「名前のないavventura」

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数分前。



トイレに立つと言ってメールのチェックをしていた渋谷は、すいっと近付いてきた気配に顔を上げた。


「渋谷、なにしてんの?」


急に掛けられた声に驚きながら見ると、空のグラスを持った真冬と、後ろに従うようにして付いて来ている澪架深。


「……あっ!!」


空のグラスに澪架深という組み合わせで、澪架深が何をしようとしているのか察した渋谷は、澪架深に向かってなにか言おうとしたが、その前に澪架深がたーっとドリンクバーの方に駆けていってしまった。


こんな時に限って後を追わずに残る真冬。渋谷は澪架深と真冬を見比べ、ちょっと迷った末に、後輩根性に負け、真冬の元に留まった。


「……メールの確認してただけですよ、緊急のヤツとか来てたら困りますしね」


諦めつつ、さっきの真冬の質問に答えれば、真冬が驚いたように瞬きをした。


「わざわざ外出て見てたの?」


「当たり前でしょ、目の前でパコパコケータイやられたら失礼じゃないっスか」


東校に入る前から、そういう礼節関係には気を配っていて、何度か東校のメンバーにも、そんなに気にしなくていいとは言われていたが、もう、こういうのは癖に近い。



何となく、感じていた。



自分のこの上下を重んじる性格は、実力重視の東校に向かないと。

それでもずっと友達や知り合いとつるみながら、卒業まできた。

深く入り込まず、浅く広く付き合うには、普通の学校よりも東校の方がやりやすかった。

それなのに、気遣い癖は渋谷から抜けない。これはもう直そうとしても直らない気性だろう。
たまに、この性格が自分で煩わしくなるけれど。大半の場合、感謝されることや褒められることが主で、人付き合いにおいては都合のいい性格だから、あまり問題にはしていない、のだが。



本当に、ごくたまに、気遣い屋で、細かい事に気が付いてしまって、そして臆病な自分の性格が嫌になる。



だから、『それ』に気付いたのは、わずかに渋谷の方が早かった。
「あの……だから、時間なので……」
「えー、もうちょっといいじゃん、門限なんて破っちゃえよー」
カラオケルームから半身を出している男。それに、怯えた様子の二人の女子。性質の悪いナンパだ。気にしない人が見れば、そのまま素通りしそうなよくある光景ではあったけれど。
渋谷は生憎、困っている女子を見て、『気にしない』なんてできない性格だった。


渋谷は、隣にいる真冬にも気付かれないよう、大きく深呼吸すると、ぐい、と足を進めて、絡まれている二人の方へ歩を進めた。

どうすればいいか、考えるより先に体が動いた分、渋谷のほうが真冬より早かった。


「先輩、早坂先輩達呼んできて」


そう言い置いて、自分の震える手を隠すようにポケットにつっこんだ。だけど、胸を張って歩く。怖がっていませんというように。ただ、能天気に近付いてきた馬鹿な男を演じる。



ああ、本当に、この自分の性格は、たまにやっかいだ。



適当に声を掛けて絡まれていた女子を逃がす。

当然ながら、代わりに男の怒りの矛先が向いたのは、渋谷だ。


カラオケルームに引っ張り込まれて、胸倉を掴まれる。



「え……?3人……?」


連れ込まれた先にいた人数に、流石に渋谷も顔色をなくす。


「オイ カメラあるぞ」

「ダミーだろ」


不穏な会話に、震える手が隠せなくなってくる。かちん、と震えの所為で奥歯が鳴った。

その瞬間、カラオケルームに飛び込んでくるひとつの影。

顔を隠すように、制服の上着を頭からすっぽり被った人影は、目にもとまらぬ速さで、不良達の首の後ろに手刀を叩き込んでいく。


「…軽く、押しただけだから。すぐ起き上がるよ」


素人がやれば危険な戦い方ですよと、今まで絡んできていた不良の安否を気にしている渋谷を見つめて言う。





――だって番長さんの戦い方って柔道とか空手の、ちゃんとした武術が基礎になってるんだろ?





天深からいつか聞いた、東校の番長の噂話。

渋谷は、倒れ伏す不良達を信じられない思いで見つめた。自分の通っていた学校の、東方不敗と呼ばれる人物を思い出していた。


「ふー」


真冬はカメラの死角に入ると、無造作に腰を下ろしている後輩を認めた。その傍らには、いつの間に入ってきたのか、丸く目を見開いたまま動かない澪架深の姿があった。


「恵比澤さん……」
「え、真冬さん、もしかして、」
「……ま、ご想像の通り、かな」


小首を傾げて真冬が呟く。


もう、この子達には言っちゃっていいだろう。
それでも自分ではっきりと明言しない辺り、やっぱり嫌われたくは無いという思いが表れている。


どうしたものかと思っていると、廊下からだだっと矢のように駆け込んでくる影があった。天深だ。天深は、渋谷のそばに転げるようにして膝をつく。


天深には見られていないだろうが、状況からなにがあったのかはすぐに察したのだろう、僅かに驚いた目で真冬を見上げた。が、真冬にはなにも言わず、隣に居る渋谷を、彼にしては珍しい鋭い目で見た。素早く目を上下させ、渋谷の無事を確かめると、間髪入れずに渋谷の背を平手で打った。


「痛い!」

「うるせえ!」


心配した末の怒りや不安は、その四文字と平手に全て込めたのだろう。それ以外の言葉は発さずに、天深はゆっくりとカラオケルームを見てから、出ましょう、と呟いた。


「そだね」


誰かに見られたら、被害者とはいえ面倒なことになる。真冬は渋谷と天深に手を貸し、廊下に出ようとした。

しかし、床に倒れた不良の内、他の二人よりもタフだったらしい一人が、その間にゆっくりと立ち上がる。そして、一番近くにいた澪架深の腕を掴み、自分の方に引き寄せた。


「わっ」

「!恵比澤さん!!」


すぐに、真冬が気付いて反応しようとしたが、澪架深もそこそこ反射神経はいい。おまけに、今回は最強過ぎる武器を持っていた。


澪架深は一片の迷いなく、右手に持っていたポイズンドリンク(メイドイン澪架深)を不良の顔に、主に口部分に浴びせかけた。



「うわっ」
「うえ……」




思わず天深と渋谷が合掌のポーズをとる。今日のドリンクは緑色だ。メロンソーダか緑茶をベースに作ったんだろうが、底の方に謎の沈殿物が見えていたあたり、味の方は語るべくもない。
そして、澪架深は拳を叩き込んだ。無防備になった不良の腹に。


天深は、即座に澪架深を不良から引きはがした。

万が一にでも顔を覚えられれば、厄介な事になるのは目に見えている。東校のときはなんとか誤魔化せていたが、緑ヶ丘でも障害沙汰をおこして、上の兄にばれたら、それこそ外出禁止になるかも、しれない。

再びばったーんと勢いよく倒れた不良を尻目に、四人はそそくさと部屋を去る。

ドリンクバーで飲み物を注ぎ直しながら(但し澪架深は渋谷と天深に止められたためグラスを持たせて貰えていない)、やはり話題に上るのは『東校番長説』の話だった。ついさっきまでの『お飾りの番長の黒崎真冬』のイメージが消える。目の前に居る先輩が憧れの、東校の番長だったことや、さっき不良を伸した立ち居振る舞いが、急に輝かしく真冬の姿を彩るから不思議なものだ。そしてその反動か、澪架深のテンションが急に上がっている。まあ、無理もないな、と渋谷は一歩引いて見守った。甘いだろうか?でも、澪架深がそもそも緑ヶ丘に来たがった理由というのがこの人なんだから、やはり嬉しく思ってしまうのは当然の反応だろう。



……某西校番長と同系統の人種と思っていたのだろうから、尚更。


澪架深は桜田のように、駒を動かすように子分を動かす人物があまり好きではないようだ。真冬本人の性格はともかく、桜田を連想させる『マスコット番長』の肩書にいいイメージはなかっただろう。




それなのに澪架深が真冬に懐いていたのは、渋谷の密かな機転のお陰だったりする。

ここ数日、というか澪架深と真冬が顔を合わせてからずっと、渋谷は真冬をパシリのように――まあ苛めすぎない程度に、――接してきた。それに文句は言わず、むしろ嬉しそうにジュースを買ってきてくれる真冬の姿は、『人を駒のように扱う人』とはかけ離れていて、澪架深が最初に抱いた『マスコット番長(桜田と同系統)』という悪いイメージは払拭されていたのである。




真冬と澪架深がいい先輩後輩で居られたのは、それぞれの性格、好み、悪印象、妥協点を素早く推し量ることのできた渋谷がうまくイメージの手綱をとっていてくれたお陰だ。
それがなかったら、澪架深の中で真冬の印象は、より悪い方向へと向かっていっていたかもしれない。




それでも、ちょっと残念だったのだろう。
東校の番長がお飾り番長だったというのは。それが嘘だと分かった時の澪架深の喜びようといったら。比喩表現抜きで小躍りを始めそうな勢いだった。


「……黒崎先輩、実は強かったんですねぇ」

「いやでも、私、率いてる自覚はなかったんだけど」


真冬は苦笑いしながら、曖昧に頷いた。その様子は謙遜として澪架深の目に映った。

夕暮れから夜に移り変わる、騒がしさが少し薄れる時間帯。足元には派手な柄のマットが引いてあって、ずっと伸びる廊下に敷き詰められている。そのマットの上で、澪架深は上機嫌にステップを踏んで真冬に向き直った。


「かっこいー!緑ヶ丘では実力を隠してるんでしょ!?裏番やってるって本当だったんですね」

「……それ、誰から聞いたの?」
「舞苑先輩」
真冬の中で舞苑が『殴るリスト』に追加された。殴っても当の本人は喜びそうであるが。
「……天深君、澪架深ちゃん、んでアッキー。今のは内緒ね。こっちで喧嘩するわけにはいかないから」


廊下を歩んでいた足を止め、引き摺って今更後輩たちを端に寄せる辺り、危なっかしいというか、抜けている。人目を気にするなら後でメールですればいい会話だ。

「…ああー。ハイハイ成程ね、早坂先輩たちにも言っちゃダメ、と」

「りょーかいです」

元気よく返事をする澪架深を見て少し考え、天深はつんつんと澪架深を突いた。

「……で、どうすんの連れ戻すって話」

つい先日、妥協すると言ったばかりだが、これでは状況が変わってしまった。



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