掌編小説集

□梵語
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ある日の僕は学年でも五本の指に数えられるほど成績の良い優秀な生徒であった。僕の通っていた高校は県でもトップの難関大学進学率を誇っていた。それも泣く子も黙ると言われるあの東京大学の進学率は甚だしかった。クラスのほとんどの生徒は行くなら東大と口を揃えて言うのだった。僕ももれなくその内の一人に含まれていたのだった。小さい頃からの医者になるという夢が叶うのも必至であった。
あったかのように思われた。
あったはずだった。
それが、高三の秋の模試で覆ったのだった。
模試の前日の夜まで僕はいつものように大好きな勉強をたしなんでいた。勉強をたしなみとする時点でもう自分のエリート街道が揺らぐことなんてあり得なかった。それが一夜で地獄に突き落とされる一歩手前の自分だったのである。
午後11時を回った頃だろうか。明日は早いことだし、今日の勉強はここまでにして寝ることにしよう。机の参考書やノートを片付けているところだった。頭の中で何かが掻き回されるような感覚がした。でも、まあ気のせいだと思った。
その時、部屋のドアを軽く叩く音がした。

「何?」

「母さんだけど、入っていいかしら」

「うん」

そう言うとドアがガチャと音を立てて静かに開いた。
そこにはいつもと変わらぬ母の姿があった。

「どうしたの、珍しいね」

「修二、今おばぁちゃんから電話があってね」

「うん、なにさ浮かない顔して、明日模試だからもう寝るか…」

「おじいちゃんが急に亡くなったんだって」

「…」

「でも、大丈夫。心配しないで、最期は眠るように息を引き取ったそうよ」

翌日、頭の中はいろいろな思考が行き交っていた。どうも、頭の中がすっきりしない。そのまま試験会場に着いた僕は席に座ると明瞭な頭に戻った。しかし、全くそれは自分の思い込みに過ぎなかった。
最後の科目である英語
英語だけは僕の苦手な科目で英語の通訳として長年務めてきた祖父に習っていた。最初は塾でも英語をとっていたのだが、祖父のカリスマぶりに敵う講師はいなかった。そんな僕は祖父のお陰であんなに苦手だった英語を一年で克服できたのである。
しかし、その恩師でもある祖父はもうこの世にいないのだ。
答案は余白を全部埋めたがよく見ると全部、わけのわからぬ古代文字で埋め尽くされていた。
帰る途中、友達が声をかけて来たが何を話しているのか全くわからなかった。返答に窮した僕は仕方なく言葉を発した。

「止みなん舎利弗」

それが、僕の人生における最後の発言だった。

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