◆a la carte◆

□あなたのそばに 〜燃ゆる本能寺〜
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死のふは一定 しのび草には何をしよぞ 一定かたりをこすよの








天正10(1582)年6月2日

黎明―
空は白み始め、湿り気を帯びた空気が草花を揺らす。


「の、信長さん...!謀反に....謀反にございます....!」

「旗は」

「それが....水色桔梗で...」

「.....日向守(明智光秀)か...」




****

信長は目の前に座る小姓の背中をじっと見つめる。
その小姓はテレビの中の同じシーンを先ほどから幾度も繰り返しては、「わぁ」「はぁ」と感嘆とも溜息ともつかない声をあげながら頭から小花を飛ばしていた。

「蘭丸」
「はい...はぁ...」
「こっち向いて、おらん」
「もう少しだけ...お願いです、あと少しだけ、お待ち頂けませんか」

主君を待たせる小姓など、第六天魔王であるこの俺を待たせる奴など、この世でコイツくらいだ

信長はいつまでもこちらに寄って来る気配を見せない小姓に焦れて立ち上がる。



「理念を持ち 信念に生きよ」

すると目の前で背を向けていた小姓は、物凄い勢いで振り返った。


「のっ、信長さん...!」

その目は輝き、白い頬を染めて、やはり頭からは小花が飛んでいるように見える。

「本物の方が良いだろ?」

この小姓が先ほどからずっと見入っているのは、自分たちが『信長と蘭丸』というユニットで出演した番組を録画したもので。
コーナー冒頭での自己紹介の部分だった。

「はい...。でもこの時の信長さんは本当に素敵で...僕、なんだかもうドキドキしてしまって...」

またも画面へと視線を移す小姓に、信長は面白くなさが増す。

「なんでよ!それはテレビだからみんな用の織田信長。ここにいる俺は蘭丸用。おまえはみんな用でいいって言うの?」

「それは...!それは....」

「でしょ?なんで俺に直接言わないかなー。俺、蘭丸の為なら何度でも言うよ?」


だって

だって、画面の信長さんは他の誰も見ず、まっすぐに自分だけに語りかけてくれるから―

「俺にはいつだって蘭丸だけなのになぁ」


それが画面越しでも、ただ真っ直ぐ自分だけに

まさかそんな事を口にすることは出来る筈もなく


「......信長さん、カメが..信長さんからメールが返って来ないと...申しておりました」
「えっ?!か、カメが?!えー、なんでだろうなーおかしーなー、メールなんて、そんな、あ!あれかな、また楽市楽座のことかなー...って、お、おらん?わ、分かってると思うけど、俺にはおまえだけだよ?おらんだけが特別だよ?それだけは分かって?ね?ね?」


些細な粗相ひとつで腹も首も斬られる小姓の1人にしか過ぎない自分に対し、先日のように土下座して、こんなにも慌てふためいて、「おまえだけだ」と告げ、表情を窺おうと必死に顔を覗き込んで来る天下人なんて、きっと信長さんくらいだろう



その想い人の様子が蘭丸の心を踊らせ、そして同じくらい締め付ける。



蘭丸は思う。
自分だけを見て、自分だけを想い、自分だけのものに出来たら...
そして己もまた、主に対してそんな存在になれたなら、どんなに幸せだろう

例えば時代が違ったならば
もっと昔に生まれたなら
もっと未来に生まれたなら

主君と小姓として在り続ける以上、叶わぬ夢だから

せめて、この画面の中の信長さんだけは僕のものでいて欲しい―



「蘭丸?」

再び自分から目線を外す蘭丸を、信長はその後ろからそっと抱き締める。

「蘭丸、聞いて。俺ね、おまえの願いは何でも、全部叶えてやりたいと思うし、そのつもりだよ。俺には蘭丸が1番だから」


―1番
ということは2番や3番がいるのか

抱きしめ慈しむように、愛しむように唇を吸う信長の腕の中で、そんな女々しく我儘な己の心に蘭丸はそっと息を吐いた。



「信長さん。僕は....何もいりません。こうやって信長さんのお側に仕えて、万が一の時には信長さんをこの命をかけてお守りする。小姓としてこれ以上の幸せはありません」

そうだ
この人の為なら命など惜しくはない


「馬鹿だなぁ、蘭丸は」
「.....え...」

運命と使命に燃える小姓に対しての言葉とは思えず蘭丸は目を丸くする。



「一緒に生きなきゃ意味無いよ。俺は蘭丸と生きたいし、蘭丸がいなきゃ生きていけない。俺を守るのが仕事だけど、そんなことじゃなくてさ。ね?一緒に生きよう?」




討つか、討たれるか
取るか、獲られるか

武将であれば血を流すことが当たり前のこの時代に―



「信長さん...」
「それにね。人生五十年。そう考えたら本当あとちょっとじゃん。天下統一も目前。それでも俺の夢はさ、おらんの笑顔を見ながらおまえの腕の中で死にたい。それだけだ」

屈託の無い笑顔で言う信長の言葉に、蘭丸は自分の体が強張るのが分かった。

「僕を...置いていくんですか....?」

自分は小姓だ
最後の最期まで主君を守るのが使命で、その為には命だって―
ついさっきまでそう考えていたのに

「いや、です...!僕を置いて...嫌です!一緒に...!一緒に連れて行ってください!僕を一人にしないでください!お願いです!」
「ちょっ、まっ、待って蘭丸!ストップ、ストーップ!」

まだ十八歳
されどもう十八歳
己の気持ちひとつでまだ元服をさせていないだけで、世の常も分かる歳だろう

信長は酷く動揺している蘭丸を正面に抱え直し、目線を合わせる。


「蘭丸。あのね、約束して欲しい。もしも、だよ。万が一、俺に何かあった時、誰も呼ばなくていい。帰蝶も曲直瀬も、信忠も、だ。誰も。最期はおまえだけでいい。笑って送って欲しい。いいね、約束だよ。おらん。」
「それは...命令ですか...?」
「んー、お願い、かな」


信長さんは狡い
小姓としても、信長さんを慕う人間としても断るなどという選択肢が無いことをそんな、何でも無いことのように―

小さな棘が自然と蘭丸の唇を尖らせる。


「蘭丸?」
「....はい..」
「うん、いい子」

信長は目を細め、幸せそうに、安心したように、蘭丸の尖った唇に口付けた。


「必ず。この世を去ったとしても、何度生まれ変わっても必ずおまえを見つけて俺のものにする。心配するな。俺と蘭丸は永遠に共にするんだ」


永遠に―














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