「名前のないavventura」

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「う……なんなんだ、お前…」
「うるせえ」
「……」


素直に口をつぐんで地に伏せる黄山の不良の頭を掴んで、片腕を伸ばして制服のポケットを探ると、携帯に手が触れる感触がした。

満足して息をつく。




「情報げーっと」




いつものように軽い調子で言ってやったら、惚けたように黄山の不良が俺のことを見上げてきたから、なんだか腹が立って、そのまま掴んだ頭をぽいと投げ捨てた。



「えげつない」

「同感だ」



一緒に町中をパトロールしていた早坂先輩と由井先輩に立て続けにそう言われた。
渋谷から女クラが不良に絡まれる事件が相次いでいると聞いてからは、渋谷を除いた風紀部男性陣は放課後と朝に町のパトロールに出ている。
今日はたまたま合流しただけで、いつもは俺一人で回ってる。俺はパトロールというより、自分が最近黄山の生徒にカツアゲされそうになることが多いから先手を打って伸してるだけだ。結果として、絡まれてる緑ヶ丘の生徒を助けることもあったけど。





「鼻っ面ブン殴ってることですか?戦意喪失させるには一番でしょ」

「その後相手が降伏してるのにオーバーキルした上で携帯まで拝借してることだよ!!なんなのお前、怖ぇんだけど!!」




オーバーキルっていっても心を折るためにしていることだからそんなに体にダメージがいくことはしていないんだけど。早坂先輩的にはアウトらしい。


「お前さ、妹が離れてから分かりやすく不機嫌だよな」

「俺が?」

「自覚なしかよ」


不機嫌なつもりはなかった。そりゃあ、こんなに長い間離れたことなかったから心配はしている。みかは未だに携帯を使いこなせてないから連絡もまともにとれないし、山下さんとのことがどうなったのか気になりもしてる。




……翔影を介して状況を知ろうとしたけど、初日に電話しすぎて華麗に着信拒否を食らってしまった。




俺の中では不安とか心配の感情が大半を占めてるんだけど、そうか、不機嫌に見えるのか。

確かに、佐伯先生がなにかを俺にさせようとして埼玉に行くみかと俺を引き離したと聞いたけど、そのことについて佐伯先生からはなんのお達しもないし。つまり俺はどうすりゃいいんだと、そういうフラストレーションは、うん、あるっちゃある。


ショーウィンドウに写った自分の表情は、みかが拗ねたときの顔によく似ていた。なんだかばつが悪くなって、俺はヘアバンドをずるずると瞼上まで下げる。


「大体お前、喧嘩はできないって言ってなかったか?」

「家族に喧嘩したことがバレると面倒ってだけですよ。喧嘩自体はできます」

「ああそう。ま、気をつけろよ。連中、野々口を探してはいるけど、あんま暴れすぎると今度はお前も標的になるぞ」


一人にしておくと危険という理由で、結局一緒に見回りをしようという事になり、俺は先輩達と行動をともにする結果となった。
そして、後に、真冬さんが野々口歌音の教室に行っているということをばらしてしまって、早坂先輩、真冬さん、ついでに佐伯先生から怒られる事になるんだけど――

それはまた、別の話。





***





どうしよう。


澪架深の心情を一言で表すとしたらソレだった。

山下は澪架深を家まで送り届けようと、無言で隣を歩いている。何か声をかけるべきか思った澪架深だったが、どんな言葉を選べばいいのか、その言葉を選んだ先にどんな結果が表れるのか、てんで分からなかった。
今なら、天深や翔影、上の兄が揃って澪架深の事をガキだと表していた理由が理解できる。あんな時にどう動けばいいのか判断するだけの力が、澪架深にはない。

今横を向いたら、山下はさっきのように泣きそうな顔をしているのだろうか。それすら確かめるのが怖くて横を向けない。

決して山下の事が嫌いなわけではないのだ。悲しませたくもない。ただ、山下が自分に与えてくれるであろう熱量を知って、同じだけの熱を自分が返す事ができるか自信が無い。


嘘では意味が無い。本心で無ければ意味が無い。


嫌われたくない。悲しませたくない。喜んで欲しい。そのすべての願いを叶える答えは、返事は何か、澪架深は知っている。だけど、それを口にして、その言葉に一切の嘘がないのかと言われれば、頷けない。
純粋な感情の中にいくらか混じる、甘えや妥協や打算。そしてかつて抱いていた尊敬や友情の気持ちが、本当に山下が自分に与えてくれる感情と同じなのか、確かめる術が無い。

うつむきながら歩く澪架深の背を叩いて前を向かせながら、山下は呆れたように言った。


「なんで澪架深ちゃんが落ち込むの、いいんだよ澪架深ちゃんは気にしなくて」

「気にしますよ」

「それもそうか。気を遣っちゃうもんね、澪架深ちゃんは。ほら、前に大久保がゲーセンで絡まれた時もさ……」


優しい声だ。


澪架深が会話に困っている事を察したんだろう、山下は自分の方から澪架深に話を振る。


澪架深が気に病まないように。少しでも心を軽くできるように。
「……」


あ、と澪架深は心の中で呟きを漏らした。


きっと自分はこのひとのことが好きなのだ。だけれどそれは、彼と同じ好きじゃない。

相手の事を気遣うように言葉を選ぶ優しさも。人の気持ちを慮って待っていてくれる心の広さも。相手を支え、相手の幸せを自分の幸せと言える懐の深さも。

全部全部、澪架深が持っていなくて、羨ましくて、ときには妬ましくもあって、それでもやっぱりすごいなあ、と思う、これは、尊敬の好きだ。

尊敬するひと。友達としてほこらしいひと。そして家族のように近くで見守ってくれるひと。

澪架深の無茶も、仕方ないというように笑って許してくれる。

好きな料理の話を一緒にしてくれる。

無理しなくていいよ、と支えてくれる。


澪架深は、そんな山下のことが好きだ。たくさんたくさん好きだ。


けれどそれは、彼の望む好きじゃない。


澪架深はひたりと足を止める。遅れて、山下も足を止めた。


「澪架深ちゃん?」

「……山下さん、私、山下さんがすきです」


ずいぶんとかすれた声が出た。じわりじわりと、目の端に涙の粒ができて、視界がゆがむ。山下がどんな表情をしているのかすら、分からなくなってしまった。

けど、違うのだ。この好きは、あなたのそれとは違うのだと言わなければいけなかった。それなのに。


澪架深の腕を、山下が引いた。ぼすりという音と同時に、澪架深の顔が山下の胸に当たる。そのまま頭のうしろに手を回されて、強く顔を胸に押しつけられた。

瞬きに押し出されて、涙が流れていく。クリアになった視界の中、見上げて目に入ったのは、泣きそうな、笑いそうな顔。「ありがとう」


「え、ちょっと山し」


膝を曲げて小柄な体を余計に低くしつつ、澪架深を見下ろす。


「ちょっと、ごめん」


片手を澪架深の頭、片手を澪架深の肩に置いてゆっくりと近付いてくる。

山下の唇が澪架深のものに重なる。びりびりとした衝撃が頭の中に走った気がした。

警告音が鳴る。澪架深の中で、何かが壊れてしまうような警告音。

唇はすぐ離された。時間にしたら何秒となかったろう。けれど、山下はそのまま澪架深の頭や肩に置いた手に力を込め、逃がさないというように抱きしめた。
「澪架深ちゃん、」




だめだ、続きを聞いては。




そう思うのに体が動いてくれない。



「俺、澪架深ちゃんのことが一人の女の子として、好きです」



ぴしり。

じわりと心に染みていく喜び。同時に、澪架深の中の何かに壊ひびの入る音がした。

喜びよりも、なにかを失ってしまった喪失感の方が大きくて。澪架深は更にぼろぼろと泣き出した。

ああ、何かが壊れた。何かが死のうとしている。今この瞬間。自分の中にあった大事な何かが、死のうとしている。

呆然としていて、呼ばれているのも気づかなかった。


「澪架深ちゃん?」


心配そうな山下の顔。

人通りのない道に差し掛かったとはいえ、遠くから、車の音や人の声が響いてくる中、澪架深は一拍の後に、大きく息を吸った。


「……ぅわああああああああああああああああああああああん!!!」

「えっ!?」


キャパオーバー。


完全に容量超えだった。


メールや電話越しとはわけが違う緊張感に、澪架深はパニックになる。
焦った山下が、落ち着かせようと澪架深の頭に手を置こうとした、だけど澪架深は、その前に身を引いて、猛ダッシュで弟が待つ自宅の方へと掛けだして行ってしまった。

残された山下は、呆然とその背を見送るばかりだった。





***





恵比澤家長男恵比澤遙彦、現在医大生、将来の夢は医者。

昔は少々荒れていたこともあったが、今はそこそこに落ち着いてるし、ある程度の問題にも対処できるようになったと思う。


けど、なんだこの状況。


数週間前に借りはじめたアパートの玄関先で泣き崩れている妹を眼鏡越しに見下ろし、俺はただ端的に「どうしたお前」と聞いた。

前もって翔影から、埼玉に一週間遊びに来るから泊まらせてくれと連絡があったから、来るだろうという心構えはしていたし準備もしていたが、流石にドアを開けてすぐ泣き崩れている妹がいると誰が思おうか。


「……お兄ちゃんお帰りぃいい」

「だからどうしたお前。お帰りじゃねえよ」


まさかまた、喧嘩やカツアゲに巻き込まれたんだろうか。再三注意しているのに、この妹たちは面倒事に首を突っ込むのをやめてくれない。血は争えないというか、俺の影響じゃないだろうな。


言いながら、靴を脱いで玄関に上がる。


とりあえず鞄を置こうと居間に入ったら、こっちはこっちでソファに座って項垂れている末弟が居た。


「翔影、なんだあれ」
「……実はさあ、また山下さんとひと悶着あったみたいで」


疲れた様子で、澪架深にあった一連の出来事を話す翔影。どうやらまた山下とのいざこざらしい。おうおう青春だなお前ら。


「玄関先で泣かれたまんまってのもあれだし、家に上げようとしたけど動かなくて。……兄貴、頼んだ……もう俺慰め疲れた……」

「しゃーねえな。ああもう。翔影、ちょっと台所でココア作れ」


言い置いて、俺は玄関先に戻る。

うぐうぐと嗚咽を漏らしている妹を有無を言わさず抱え上げ、寝室の方へと進んだ。


非難の声が聞こえたが、無視してそこに放り込むと、もにょもにょと言い訳にも似たようなものを呟きだす。
要約すると、頭を冷やしたいから玄関にいたい。というものなのだが。

あえて聞こえないフリを続ける俺に仕方なく外を指差し、言う。


「そと……散歩してきたい……」

「暗くなってきたから却下」


ざっくりと切り捨てて、ベットに腰掛けさせる。なんでこう危機感がないんだうちの妹は。
その時ちょうどココアを持った翔影が寝室に入ってくる。


「外に出るなら俺も付いてくからな」

「お前も駄目だ馬鹿」


喧嘩が強いのは兄弟共通だが、兄としてそれは許可しかねる。人のことを言えた立場じゃないが、それはそれこれはこれ。

翔影からココアを受け取り、それを澪架深に渡す。澪架深がちびちびとそれを飲み始めたのを見計らって、翔影を部屋から下がらせた。


「……落ち着いたか?」

「……少し」

「で?翔影から聞いたけど、山下にキスされてテンパって逃げてきたんだって?」

「うぐ」

「最悪手だなぁオイ」

「うぐぐぐ……!」


いつもはこのあたりで天深がフォローに入るんだが、生憎ここに天深はいないし俺はそんなに甘やかす方針はとってない。


「嫌だったか」
「……よくわからない」
「じゃあ、嬉しかったか?恥ずかしいから逃げたのか」
「わからないってば」
「……お前はどうしたいんだ、それをお前が分かってなきゃ山下だって困るだろ」
「……家族みたいな、ものになりたい」


目を逸らしながら言った澪架深の隣に腰掛けながら、俺は大きく息を吐いた。


「無理に決まってんだろそんなん。お前が言ってる家族ってのは兄と弟のことだろ。俺と天深は16年、翔影は15年。そんだけ一緒にいる人間と、知り合って2年かそこらの奴の価値観が一緒になるかよ。第一、家族の絆ってのは恋仲にならないのが大前提だからこそ築けるもんなんだよ。その条件を満たしてない時点で山下は無理だ、無理無理」


鼻で笑って、座ったばかりの体を乗り出して妹の方に目をやる。










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あとがき。

長男初登場。厳しいし口は悪いけど、進む方向をしっかり指し示してくれる頼れる兄貴なイメージ。




 

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