓動が跳ねる。
「…馬鹿で下品に育つのか、疑問に思っただけだ。」
「無駄に高鳴った心臓を五打ほど返せ…!!」
名無しさんはフォークとナイフを皿に叩きつけると、こめかみを引き攣らせて怒り心頭した。
「フン、
想定以上に言動が馬鹿そのものだな。」
そのようなやり取りに対し、ブラックにとはいえ愉しそうに笑っているクロコダイルを見るにつけ、
…もしかしたら、これがこの人なりの親愛の情なのだろうか?
と、試しに好意的に考えてみる。
「てめェは、今迄の女とはまるで違う。」
あるとき、いよいよそれが決定打となりそうな言葉を投げかけられ耳を疑った。
それは寝室にて、夜着に着替えていたときのこと。
名無しさんは腕をクロスさせて服の裾を掴み上げ、バンザイをしている間抜けな姿のまま停止した。
「………それ、どういう意味…?」
脱ぐのを中断し、はらりと服を元に戻す。
暫し見つめ合っていると、葉巻の燃えさしの灰を灰皿に落としたクロコダイルは徐ろに口を開いた。
「仮にもいっぱしの大人の女が、男の前で平気で着替えるとはな。
てめェの身体なんざ目の前に晒されても何も感じねェどころか寧ろ不快なだけだが、
雌犬でももう少し羞恥心があるんじゃねェか?」
まさかの犬以下発言、そして好意どころか流暢に不快までも表明され、これまで以上に奈落の底に突き落とされる。
「あのさぁ…、
毎回毎回、ワンクッション意味深なセリフを入れんのやめてくれるかな…!?」
思わずガックリと床に手を付いていた名無しさんは、かろうじて虫の息で這い上がるとせめてもの反撃に出た。
「あ?何の話だ。
てめェが勝手に都合のいいように解釈してるんだろうが。
知能の低さと品性の無さに加え、勘違いも甚だしいようだな。」
冗談でもなく正当な評価を下しているといった風な貶めに、とうとう名無しさんの余力は尽き果て、文字通り泣き寝入りをしたのだった。
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