短編

□不運の道連れ
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ある日いきなり、帰る家が無くなったことはあるだろうか?


実家。


散歩中。


『ちょっと熱海言ってくるね☆』という家族からのメール。


鍵忘れ。


この単語だけで、樹季の今の状況がお分かりだろうか。





つまり、鍵を持たずに散歩に出たらその間に閉め出されました。



長い黄色のマフラーをぐるっと巻き、散歩の出た時羽織っていた、薄手のコート。いつも無表情のまま動かない顔が、今回は流石に寒さと怒りで強張っていた。

埼玉から熱海となると泊りだろうか。


どうして当日になるまで娘に何も言わなかった。

鍵の件は自分が悪い。

しかし数分近所を回り、帰ってきてドアを回そうとしたら閉め出され、凍える。

ちょっと理不尽が過ぎるんじゃ――。


強張ったままの表情の下、固い顔の割には目まぐるしく色んな事を考えていたその瞬間。不意に背に人の気配を覚えて、ん?と振り向いた先に瞳が捉えたのは、ひどく近い距離の、大久保寿。

「……え……?」

「――なんだか困ってるように、見えたから」




動揺のあまり一言で反応を終えた樹季の目の前で、当の大久保は酷く短いため息を漏らして自分の頬を掻いて一歩樹季から退く。


「怪我とかそういうのじゃなくて良かった」

「これで怪我までしてたら笑えませんね」

樹季はいつもの調子でそう答えて、鍵の事は諦めて自分の家に背を向ける。幸い、火事の時の教訓で、携帯と財布、ネタ帳は持ってきている。



航ちゃんが合鍵を持っているはずだから、航ちゃんに頼んで来てもらおう、と思い、その場で電話を掛けた。


……。



……出ない。


「あの、寒川なら今日、皆と鍋パするって……」


騒がしいメンバーだから、着信音聞こえないんじゃないかな、と遠慮がちに言う大久保に視線を向け、樹季は「貴方は?」と尋ねた。

「電車乗り過ごしちゃって」


「……駅で次の電車待てばいいんじゃないですか?」


「ああいや……上の方で脱線事故があったらしくて」


「不運ですね」


「怪我人はいないって放送入ってたから、それだけでも良かったよ」


大久保は自分の不運など意に介さないというように和やかに笑った。そりゃ人身事故で足が止まるよりは、まだ脱線で電車が動かないと言われたほうが後味は悪くないだろう。



「……じゃー航ちゃん、今日遅くなるのか……」



電話にも出て貰えないとなると、手の打ちようがない。

仕方ない、帰ってくるまで近くの公園にでも行って時間を潰すか、と樹季は自分の家を後にする。

大久保も付いて来た。


「あの」

「なんでしょう」


少し緊張したような声で、大久保が樹季を呼んだ。

人を気遣うような態度でにこにこと笑っていることが常の人物ではあったが、大久保が樹季の前でこんなにも緊張を露にした事は初めてだ。だからこそ、何故と言うよりは驚きの感情の方が強く樹季を支配する。けれどもうろうろと視線を彷徨わせて次の言葉を紡ごうとする大久保は樹季の動揺など知ったこっちゃない様子で、今度は困ったような顔で樹季を見て、それからくしゃりと破顔していつもの表情を作る。

お腹空きませんか――いつもの顔のくせに地顔が優しいこの人はずるいな、そんな下らない事を考える樹季の視界の中で、当の大久保は両手で自分の腹のあたりを押さえた。


「……昼からなにも食べて無くて、鍋パ参加する予定だったから、食べるものも、持ってなくて。よければ、コンビニでも一緒に行きませんか、なんて……。」

「いいけど」


コンビニに誘うのに、どうしてそんなに一大決心をするような言い方をするのだろう。そう思いながら、樹季は大久保と共に最寄のコンビニへ向かった。





*****





コンビニで肉まんを買い、近くの神社の前の階段に腰掛けて二人でそれを食べることにする。罰当たりかも知れないが、神様だってこのくらいでいちいち罰を当てていたら却って大変だから見逃してくれるだろう、と信じている。
しばらく無言で肉まんを食べていると、唐突に大久保が口を開いた。


「あの、樹季、ちゃん」

「はい」

「樹季ちゃんって、もしかして、その、俺の事嫌い?」

「はい?」


丁度食べ終わった肉まんの袋がかさりと音を立てる。樹季は驚きの声を漏らして固まってしまう。

そんな煮え切らない態度を見せつける樹季以上に煮え切らない様子の大久保は、困ったように顔をしかめると、自分の顔をぺたりと片手で覆う。逡巡した様子の困り果てたような行動に、樹季はパチパチ瞳を瞬かせた。


「だからその、初めて会った時があんな感じだったし、まだ怒ってるのかなって……」


夏休み、寝惚けた舞苑、大久保、山下にテントに連れ込まれ、物理的に痛い目を見ることになった樹季だったが、あの件のことは舞苑が主犯だったので、樹季は否定の意を示すためふるふると小さく首を振ると、大久保の顔を見上げて慌てたように言った。


「私が無愛想なのはいつものことなので、気にしないで下さい」

「え、そうなの?でも寒川には」

「あれは幼馴染なので」

「そうなんだ」


ほっとした様子の大久保に、樹季は段々と申し訳なさが湧き上がってくるのを感じた。もう少し愛想よくすることを覚えなければ。

申し訳なさが溜息となり、口から出た。それが聞こえたのか、大久保が慌ててごめんね、と謝ってきた。


「いえ、こちらこそすいません。……どうも、愛想良く振舞うのが苦手で」

「笑うと可愛いのに」

「はっ!?」


さらりと言われた言葉に、樹季は思わず大久保を凝視する、大久保にからかった様子は無く、にこにこといつものように笑っていた。

天然で言ったのこの人!?

却ってどう返していいか分からず、黙り込む樹季に、大久保は気にした様子なく立ち上がり、軽く伸びをした。


「そろそろ鍋パの方も一段落着いたころかな。掛け直してみます?」

「あ……はい」


そうですね、と言って携帯を取り出しながら樹季は大久保と一緒に自分の家に向かって移動を始める。その間にも、大久保がさりげなく道路側に立っていることに気付いたり、歩幅を樹季に合わせてくれていることに気付いたりして、どうにも居心地が悪いと言うか、照れくさくなってしまった。

居心地悪さを打破するため、携帯を開いて寒川に電話しようとするのだが。

不意に目の前に立ち塞がったものに危うく正面衝突しそうになってしまって、すんでのところで踏みとどまった樹季は、訝しげな表情を浮かべながら目の前の生き物を見下ろした。道路いっぱいに広がっているのは猫で、誰かがマタタビでも落としたのか?と間抜けな事をぽかんと口を開けながら考えた樹季は、なにこれ?と恐る恐る隣に立つ大久保に聞いてみた。


「このパターンは……!!」

「パターン?」

「逃げよう、樹季ちゃん!」


ぐい、と大久保は樹季の腕を引いて猫から離れようとする。


その瞬間。


なにがきっかけになったのかは分からないが、ニャー!!という鳴き声と共に、今まで道路に広がって思い思いの行動をしていた猫が、一斉に二人に襲いかかってきた。


「やっぱり襲ってきたー!!」

「えええええぇぇぇえ!?何!?大久保さん猫に何したんですか!!」


「何もしてないけど、いつも襲われ……っ……




猫の鳴き声に二人の悲鳴が混じる。



大久保の不運に巻き込まれた樹季がやっと家の近所までたどり着いたのは、夜も遅くなってのことだった。




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あとがき。(2013.5.22)

笑顔男子と無表情女子、いいね。逆も好き。

大久保は他人の幸せを心からよかった、って言える人だと思う。自分が損することになっても、よっぽどのことがない限り怒るどころかイラつきさえしない感じ。

いい人だ。



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