君といた頃

□ジュース
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 たくさんの人が行き交う公道で、智尋も周囲に無関心なまま目的地へ向かっていた。
 ――早川さんとこの私設図書館に、いつものお使いお願いね。
 眼鏡の似合う、お気に入りの笑顔で頼まれれば断れる訳が無い。
 たとえ恋人の席は奪われても、最愛の弟(もう一人いるが)の座は自分のものなのだから。
 と。
 智尋の目が、無関心ではいられない姿を捉えた。
 身長、肩幅、ウエストから腰周りまでしっかり記憶されている姿が。交差点の信号待ちらしく、背中を向けて立っている。
「三春兄さん!」
 駆け寄って、智尋は背中に抱きついた。
「どうしたの?勉強するから来られないって」
 言ったでしょうと続けようとして、何かが変だと気がついた。
 次の瞬間。
「てめえ、痴漢か!?」
 右手を捻り上げられていた。

 振り返って怒鳴り付けるその顔は、智尋の呼び掛けた兄ではなくて。

「待てよ、あっちゃん。違うみたいだよ」
 横から声がして。驚いて固まっている智尋の手が解放された。
「ごめんよ、驚いただろう?」
「悪いのは、いきなり抱きついてきたそいつだ」
 不機嫌に睨む顔と、困ったように笑う優しい顔。

「すいません、人違いでした」
 勢い良く頭を下げた智尋に。
「はーっははっ!」
 不機嫌はいきなり、高らかな笑い声をあげた。
「人違い…ぷぷっ、人違いだってよ!盛斗」
 おかしくてたまらない、という様子に、隣の盛斗と呼ばれた友人は困ったように智尋に笑んだ。
 あっちゃんと呼ばれたほうは、人をいきなり痴漢呼ばわりするだけあって、狙われかねない綺麗な顔で。
 隣の盛斗の雰囲気が、智尋の大好きなものに似ていて。
「君、気にしなくていいよ。でも、いきなり抱きつかないほうがいいよ」
「青だー、行くぞ盛斗」
 笑いながら、あっちゃんが盛斗をひっぱって歩き出す。
 よく似た背中と、よく似た笑顔。
「どっちかくれないかなあ……」
 道を渡りきるまで見送ってしまった智尋は。もう一度信号待ちをすることになった。
「あの大きな笑い声は、いらないけど」


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