学怖短編

□裏側1
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・『始まりと始まりの関係』の番外編、友人「赤部」の話。
・綾小路君相手。名前変換なし
・本編16話あたりからちらほらリンクしてます




小さい頃から、他人に興味を持てなかった。ドライに生きて、気か向いたときと余裕のあるときだけ他人を構えばいい。薄情になりすぎないよう、だけど深く関わりすぎないよう、自分の安全を第一に生きる。周りもそんなもんだと思ってたから、自分の異常に気付いたのはだいぶ成長した頃だったけど。




「だから正直、あんたが不幸になろうが幸せになろうが、どうでもいいんだよね」





***





悪魔と契約者は魂で縁を結ばれる。どんなに逃げても、悪魔はその縁を辿って追ってくる。それは嫌というほど分かっているのだが、綾小路は逃げずにいられなかった。


…………誰かが自分の名を呼んでいる。
こっちは返事をする余裕もないっていうのに。大川から逃げるので精一杯で…………ああ、なんだ、風間か。

綾小路は震える足をシャンと立たせ、呑気な顔で自分の名を呼ぶ風間の方を見た。美術室の方から半身だけ出して綾小路を呼ぶように手招きしている。


「会わせたい子がいるんだ、ちょっと来てよ」


その時はなぜか、ふらふらと足が引き寄せられるように美術室の方に向かっていた。大川の件もあって、風間に対しては他の人間よりも警戒していたのに。

風間が会わせたいというから、どんな奇抜な人物かと思っていたら、風間が連れていたのは、以前吹奏楽部に体験入部していた女子で。

なぜだか夏なのに冬服を着ていた事と、日曜の夕方に学校に来ている事以外、特に引っかかることは無かった。というか気にする余裕も無かった。話の途中で大川の臭いが近付いてきたのだ。
思えば、それが始まりだったのだ。
やはり風間に関わると碌なことがない。





大川から逃げ回り、しばらく経った頃だろうか、ようやく引き離した、と息をついた頃にはもう大分日が傾いていた。鳴神は校舎が広いので逃げ回るにはもってこいだ。その点では感謝しよう。

乱れた息を整え、警戒して周りを見る。走り回った末、また美術室の前に戻って来ていた。

会わせたいというからにはさっきの女子は自分に用があったんだろうが、それなのに途中で話を切り上げてしまって申し訳ない事をした。


…………ああ、俺はまだ他人を気遣える余裕がある。


大丈夫だ、まだ俺は人の心を失っていない。
悪魔召喚に使う生贄にはちゃんと申し訳ないと思っているし、生贄も無差別に選ばず殺しても問題ないような人物を選んでいる。


俺はまだ、まともな人間だ。


自分の中の歪に気付かぬまま、綾小路は美術室の中に入った。走り回って、随分経った。椅子に座って休みたかったのだ。


「……?」


もしかして、さっきの女子がまだ居るのではないかと綾小路は準備室の中に入る。奥の床に、生徒手帳が落ちているのを見つけて、綾小路はゆっくりそれを拾い上げた。

背後で準備室のドアが閉まる。はっとして振り向くが、大川の臭いが近付いてくる様子は無い。風で閉まっただけらしいと気付いて綾小路はほっと肩を降ろした。早足でドアに近付く。あまり長い時間準備室の中に居ると、大川が来た時に逃げ場が無くなってしまう。焦ったせいか、外開きのはずのドアを引き開けようとして、大きな音を立ててしまった。落ち着いて、ドアを押し開ける。

思わず肩が跳ねた。誰も近付いて来る気配などなかったのに、美術室の中には腕を組んだ女子が行儀悪く机に座って足を揺らしていた。さっきの女子と同じように、冬服を着て、更に制服のスカートの下にジャージを履いている。


「私と同じ、冬服を着た子、来なかった?」

「え……あ、おそらく帰ったんだろうと……」

「はぁー?なにそれ、折角待ってたのにさあ」すとんと机から降りて、女子は美術室から出て行こうとする。思わず綾小路は女子を呼び止めた。



「ま、待ってくれ、どうしてこんな――こんなに暗いんだ?」
さっきまで、夕日が差し込んでいた明るい美術室は、がらりとその姿を変えていた。陽の刺さない教室は、蛍光灯の明かりが点っており、床に冷たい影を作っている。

それにやけに寒いのもおかしい。今は夏の筈なのに、底冷えするような寒さが周りを渦巻いている。


「どうしてって、……気付いてないの?」


女子は訝しげな様子で「綾小路さんですよね?」と確認してきた。

綾小路は事情が飲み込めず、言葉を探す。「どうして」


「有名だから」

「僕の名前じゃなくて……この、場所の事なんだけど。今何時だ?」
「七時半」
風間とはまた違う、どこか人を試しているような口調だった。彼女は唐突に「あ」と声を漏らす。綾小路の手に握られている学生証に気付いたようだ。断りなく手を伸ばして、綾小路の手からそれを抜き取る。綾小路に近付いた際、少しだけ眉を顰めた。


「綾小路さん、薬草臭い」

「え」

「自分の臭いは自分じゃ気付かないって言うけど、それじゃ他の人に気付かれるよ――……悪魔召喚」


「!」どんと胸を押され、綾小路は床に尻餅を付く。数歩下がった先にあった準備室の中に押し込まれた形だ。敷居を挟んで美術室側に立つ女子は、自分がやったことなど気にせず手の中の学生証を振る。「返してくれてありがとね」


「おい、待て!なんで悪魔の事を知ってっ……」


綾小路の叫びを無視して、女子はバタンとドアを閉めた。慌ててドアに縋り付くが、糊で固められたようにドアが開かなくなっていた。ベランダへ続く窓に駆け寄る。窓の鍵を塞ぐように大きな棚が置かれていて開けることができなかった。

暗い美術室の中を、恐る恐る振り向く。彫刻用の金槌が棚の中に、あった。鉄の匂いが真っ先に鼻に飛び込んでくる。同時に血の匂いを思い出して、顔を背ける。むせた。

目頭を擦り、涙を流し、咳を終えて近付く。窓を割るのには丁度いい大きさだ。使い込まれた鉄の表面には僅かに凹凸が残っていた。これで人の頭を殴ったら金槌ではなく頭の方にへこみが残るのに、と思いながら準備室の窓を割る。幸い、外に人影はなかった。

窓からベランダに出て、空を見上げると、やはり外は明るいままだ。気温もじっとりと蒸し暑い。ベランダを通って、美術室の中を伺うが、中にさっきの女子生徒はいなかった。狐に抓まれた心持で、旧校舎に向かう。そうだ、今日は悪魔召喚をしている途中で大川に邪魔されたから、片付けもできないまま、帰るわけにも行かないままで校舎の中を逃げ回っていたのだ。

ならば、さっきの女子はその悪魔召喚をしようとしていた部屋を見たから自分の事に勘付いたのか?いや、部屋の中に綾小路に結びつく私物は置いていなかった筈。唯一、部屋に転がっているはずの生贄が綾小路のクラスメートだが、それも犯人が綾小路と断定できる材料にはなりえない筈だ。


「……匂いか?」


自分の腕を鼻に近付けて嗅いでみると、確かに、薬草の香りが移っている。言われなければ気付かなかっただろう。自分が一番神経質になっている部分から失態を犯すとは。綾小路は顔を顰め、歩みを速めた。さっきの金槌は、万一置いておいて自分が割ったとばれたら厄介な事になると思ったので、制服のポケットに入れた。

他の人間から見れば笑ってしまうくらい念の入れようだろうが、しかししかし、綾小路にとってこのような過敏な行動は当然の行動となってきている。

そういう生き方しかできない道に踏み出してしまったのだ。



ハリネズミのように武装して身を守って、歩み寄る者も遠ざけてひたすら自分を守って。

そうしなければ自分の安寧は手に入らないのだ。


――嗚呼、彼はゆっくりと壊れていっているのかもしれない。





***





それきり、美術室での出来事を気にすることはなかった。一度、風間が紹介してきた例の女子を家に送る時、風間や、悪魔召喚のことを知っていた者と関わりがある人物だという理由で彼女に手荒な真似をしてしまったが、それだけ。それだけだ。殺してはいないから大したことじゃない。

自分が無事だったのだからそれでいい、と警戒しているのかしていないのか分からない調子で綾小路は日々を過ごしていた。そういう彼の、周りを威嚇しているようなのにどこか隙のあるその態度が、加虐趣味を持つ悪魔やいじめっ子を呼び寄せている要因のひとつなのだが、本人にその自覚は無い。

まあ、引き寄せられている側も自覚があるわけではないのかも知れないが――




「おや」


ぜえはあと息を整えている綾小路の耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。声の方を向く。

ああ、また美術室の前に来ていた。


「君は……」

「また会ったねえ」


冬服に、ジャージを着た少女。呼びかけて、名前を知らないことに気付く。名前を教えて貰えるか聞いてみた。

そしたら彼女は、うん、と頷いて美術準備室の中から顔だけを出してドアノブに手をかけたままでもう片方の手で綾小路を手招きした。

「あかべって、よばれてる」

本名は教えないよ、君と違って用心深いからね。


人を食ったような笑みを見せてつぶやく赤部、風間並みに扱い辛い人間かもしれないと綾小路は眉間に皺を寄せた。


「なぜこちらに来ないんだ」


手招きする彼女の手を見ながら、綾小路は用心深く訊ねる。「別に」と気の無い返事が返ってきた。


「そっち、怖いもん」

「そっち?君は、何者なんだ」


綾小路が訪ねると、赤部はにやりと笑った。
ひやり、と腕に冷たい風が絡み付く。

もうちょっと相手と会話しやすい所まで歩いてみようか。

綾小路はそう思ったが、寸でのところでやめた。せっかくうまく大川を巻いて一息ついていたところなのに、改めて自分から得体の知れないものを抱え込む必要はない。


「一年生だよ。恵美ちゃんや坂上君と同じさ。だから綾小路さん、頼みたいことがあるんだけど」


赤部は準備室から手を伸ばし、美術室の床に紙袋を置いた。


「あの子にこれ返しといて。あの子、部室にこれ置いてっちゃったんだよね」




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