文芸道

□悪役たちの内緒話
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相手が息を呑む音まで聞こえそうな程静かな教室の中、河内と樹季の視線が交わる。

傍から見れば恋人同士が仲睦まじく額を寄せ合っているような体制だが、二人の間に流れているのはそんな甘い空気ではなく、糸が張ったような緊張感だった。

指ひとつ動かすのも躊躇われる重い空間の中、河内の瞳がすっと細められる。黒い双眸の中に浮かぶのは、怒りと苛立ちをないまぜにしてできたような、嫌悪の色だった。


「あんたのことが嫌いだからだよ。それこそ視界に入るのも煩わしいほどにな」


樹季の目がわずかに見開かれる。
取り澄ましたような表情を崩してやったのが愉快で、河内はくく、と笑みを漏らしながら樹季の肩を離した。

「まあ精々協力しようぜ。今だけはな」

そしてそのまま、空き教室の扉に向かって歩き出す。

「ひとつ質問してもいい?」

河内が教室の扉に手を掛けた時、黙っていた樹季が声を掛けた。

休み時間の終わりが近いが、真面目に授業に出る気は無い。

河内はくるりと樹季に向き直る。

「いいぜ」

樹季は、言いよどむように口を震わせる。
聞きにくい質問なのか、と河内がわずかに身構えた。

「こんな事を聞くのは恥ずかしいんだけど……河内君」



意を決したように、樹季は口を開く。



「最初に言ってた『何の話か分かってると思うけど』の所から何の話してるか分からないんだけど、今の、何の話?




たっぷりふた呼吸分の静寂が教室を満たした。





「……は?」


「だから、なんの話?」



樹季は一点の曇りの無い目で、河内を見た。
河内も見た。正真正銘本物の馬鹿を見た。

「何も分からずに頷いてたのか?」

「河内君が私を嫌いってのは分かった」

「大嫌いに修正しておけ」


無駄に張っていた緊張の糸が解け、河内は教室のドアに体を凭せ掛ける。


「文化祭の騒動についてだよ。生徒会の高坂が噛んでる件だ。新勢力の結成を、文化祭を利用して行う。聞いてないか?」

「ああ……」

文化祭と河内の関係性がいまいち分かっていなかったらしい樹季は、ようやく納得したのか、はっきり頷いた。


「で、その騒動を起こす間、お前の安全は保障する、お前は文化祭以後不良に近付かない。いいか?」


子供に言い聞かせるようにゆっくりと、確認を取る河内に向かって、樹季は頷く代わりに眉を顰めた。

「私から近付いたことはない」

テスト期間の話にしろ、その後の食事会にしろ、了承したのは樹季でも、誘ったのは後藤の方だ。

樹季に言わせれば釘を刺すべきは自分でなく後藤だろう、と言いたいのかもしれない。
珍しく不機嫌そうな顔を隠していなかった。

険しい顔をした樹季を珍しそうに見て、河内は目を細める。

「後藤だけじゃない。俺の前にも、桶川先輩の前にも現れないこと」

「それは無理だわ」

今度は即答だった。
河内の眉間に皺が寄る。

「……もう少し考えて答えを出せよ」

「いや、授業とかあるし。それに、折角桶川先輩と仲良くなれたしねえ」

その言葉に、河内の拳が握られる。
暴力を振るう気はない、ただ力が入ってしまっただけだ。

「……分からないかなあ」

暴力の代わりに、河内は口を開いた。

「そもそも、俺らと一般生徒が馴れ合いをすること自体が間違ってるんだよ。それが番長なら尚更な。野郎たちへの面子もあるし、第一、馴れ合いが高じて他の奴に足元を掬われるようじゃやっていけない」

「河内君?」

「番長ってのは、常に一人で立ってなきゃいけないんだ。絶対に手の届かない存在でないといけないんだ」

「ねえ、河内君」

「そんな所に、一般人が入り込んできても迷惑なだけなんだよ。分かったら、」

「河内君、さっきからなんの話してるの」

「さっき言っただろ!」

思わず声を荒げ、河内は樹季が座る椅子の前に戻り、音を立てて机に手を付く。樹季がちらりと机の上にある河内の手に視線をやる。怒りか苛立ちか、河内の指先は少し震えていた。

「そうじゃなくてね」

樹季は落ち着け、というように机の上の河内の手に自分の左手を重ねる。
テストの一件を機会に不良の扱いに多少は慣れたのか、ためらいは無かった。

「河内君、自分で言ってて矛盾してると思わない?」

「何が」

「文化祭で河内君がすることは、先輩への下克上で合ってる?」


まあ、間違ってはいない。河内は頷く。


「つまり、先輩を蹴落として河内君が番長さんになるわけでしょ」


それも間違っていない。


「さっきから聞いてると、河内君は『桶川番長』の心配をしてるように聞こえるんだけど」


それは、


「違う」

先程樹季に対して、考えて答えを出せ、と言った河内だが、今の答えも考えて出したわけでは無かった。反射だ。


「じゃあ、『ただの不良の桶川君』と私が仲良くすることは、『河内番長』にとってなんの不利益があるの?」


一瞬、言葉に詰まった。

その一瞬の間に、樹季は河内の手から自分の左手を退かし、椅子を軽く引いて立ち上がる。




「……あんたが嫌いだから、見たくもないんだよ」

喉の奥から絞り出すような河内の声を聞いて、樹季は、へぇ、と相槌を打つ。大して信じていなさそうな声だ。

「私だったら、相手にどうこう言わないで、その人と極力関わらないようにするけどね」

河内の横をすり抜け、樹季は教室のドアを開ける。授業が始まっている時間の廊下は、恐ろしく静かだった。

樹季はその静かな廊下に出て、ドアを半分閉める。少し開いたままのドアから河内の方に身を乗り出し、べっと舌を出した。

「ガキんちょが」

「なっ」

河内が走り出すより早く、教室のドアがぴしゃりと閉まる。

机や椅子を倒しながら河内がドアに駆け寄り、廊下に出るが、案外逃げ足の速かったらしい樹季の姿はもう見当たらなかった。

舌打ちをして、河内は自分の膝を殴りつける。
止まっていた手の震えがまた戻ってきていた。






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あとがき。

夢主は河内の話を聞きながら、この人、拗ねた時の航ちゃんに似てるなあ、とか思ってる。(だから若干子供扱いしてる)

夢主は不良やヤンキー苦手設定ですが、
不良は不良でも河内のように見た目優等生ならあまり怖くない模様。


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