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□色に出づる 健全版
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スティング、本当に何も覚えていないんだな?」
「っせーな、さっきからなに、覚えてる覚えてないって、」
スティングは机の端に浅く腰掛けてふんぞり返っている。顔付きはいかにも、面倒くさい、鬱陶しいといった感じだ。

「困ったことになったな」
お嬢が腰に手をあてて深刻そうな顔をした。見渡せば、スティングを取り囲んでいるユキノ、オルガも同じような顔をしていた。
レクターは心配そうにスティングを見上げ、どうしたらいいか分からずに黙り込んでいる。時折何か言いたそうに口を開こうとするのだが、発言するに至らない。

「ルーファス…大事なときにどこに行きやがった」
オルガは苛立たしげに頭を掻いた。
ギルドが新体制になってからオルガとルーファスは大抵の仕事を2人でチームを組んで請け負っていた。
しかし今回に限って、ルーファス一人で出掛けていってしまったらしい。そしてそのルーファスは、一体どの仕事に出て行ったのかわからない。
…というのも、依頼書の控えに仕事を受けた魔道士の名前を書きとめ、受領のサインをするのはスティングの役目だからだ。
しかし、そのスティングがこうなっていてはどうしようもない。

…数時間前、執務室から出てきたスティングは変なことを言い出した。
『なぁ、マスターってどこにいんだ?』
『は?』
スティングはいつになく物々しい雰囲気を醸し、凶悪な目つきでローグにそう問うた。
どこに居るも何も、セイバートゥースのマスターは目の前に、スティング・ユークリフ自身はローグの目の前にいる。
何を言っているのかローグも全く理解できず、いつもならすぐに会話が通じるはずのスティングも違和感を覚えたのか更に目つきを悪くして不審そうな表情で再度問う。
彼の話し方と表情にローグは不思議な何かを感じた。まるで少し前に遡行したかのような感覚。

その感覚は正しく、数分後にローグは頭を抱えることになった。
『俺がマスターぁ?』
道端にたむろする若者と同じような座り方で椅子の上に行儀悪く腰掛けるスティングは、目つきの悪さと迫力が道端にたむろするよくいる若者の比ではない。
『そういうことだ。』

つまるところ記憶喪失。
原因は執務室の机の上を見れば自明だった。封筒に書かれた宛名はスティング・ユークリフ。
中に入っていた便箋が投げ出されており、そこにおどろおどろしい文字で書かれていた文章を目にすると頭のきれるミネルバがすぐさまその便箋を閉じた。
何でも、太文字で書かれた文語体の文章の上に「これを声に出して読むように」と書かれていたらしい。
『声に出して読むと魔法がかかる文字魔法の一種であろう。これはテロだ』

郵便物に危険物が封入されているという話はよく聞くが、こういった類のものが来ると予想していなかったのは迂闊だった。
得体の知れないものを素直に読んだスティングも馬鹿であるが、今更何を言ったところでどうにもならないだろう。
『俺がきちんと気づいていれば…』
「ギルドマスター」と宛名に役職名が付してある親展の郵便物でも、ローグだけは開けていいことになっていた。
つまりローグが気づいて止めていればこのようなことにはならなかったのだ。
無言で唇を噛むローグの肩に手を置いて、まあまあ、この程度の魔法を私が解除できないとでも思っているのかい、と落ち着き払った声でローグが自分を責めるのを止めてくれるはずの人物はいなかった。
記憶喪失、そう、「記憶」のことに関しては記憶の魔道士に頼むほかない。けれども複数のギルドメンバーが、ルーファスが仕事に出て行ったのを目撃しているものの肝心の「何の」仕事に出て行ったのかはわからない。
つまりいつ帰ってくるのかさっぱりわからない。
『あいつが、馴れ馴れしく「この仕事に行ってくるよ」つって俺に見せに来たのってそういうことか』
ルーファスはきちんとスティングに受けた仕事の内容を見せに行ったということだ。
しかしその時にすでにスティングに自分がマスターだという記憶はなかった。
ルーファスは気づかなかったのだろう。依頼書をひらりと見せるとそのまま立ち去ってしまったのだろうか。
執務室で数時間前に行われたであろうやり取りを想像してローグは肩を落とした。
スティングとルーファスはあまり性格が合わない。
仲が悪いという意味ではなくて、根本的に噛み合わないタイプなのだ。
ルーファスは自分の記憶力があまりにも良いため、さらりと言ったことを相手も覚えていると思っている。それは傲りではなくて多分、天然に、だ。
確かにセイバートゥースにはローグを含めユキノやミネルバなど、知性に優れたものが多い。
しかし世の中同じことを言われて理解するのに時間がかかるものもいる。
その典型がスティングであるので、よってルーファスはスティングが理解したと確認する前に出て行ったのだろう。
『とりあえずどこまで覚えているのか確認せねばならぬな』
ミネルバの尋問…いや、質問が始まるとユキノやオルガ、エクシードたちはスティングが答えることを注意深く聞いていた。
しかしローグだけは別のことで頭が一杯だった。

確認しなくてもわかっていた。このスティングは大魔闘演武以前のスティングであり、自分の力に驕り高ぶり、そして仲間を必要ないと思っていたスティングだ。
そしてもう一つ大事なこと、大魔闘演武以前のスティングは、ローグにとって「ただの相棒」だ。

「とりあえずルーファスが戻るまでの辛抱だ。よいかスティング、お前は前マスターを打倒して新しくこのセイバートゥースのマスターに就任した。ローグが補佐をやっている。セイバートゥースは「個」ではなく「和」を大事にするギルドになった。だから記憶をなくしているといっても不用意な言動は慎め。できるだけお前が普段と違うことを周囲に漏らしたくない。これを送りつけた犯人の思う壺だからな。」

ミネルバは封筒に元通りに仕舞ったあの文字魔法の書いた便箋を顔の前で振ると、スティングに言い聞かせる。
まるで年上の姉に叱られているような光景だが、今はそんな冗談を言っていられない。
郵便物を送りつけた犯人の思惑はミネルバの言うとおり、セイバートゥース内部の混乱を狙ったものだ。
スティングが記憶をなくしたと大騒ぎすれば、メンバー数の多いこのギルドではあっという間に外部に情報が漏れる。
不本意だが主要メンバーであるこの範囲に留めておくのが良いだろう。

「なに、じゃあ俺がめんどくせぇ仕事全部やれってことなの?」
あからさまに嫌そうな顔をしたスティングはふんぞり返って顎を上げた。
「いや、今日のところはいい。仕事は妾でやっておく。お前に任せたところでどうにもならんだろうからな」
ミネルバはギルドが旧体制の時から父親の補佐をしているので、ギルドマスターの仕事内容に精通している。
ため息をついたミネルバが他の者が封筒に安易に触れないように別空間に移動させていると、ユキノがすっと控えめに手をあげた。
「わたくしも、ミネルバ様のお手伝いくらいなら…」
うむ、と頷いたミネルバの後ろにユキノが並び、二人して執務室の方へ行ってしまった。
残されたオルガはいつもの陽気な調子と一転して真剣な顔で、ルーファスの仕事内容に心当たりのある者がいないか探してくると言ってくれた。
彼のことに関してはオルガに任せるのがいいだろう。

「悪いな。」
「いや、」
オルガはそういうとでかい体を屈めてローグに耳打ちした。
「このスティングは誰にも手がつけられねえ、スティングのおもりはお前にしかできねえだろ」
…そういうことか。ローグはまた唇を噛んだ。
「ま、あいつも事情を聞く限りふらっと出て行ったみたいだし、すぐ帰ってくるだろ」
「そうだな…」
ルーファスも長期の仕事なら必ずオルガには伝えているだろうし、もしかしたらすぐ戻ってくるつもりだったのかもしれない。
彼が戻ってきさえすればどうにかなると思っているあたり、ギルドの者はこういった事象に関して少しルーファスを頼りすぎているきらいがあるが彼の実力を信頼してのことだろう。
ローグ自身も彼がいてくれさえすればすぐにスティングの記憶が元に戻るのではと思っていた。
「じゃ、頼んだぜ」
オルガはローグの肩に大きく分厚い手をどん、と置くとさっさとその場を去ってしまった。
あとに残されたのは周りをつまらなさそうに眺めながら猫背でポケットに手をつっこみ、椅子の背もたれの上に腰掛けるスティングと、猫たちと、ローグのみ。
「スティング…とりあえず記憶がなくてもできることをしよう」
「ん、なに?」
向けられた視線と彼の目つきになんだか懐かしくなって、それでも少しさみしくなって、返事が遅れた。
「…仕事にでも、行くか」







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