「名前のないavventura」
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「俺がただの女の子引き合いに出して挑発するわけないでしょ―――――っ!?おかしいと思おう!そこは疑ってかかろう!?」
一通りツッコミを終えた渋谷は、はあ、と息を吐いて、澪架深に渡した缶ジュースを指差した。
「それ、真冬センパイからね。……本題なんだけど、実際会って話したら、どうも真冬センパイ、番長だってこと、ここでは隠してるみたいなんだよね。だから」
渋谷はもごもごと言って俯く。
言いたい事は、みなまで言わなくても分かる。
黒崎真冬が望まないなら、きっと過去のことはなかったことにした方がいいんだろうって事。
「(私たちの番長像を押しつけるのは、私たちの勝手だしね)」
同じことを、きっと天深も考えたのだろう。だから彼は生徒会室で、番長の話を聞いても無反応だったのだろう。澪架深には、あとで話そうとしていたのかもしれない。
「わかった」
澪架深はこくりと頷くと、貰った缶ジュースを振った。
「口止め料も貰っちゃったしね」
やっすい女なんだよ、私。
いたずらっ子のように笑う澪架深に安堵したのか、渋谷はほっと息を吐いた。
「じゃ、さっそく今日顔合わせにいこう!あ、澪架深ちゃんたちが東校生なのは真冬センパイ知ってるから!」
ぬかるみかけた道を足取り軽く走る渋谷に、慌てて澪架深が付いていく。
そんな二人の様子を、廊下の窓からじっと小鞠が見ていた。
***
正直、やりすぎだとは思うんだよなあ。
渋谷に小銭を渡された瞬間、自販機の方にダッシュする黒崎先輩を見ながら、俺はぼんやりと考えた。
元、東校番長。その実、マスコット番長。その話を頭から信じている訳ではないが、渋谷との接し方を見ていると、あながちウソではないのかも、という気になってしまう。東校の連中がマスコット番長に傅いてるとは考えにくいけど、どうみたって、この、この構図は、いじめっことパシリだ。
一応先輩だぞ。
窘めるように言ったら、ようやく渋谷が意地悪そうな表情を消し、そうしていつもの柔らかい表情に戻った。
この友人は、一体なにを考えているのだろうか。
そんな事俺は知らないし、知ろうとも思わない。
ただ、渋谷は友人だ。どんなにお調子者で女ったらしで食えない奴でも、友人だ。友人の評価が、黒崎先輩の中でガンガン下がってるのが、なんか、嫌だ。
「おぉ渋谷、恵比澤兄、今日も早いな!」
「真面目だなーお前ら」
後から部室にやってきた、由井先輩と早坂先輩はどうやら渋谷を好意的に見てくれているようで、それは嬉しいんだけど。
「じゃー始めまーす。今度の新入生歓迎会、日取りいつにします?」
始まっちゃったよ何か。
っていうか先輩達は黒崎先輩がいないことに触れてあげようよ。早坂先輩同じクラスだろ。
「天深君はいつがいい?」
「えー、じゃあ俺金曜がいいな、遅くなっても次の日休みだし」
「天深君金曜きぼーう」
キュッキュとホワイトボードに渋谷が日付と俺の名前を書きこんでいるが、なんで新入生歓迎会なのに新入生が仕切ってるんだろう。
相変わらずの渋谷イズムに感心していると、学ランのポケットの中で携帯が震えた。先輩方に、失礼、と頭を下げて廊下に出る。着信名を見て、俺は一瞬、動きを止めた。
「……山下さん?」
珍しい。
怪訝に思いながら通話画面をタップすると、思っていたより暗い山下さんの声が聞こえてきた。
「天深君あのさ、近くに澪架深ちゃん、いる?」
「いいえ?」
「そう、良かった。……実は、聞きたい事があるんだけど……」
重々しい声で、山下さんはゆっくりとしゃべった。
「澪架深ちゃんって、付き合ってる人居るのかな……」
「いませんよ」山下さんの様子で何を聞かれるかは予想できていたので、即座に答える。
安心するだろうと思っていたのだが、予想に反して、山下さんの返事は暗い。
「そっか、じゃあ、いるかな。気になってそうな人とか」
ずるずると、廊下の壁にもたれて座る姿勢になりながら電話の声に集中すると、思いつめたようなため息が聞こえてきた。
「……いない、と思いますけど」
あなた以外はという回答は飲み込む。最近――俺達が、転校の話を出したころからだろうか、山下さんの澪架深へのアプローチがすこしだけ、露骨になっていた。
最初の方は気付いていなかった澪架深だけど、いつの日だったか、「最近、山下さんによく会うね」と漏らしていた事がある。その後で、詳しくは知らないが山下さんが澪架深に告白したらしく。澪架深が珍しく、頭を抱えて部屋で転がっていた。
二人が付き合っていないという事は、OKはしなかったんだろうけど。あの日から澪架深は、なんとなぁく山下さんのことを意識しているようだ。だから、山下さんにはこのままめげずに頑張っていてほしい。小さい頃から一緒だった双子の片割れの恋愛話というと、なんだか妙な気分になるけれど、片割れに変な虫がつくより、山下さんに貰ってもらった方が安心できる。
「そっか……」
「どうかしましたか?」
色恋沙汰は他人が口出さない方が得策。よくよく分かってはいるのだが、やっぱり片割れのことだ。気になってはしまう。話を促してみれば、山下さんは言いにくそうに口を開いた。
「実はさ、俺、澪架深ちゃんの事が気になってて……一回、こ、告白、したんだけど――」
***
その時、山下と澪架深は、いつも通りに、空き時間でだらだらと時間を潰していたのだ。
舞苑は寒川と帰ったようだったし、大久保は今日も今日とてサドルが盗まれたからと早めに帰宅した。日直である天深を、澪架深が待っている間だけの、暇潰しの緩やかな時間。
澪架深の持って来たお菓子作りの本を二人で見て、今度これを作ってみよう、なんて、二人で他愛のない会話をしていた、そんな時間。
澪架深と天深が、転校する、二週間ほど前の事だったろうか。
山下はこの時、というかこの時に限らず、自分の淡い思いを打ち明けようなんてことはこれっぽっちも思っていなかった。
というか生涯黙って墓まで持っていくつもりだった。
恋とか愛とか、そんなことを考えるよりも、喧嘩やイタズラ、あと趣味の料理のことを考えていた方が楽しいし、楽だったのだ。
けれどもまあ、一緒に笑って、バカな遊びをやって、たまに喧嘩や言い争いをして。そんなあたりまえの日々が、真冬がいなくなったことをきっかけに、少しずつほころんでいったようで。
そんな中、また、仲間であった澪架深と天深が居なくなってしまうのは、やはり悲しい事だと思った。恋愛ごとを抜きにしても。
そういえば、澪架深は言っていた。この暗い雰囲気が嫌だから転校する、と。
その意図は、空気に耐えかねるから逃げる、という意味でなく、元の空気に戻すためになんとかする、という挑戦の意味だと思う。優しい子だから、周りが落ち込んでいるのを少しでも励ましたいんだろう。
だけど、ならば、このまま東校に留まっていてくれればいいのにと思う。
澪架深や天深がいなくなったら、きっと皆また落ち込む。顔や口には出さないけど、寒川番長は拗ねたように黙り込むだろうし、舞苑はひとりで考え来む時間が増える。大久保は、きっと諦めたように笑って、けれどいつもより少しため息が増えるんだろう。
西校や、それぞれの家族にすら気付かれないほどの些細な変化は、それでも少しずつ、自分たちの中にゆっくり降り積もって重くなっていく。
自分は、どうなるのだろうか。やっぱり暗い顔になる気がする。
生きていればまた会える、そんなに遠くないからすぐ会えるといったって、さみしいものはさみしいんだ。そこまで達観できるほど大人になんてなってないし、そんな無感動な人間になる気もない。
「ねえ、澪架深ちゃんさ、ほんとに転校考え直す気ない?」
澪架深ちゃんは、ちょっと目を丸くした。自分の困惑を確かめるように瞬きをしたけれども、これはむべなるかな。唐突にこんな話を切り出されたら、そりゃ普通、驚くよな。
「東校に残る気はない?」
心中を察して水を向けると、
「考え直すもなにも、引っ越すよって言ったのお父さんですってば。たまたま私達が転校したいっていってた時期と重なっただけで」
そうでした。
「……残ってはくれない?」
「向こうの学校に話通しちゃったってば」
なおも食い下がる山下に、澪架深は少し困ったように首を傾げた後、笑った。
「大丈夫ですよ、ちゃんとあーちゃんと一緒に番長みつけて、引き摺ってでも連れて帰ってくるから」
「無理だと思う」
「じゃあ連休は帰るよう頼んでみる。お休みの日はまたみんなで遊んで、騒ぎましょうよ。山下さんたちがこっちにきてもいいじゃん、向こうは田舎だから、きっと海とか山とか、遊ぶ場所たくさんありますよ、ね」
ふんふんと息を荒げて語る澪架深に、山下は苦笑した。
突拍子もないことは言うし、思いつきで行動するし、危なっかしいから見ていられないけれど。多分自分は、こういう彼女の自由奔放な所に惹かれたのだ。
自由気ままだけど、諦めない、いつだって周りの幸せを望んでいる彼女のことが。
「絶対またみんなで遊びましょう。あーちゃんも寒川も舞苑さんも大久保さんも、顔もまだわかんないけど、番長さんも。みんな大好きだから、絶対また、集まれるようにしますよ!」
「俺も好きだよ」
かちん、と自分の中で何かがはまる音がした。
恋とか愛とか、そんなことを考えるよりも、喧嘩やイタズラ、あと趣味の料理のことを考えていた方が楽しいし、楽だった。
きっとそれは、まだガキでいたい自分が少しだけ、ほんのすこしだけわがままを言っていたんだろう。
けれど、この瞬間、自分の中で、新しい感情を知った自分が大きくなって。
「俺も、澪架深ちゃんが好き」
沈黙が落ちた。
……あの、
「えっと……だからつまりその……澪架深ちゃんは……」
気まずい。
いくら、その、新しい感情を知った自分とやらが大きくなったと言っても恥ずかしいもんは恥ずかしいし照れる。すごく照れる。
なに俺真顔で言ってんの、ていうかこのタイミングで言っちゃう俺なんなの、もっと言い方あっただろ。
一秒の間にぐるぐるぐると色んな思考が通り抜けていった。しかし、肝心の澪架深の返答は。
「私も好きだよ、何言ってんの、友達じゃーん」
「……え」
「ごめんね山下さん、さっき名前言ってなかったけど意地悪とかじゃないから!ちゃんと山下さんも入れてみんなで!遊びましょうねー」
名前、ああうん、たしかにさっき『みんな大好きだから』の中に俺の名前なかったよな。うん、今気付いたよ遅れてショック。
いや、そこじゃない、問題はそこじゃない。
「あの、澪架深ちゃ……」
「あ、あーちゃんからメールだ、日直終わったかな。じゃあ山下さん、また明日ねー」
……という、空振り感が否めないまま、山下の一大イベントは終了した。