(こうやって考えていることも忘れてしまうのかな。それでもいいと思えるくらい、今を、あなたを愛することが出来たら。それって。)





僕たちはすべてを忘れてしまうね。






「初めて話した時の事、覚えてる?」

ソファーの上から声が降る。覚えてないと答えれば、大袈裟に肩を竦めてみせた
。最早おきまりのポーズのヒトツと化してしまったそれに相も変わらずどきりと
してしまう。否。ポーズにもれなく添えられた笑顔に、だ。どこかで分かりきっ
ていた筈なのに、準備不足な心はいとも簡単に弾んでしまう。

肌触りの良いグレイのカバーがかけられたそれにもたれ掛かり、俺はカーペット
を通して尚伝わるフローリングの冷たさに身震いをした。閉ざされた窓。決して
開くことのない戸。俺たちは今、完全に世界から孤立している。

「覚えてないの?酷いねぇ、持てる勇気を総動員して臨んだのに。」

「知るか。」

いくら記憶を遡ったところで、俺が辿り着く事が出来たそこには余裕のないお前
の姿しかない。俺と、お前。重なり合って揺らめき消える真夜中の幻影。それが
何度目の夜なのかすらも、もう分からないのだけれど。


(世界の瞬きを見たことはありますか。恐らくは人の記憶なんて小さなものなので
しょうね。)


ゆっくりとした動きで細い指が俺の髪を弄ぶ。確かに感じる指の感触。

「もう、出逢ってから随分経ったように感じるね。」

偶然に出会い束の間の愛を囁き合って切なさを抱いたまま繋がった、二人。簡略
に纏めれば俺と二見との概要はそれで終わってしまう。その間に転がっている弱
さなんかは全て見ないふりで、今現在感じている足先の冷たさなんかも残りはし
ない。つまりは、そういうこと。歴史には滑らかな指先の動きも冷えた足先も、
何も何も残りはしない。だからこそ、恐ろしいのだ。


(或いは大地の呼吸、とでも呼びましょうか。ともかく我々は世界にとっての塵以
下に等しいのです。)


「いっそ、俺たちの年表でも作っちゃいましょ―か。」

あの時の俺たちは何を囁き合い、確かめ合ったのだろう。絡まる視線にどんな言
葉を乗せ、その接吻にどんな熱を込めたのか。鮮やかに思い浮かぶのはいつもお
前のシトラスダージリンの淡くて深い香りだけ。俺たちは、如何にして出逢った
のだろうか?

「穴埋め式で、月1テスト。どう?」

カーペットの短い毛が素足を擽る。未だ冷たいままの足先。膝をぎゅっときつく
抱え込んだ。この部屋はいつでも寒すぎる。そう、いつだって。


「ば―か。」


綴られた物語は物語でしかないように。俺たちの関係だって、それ以上の意味を
持たない。ならば、誰に何を乞う必要がある?ましてやこの閉ざされた二人だけ
の世界で箇条書きに表してまで伝えたい事はたった一つじゃないか。


(けれどもそんな世界の中で私たちは互いに互いを愛し、そして、繋がったのです
。)


「忘れること前提で話を進めるな。」


(だけどどんなに願ったって僕たちはすべてを忘れてしまうね。)



再び窓が開け放たれ、戸が世界と繋がったとき、俺の足先はまだちょっと冷たい
まま一歩を踏み出す。今はまだ、隣にお前がいることを確かめながらだけれど。
いつか来る"いつか"が温めてくれることを願って、もし本当にそんな日が来たら
俺は、安堵、悲嘆、どちらの涙を流せばいい?

いつか来るであろうその時が、どうかどうか、互いを傷付けませんように。お前
を"思い出す"ことがなければ良いのにと切に願う。それならば、いっそ。なんて
卑怯な考えだとは思わないか?



「思い出す必要もないくらい、いつも側にいてあげる。」



頭を抱きかかえられたこと。耳元で囁かれたこと。それが聞きたかった言葉に似
ていたこと。たったそれだけで今の俺には十分なんだ。
たとえ、
あの日に交わした『初めまして』がグレイに色褪せたとしても。




(こうやって考えていることも忘れてしまうのかな。それでも良いと思えるくらい
、今を、あなたを愛することが出来たら。それって。)


(とてもとても、すてきだね。)













fin.

(この企画に参加しているみなさま。このおはなしを読んで下さったあなた。そし
てきらきら眩しい主催者カナちゃ。世界のすべてへ。)
(ありがとう!あなたにキスを!)



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