短編
□一分後の地獄
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「白木、これいらないか?」
野崎君のお仕事のお手伝いを終え、帰る準備を始めていた私に野崎君が差し出してきたのは、可愛らしくレースのドレスで飾られた白いテディベアのぬいぐるみだった。
「ええっ、いいなあ」
私よりも反応が早かったのは、野崎君に好意を持っている千代ちゃん。ぬいぐるみが欲しいというより、野崎君に贈り物をされることが羨ましいのだろう、複雑そうな表情で野崎君と私を交互に見ていた。
「佐倉の分もあるぞ」
譲ろう、と思う間もなく野崎君の脇に置いてあった段ボールから同じぬいぐるみがごろごろと出てきた。
「……野崎君、これは?」
「このたび、知り合いの漫画家さんのキャラがグッズ化するらしいんだが、そのサンプルだ」
そういえば、どれも白いテディベアだけど、微妙にレースの具合や表情が違う。野崎君のことだから、漫画の資料用にと全部貰ってきたのだろう。
断る理由もない。ぬいぐるみを受け取り、お礼を言って野崎君のアパートを後にした。
学校終わりにそのまま漫画のお手伝いをしていたものだから、私が住むアパートの近くに来たころには、もうとっぷり辺りは暗くなっていた。
川を渡る時、川に映り込む電灯がきれいで、欄干に腕を乗せて思わずぼうっと見とれてしまう。
「白木」
不意打ちだった。完全に気を抜いていたところに声を掛けられ、勢いよく振り返る。
数学担当鬼畜教師、佐伯鷹臣がそこに居た。
「おいてめえ、今失礼な事考えなかったか?」
「……イイエ」
なんで自分が今、人を目の前にして固まっているのか正直分からない。ただ彼もそれを止めずにじっと見てくるから、我に返ってもどうすれば良いかわからない。そのまま無視するのも勝手だしだからって今更会釈もし辛い。ただ私は友達の家に寄って仕事を手伝って、終わったから帰宅していた途中で彼と鉢合わせただけ。
「え、あ、もう10時過ぎてます……っけ……」
校則、というか法律違反をしてしまっただろうか、と確認すれば、佐伯先生はいや、と首を振った。
「随分キャラじゃねえもん持ってるなと思ってな」
そう言って指差されたのは、野崎君から貰ったぬいぐるみ。
少なからず私はむっとした。私だってこういう小物は可愛いと思うわい。
「自分だってキャラじゃない職業に就いてるくせに」
「あ?」
小声で呟いた言葉はしっかり先生に聞こえていたらしい。ガッと大きな手で頭を掴まれた。ギリギリギリ、と先生の指に力が入る。
「すいません失言でし……」
この人の握力で掴まれたらたまったもんじゃない。慌てて先生の指を外そうと自分の手を添えるが、先生の指が外れる前に、私の手からぬいぐるみが転げ落ちた。
あ、と思う間もなく、欄干を超えたぬいぐるみは暗い水の中に落ちる。
先生も流石に私の頭から手を離し、欄干から少し頭を出してぬいぐるみを確認した。
「あー、流されちまうな。どうすんだこれ、ポイ捨てになるのか」
欠片も申し訳ないという気持ちは無いらしい。むしろ私の方が野崎君に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。他人からの厚意を無下にしたようで後味が悪い。
「どっち側に流れてます?」
私は視力が悪いのでよく見えない。先生に確認して貰うと、西側、と答えが返ってきたので、私はすぐに西側の方へ走り、土手を滑るようにして降りた。
「あ、あった!」
別に思い入れがあるわけじゃないけど。どうしてそんなに必死になる?と言われたら答えようがなくなる。何となく、というか自然にというか。とにかく自分でも分からないが、多分貧乏性と罪悪感の後押しだ、と頭の中で考えていたときに先生が土手を降りてきた。
「間違っても俺が戻ってくるまで帰るなよ」
「え、はい」
そう言って川べりに近付こうとしていた私を押し戻し、自分はスーツの裾を捲り上げて私の目の前で川に入っていった。
幸運だったのは、ぬいぐるみが流れていた場所が膝より深い場所では無かったことだろうか。
多少スーツは濡れたものの、佐伯先生は難なくぬいぐるみを摘み上げて戻ってきた。
「ほら」
ぐっしょりと濡れたぬいぐるみを投げ渡された。うまく拾えず落ちたぬいぐるみを拾い上げる。気付くと先生はもう目の前にいなくて、上を見れば土手を「あぁ濡れて気持ち悪ぃ」と言いながら登っている。溜息ひとつ吐きながら私も隣に並んだ。
「その人形、そんなに大事なのか」
正直、それほどでもないのだが、そこは空気を読んで黙っておいた。無言を肯定と受け取ったのか、先生は勝手に「そうか」と納得してくれた。
「あのなあ、いくら大事だからってこんな時間に川に特攻すんなよ。暗えし、流れが速いところだってあんだぞ……たくよ、教師が生徒放り出していくわけにはいかねえしよー」
「……それが手伝ってくれた理由ですか」
「半分はな」
じゃぁ、そのもう半分は、なんなのかな。
迷わずに川に入って、そのあとこうして生徒を送るように付いてきてくれる、その理由のもう半分はなんなのだろうなんて、馬鹿げたことを考えていると、佐伯先生は、あまり夜に出歩くな、と教師らしい言葉を掛けてくれて。
私は、さっき先生に言った言葉を後悔した。
教師なんてキャラじゃない、なんてひどいことを言ったもんだ。佐伯先生は厳しくはあるけれど、その分生徒の事をいつだって一番に考えて動いてくれているじゃないか。
しょんぼりしているのが伝わったのか、佐伯先生は私に歩幅を合わせるようにゆっくりと付いてきてくれている。そのまま無言で、私のアパートまで二人で歩いた。
「送ってくださって有難うございました……あと、すいませんでした」
「俺、とんでもなく生徒思いだろ?」
「はい……」
「だろ。川に入って、落としもの拾ったうえ送っていくなんて聖職者にしかできねえぞ」
「お陰様です……お世話になりました……」
篭った声でお礼を言う。先生はひとつ頷いてから、自分の顎に手を当てた。
「、あと何かあったかな……………あ!そうだ白木、来週の風紀部の活動についてなんだが」
「先生?」
どうもおかしい。
「なんか、会話を引き延ばそうとしてませんか」
アパートの前でする立ち話にしては、会話をひきのばしてくる先生に、そう指摘する。
先生は別に?と胡散臭い笑顔で微笑んだ。
「でも、今部活の話をしなくても……」
「ああ、今過ぎたな」
あんまりしょんぼりしすぎてたから心配かけちゃった?のかな。申し訳ないな。
……と思っていたのが数秒前の私だけど今はそんな思いも吹き飛んだ。
私はこの先生の大人気なさを甘く見ていたのだ。
「あれー?白木サンこんな時間になにしてるのかな」
「先生……?」
業とらしく腕時計に目を向けた先生は、がしりとさっきの続きのように私の頭を掴んだ。腕時計の針は、10時1分。
その時ようやく私は、先生が会話を引き延ばしていた理由と、歩幅を合わせて付いてきてくれていた理由を理解した。
申し訳ないなんて思っていたさっきの自分を殴りたい。
「俺は教師だからな、決まりを守らない悪い生徒はおしおきしなくちゃなー」
先生の悪人面を見ながら、私はどうにか逃げようと身を捩らせた。
「あの、さっきの言葉は訂正しますから……」
「何の話だろうなー」
俺は教師だから教師として生徒を指導するだけだぜ?と明らかにさっきのキャラじゃない発言を根に持っている先生は、徐々に手に力を入れていく。
程なくして、痛みに呻く私の声がその場に響いた。
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あとがき。(2013.7.7)
……今日は七夕ですね。季節もの書くの苦手なのでとりあえず「川」だけ出しておきました。