◆a la carte◆

□あなたのそばに 〜燃ゆる本能寺〜
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嫌な予感、胸騒ぎ、心の中の霞みは一向に無くならない。






「くっそー!毛利の野郎!しぶといにも程があるだろ!」

機嫌の悪い信長さんの眉間には深い皺。

「カメ!ダーオイ!くくりん!おまえたちはこの茶器を運べ!絶対割るなよ。いいか、もし割ったらいくら可愛い小姓たちでも首を刎ねるぞ」
「の、信長さん!」

信長の言い草に半分不貞腐れ、半分本気で怯える小姓たちを宥める。

「本能寺へ行く。出陣する前に片付けておきたいこともあるからな」
「ではその様に手配を」
「あー、いや、いい。今回は最小限で行く。馬廻りも数人でいい」
「でも...」

幾ら何でも小姓と侍女、数名の馬廻りではもしもの時に信長さんを守れない。
本能寺への道は慣れてるとは言え、安全なんてありえないのだから。

「蘭丸、覚えてる?この茶器は受け継いだものもあるけど、どれもおまえのことを思い出す代物ばかりだ。あの時は震えて用意してたなーとか、危うく溢して家康にかかる寸前だったなーとか、出仕して来た頃は本当に可愛かった」

思い返せば幼かったとはいえ、よく首が刎ねられずに済んだものだ、というものばかりで。
目を細めてクスクスと笑う信長さんは、とても天下統一を目前とした第六天魔王とは思えない。





「ですが信長さん。やはり僕は...気になります。もう少し兵を連れて行った方が...」
「だーいじょうぶだって。あはは、蘭丸は心配症だなぁ」





少し前から何かひりつくような不穏な空気を感じていた。
何がどうした、ということはない。
実のところ、根拠も確たる証拠も無いのだ。
それでも僕は信長さんに進言した。



日向守(明智光秀)を斬るべきだ、と。





ここのところ、明智さんの動きが読めないことが多かった。
いつもであればその行動等は僕は信長さんの為に把握していた。

なのにほんの数刻、誰にも何も告げずに行方を晦ませたり、虚ろな表情、思いつめたような表情を浮かべているかと思えば、信長さんを射るような目で観察していたり。
明智に仕える忍と疑わしき者を偶然見かけたこともある。
根拠も証拠もないけれど。でも。
これまでの機知に富んだ明智さんとは辻褄の合わない行動が多くなっていた。



天下を握る寸前にいる信長さんには、例え些細な芽だとしても毒芽になり得る可能性があるならば摘んでおくに越したことはない。


「僕が斬ります」
「お〜お〜、俺の可愛い小姓は怖いねぇ。明智は究極に空気が読めない奴だからな。あの馬鹿は何をそんなに蘭丸を怒らせたの」

喉奥で笑う信長さんは、本当に気付いてらっしゃらないのだろうか

僕の心の中の霞みは広がるばかりだった。









*******

「蘭丸。おまえも知っての通り、本能寺の防御力は城塞レベルだ。例え攻められてもそう簡単には落ちないさ」



定宿となっている本能寺は今や立派な武家屋敷と生まれ変わっていて、確かに堀や石垣、土居が周囲にあり易々と陥落はしないだろう。




―でもそれは、相手が知将、日向守以外の話だ






『戦陣の用意をして待て。命令あり次第、出陣せよ』

そう言い残し、黒く染められた爪、美しさを秘めるサングラス、赤いビロードのマントを翻す信長さんは僕たち小姓や供回りと安土城を出た。

道中を狙われては堪らない、と僕は片時も信長さんの側を離れなかった。

そんな僕を信長さんは笑う。

「おらんは本当に可愛いな」



願わくは

この信長さんの笑顔が長く長く

永遠に見ていられますように














その日は朝からとにかく忙しく、小姓や侍女たちは「茶会の人数を増やしたから」と言い張る信長さんや、次々到着なさる客人に一日中振り回された。

一体、いつの間にこのような予定に。
他の者たちからの不満を一身に受け、つい恨みがましく信長さんを見れば、口付けを指に乗せて投げて寄こす。
それだけで頬に熱が集まってしまう己がこれまた恨めしい。



陽も傾き、やっとお開きになった直後には妙覚寺から嫡男信忠さんが見えられ、今度は酒盛りが始まった。

京の名棋士の対極を前にしての酒盃は、さながら格式高い舞であろうとご覧になりながらやいのやいの言うお二人のようで、些か棋士達が気の毒になる。


「親父。毛利攻め、どうするつもり?」
「数日後に出陣かなーって思ってる。ただまだ朝廷との話もあるからな。そっちをもう少し片付けてからかなぁ」
「そうか。あと少しだな」
「あぁ。あと少し、だ」

お二人の酒盛りは月が高く上がるまで続いた。


これが

最後の夜と知らずに―






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