dream■mid_Croco_trip

□宵闇の花嵐
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「名無しさん。


ちと外に出るぞ。」



「…え?」



4月の、まだ肌寒い金曜日の真夜中。


休日前夜の愉しさからではない理由で目が冴えて起きていた私は、PCから顔を上げたクロコダイルに呼びかけられた。



「こんな時間にコンビニチキンが食べたい訳?しかも寒がりの癖に、風呂あがり外へ?

自分の年齢を考慮して、もっと健康に…」


「黙って付いて来い。」


額に若干ピキリと薄く青筋を浮かべ、問答無用とばかりにバサリと黒いコートをはためかせて立ち上がった。



「俺様!横暴ー!!」


喚かれる不平に見向きもせず玄関に向かう。


私はその長い脚の歩幅に追いつくよう、口を尖らせながらも仕方無く小走りをした。






「…!

此処は…」



いつものコンビニ方向から川辺のほうに向かい、目を凝らさないとわからないような細い下り階段を降りた先。


目の前には満開の桜が花弁を散らしながら、月の光を受けて青白くぼうっと光っていた。



「綺麗…」



此処辺りが桜スポットであることは知っていたが、この場所は木々の密度が高く、みっしりと咲き乱れている。


まるで秘密の花園のようだった。



「クロコダイル、こんな場所よくわかったね。


…もしかして、ネットでこのへんの穴場お花見情報でも見た?」


暫し見惚れていた私は、ほうっと吐息を吐いて傍らの長身を見上げた。



「まァな。」


「あはは!

マジで?花に興味あったとか意外ー!」


思わぬ肯定に笑い声を上げると、クロコダイルは瞬間片頬を吊らせたがすぐに真顔に引き戻った。



「名無しさん。」


何となくギクリと僅かに身じろぎをして視線で応えると、夜行性の獣のような金の双眸に真っ直ぐ見下されていた。



「何かうまくいかねェことがあったんだろうが。」



詰問するようでも、労るようでもない声色。


只事実を問うているという温度感に、見抜かれていると、それだけを思った。



「そんなに解り易い顔してた?

…恥ずかしいなー。」


会社のアイツ等、ザマぁとか内心思ってたかなーと自嘲気味に呟く。



「さァな、他の奴らの前じゃどうだったか知らねェが…」


変わらぬ淡々とした調子で一服を吸い込む。

葉巻の先が紅い小さな蛍のようにすっと光った。



「俺に隠そうなんざ100年早ェぜ?」



私は一瞬言葉に詰まったが、ややあって態とらしく肩を竦めて見せると、観念したように再度吐息を吐いた。



「…企画書。


通んなかった。」



努力したことが、毎回必ず報われるなどとは思っていない。


だが時間と労力を掛けたものが、上の采配でいともあっさりと無に還される現実に、人知れず裏で涙を流した。



「これか。」


「…!?

なっ…、何持ってきてんの!?」



思わずぎょっと身を引くと、クロコダイルは書類の束をバサバサと振って厳とした声を出した。



「試算が甘ェ。

発想の良し悪し以前に、実際動く数字が見えねェようじゃ机上の空論だ。」



「………慰めに連れてきてくれたんじゃなかったの?」


会社でも上司に言われたようなことを繰り返され、苦虫を噛み潰したような顔になった私にクロコダイルは漸く笑った。



「そんな生温ィもんより役立つ助言をくれてやる。


いいか、実質的に次に活かせる改善要素だけ拾え。

それ以外はサッサと棄てろ。」



頭のキレる、ビジネスにクールな男らしい的を射た言葉だ。


私はそう簡単にいくか、と思いながらも、目を閉じてそれを胸中で反芻した。



「…………。


よし、分かった。…捨てる。」



数十秒、そのままの状態から目をゆっくりと開き、あっと言わせる間もなくクロコダイルの手から書類を奪い取った。


「…!」


びりびりと細かく破かれた白い紙片を、お祝い事のように宙にばら撒く。


それらは予想したように、桜吹雪とともにひらひらと舞いながら闇に吸い込まれていった。



「んー、壮観!」


「……てめェ、仮にも会社の書類だろうが。」


「誰も見てないって!」



瞠っていた目を眇め、呆れたように窘めるクロコダイルにニヤリと笑ってみせる。


「……。」



暫し視線で射止められたままでいると、目の前でまだ半分ほど残っている葉巻が放り投げられた。


草叢なのに危ない、とそれを目で追った一瞬間。



突如視界が暗くなり、肩をぐっと後方に押し付けられ木の幹が背に当たる。



「…っ!

ちょっと、クロコダイル…?」


気がつけば、大きく背を屈めた端正な顔が側近くにあった。


獰猛な夜行性動物のような瞳に捕らえられ、そして片膝を檻にするように密着され身動きが取れない。



「待っ…、

ここ外なんだけど…!」


「…誰も見てねェんだろ?」



耳元で妖艶に低い声を注がれ、腰が砕けそうになりながらも何とか素っ頓狂な声を上げる。



「て、撤回!

色々見られてるって!ほら…、蛾とか!蝙蝠とか!」


「クハハハ、何だァそりゃ。」



あまりの焦りようを見兼ねたのか、どうやら解放してくれたらしく圧迫感が軽くなった。


離れ際にわしゃわしゃと頭を掻き回され、煩かった心音が穏やかで温かいものに変わるのを感じた。




「クロコダイル。」


暫し並んで夜風に吹かれながら、月と桜を眺めていた。


ぽつりと呼びかけると、静謐な中の衣擦れの音で、僅かに此方を向いたのがわかった。



「……ありがと。」



フン、と鼻で嗤うだけの返答に口角を上げた私は、凭れ掛かっていた幹から彼の差し向かいにぴょんと踊り出た。


「ね、今度はお昼に見に来ようよ。

早速、明日か明後日!」


「ハッ、面倒臭ェ。

興味無ェな、却下だ。」


そう言ってまたもや鼻で嗤う返答に、今度は口を尖らせて意義を申し立てる。


「えぇー!?


そこは恋人なら、元気づける為によし付き合ってやるって言うとこでしょー!」


甘ったれんじゃねェぞ、と言って皮肉な笑みを浮かべるクロコダイル。


けれどもう、そんな冷たい素振りを真に受けるほど鈍感ではない。


見破られているのは、何も私の方ばかりではないのだ。



「…じゃあ、

もうちょっとだけ此処に居たい。」



無言を肯定と取った私は、木の代わりに逞しい身体に背を預けると、強くなってきた風に散る仄白い花びらを見上げた。



ざあっと音を立てて渦巻くそれは、砂嵐にも似ているような気がした。



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