始まりと始まりの関係
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私は曖昧に頷いた。
優柔不断な私のいつものくせ。
「絶対よ」
念を押すように言いながら仮面の少女はぎゅっと私の手を強く握ってから、離した。
「……あなたが元の世界に帰れるように。ここに染まってしまわないように。……祈ってるわ」
***
藍が手を振って新校舎に戻っていった後、ひとり残された仮面の少女は、そっと胸の前で手を組んだ。
ふと足元に影が落ちて、見上げるとかつて自分をいじめていた人間達が立っていた。いや、ここに彼らがいるはずがない。彼らはもういない。白い制服と、続く廊下。なにかするつもりもなくて、なにもしていないのに彼らの流す空気だけで彼らが責めているのだと分かる。蝋のような肌だって、何百人もの生徒が同じように身につけている制服だって、少女を責めるように薄く光を反射して少女の視界に入った。幻影にしてはあまりに強い存在感のそれらに、仮面の少女は目眩すら覚えた。幻影のひとつが、笑って少女を見下ろした。『一番帰したくないのは自分だろうに、うそつき』
「……嘘なんてついてない。帰るべきなのよ。あの子は。私と違って、ここにいていい人間じゃないわ。あのこは私と違う」
『だから遠ざける』
「この世界の人とも違う」
『だから縁を切る』
「あの子は元の世界に帰るべきだわ」
『そう、お前が思うから帰す。あの子のこころは置き去りで』
「置き去りになんて」
『あの子、殺人クラブの奴と付き合ってるって』
「無理矢理にだわ」
『昼休みには、友達と楽しそうに話してる』
「まやかしだわ。その友情は」
『そのまやかしの友情や家族愛のためにあの子は何度もこっちに来てることには知らんぷりでいるつもりか』
唸り声のような風の音がより頭をにぶらせる。
幻影達は一様に、どこか宙を見たままで、少女を見てはくれなかった。遠い昔に、クラスの皆から無視されていた記憶が思い起こされて嫌な気分になる。少女が不快に思いながらも、この幻影と会話を続けていたのは、そうしないと遠い冷たい昔の記憶に脳の奥が支配されてしまいそうだったからだ。
一触即発にも思えるその会話。奇しくも、その会話の応酬が、辛うじて少女の意識を闇の縁に留めている。『トイレの幽霊、なぜお前はあいつを帰したがるんだ』
少し、苛立っている声。体温もないのに耳から熱くなってゆく気がする。ただの幻影のくせに、今の彼らからはそんな雰囲気は一切漂わない。強く握った手はそのままどんどん固くなって、返す言葉を模索することも難しい。廊下の湿っぽさや暗さが、少女のこころを侵食していくようだ。
『当ててやろうか、トイレの花子さん。お前は、土生に拒絶されるのがこわいんだ。こんな化け物だとは思わなかったと。そう言われるのが、こわい』
幻影達は、再び少女を鋭い目で見下ろしていた。
幻影と少女は、張り詰めた空気の中向かい合っている。
場にそぐわない暖かな陽光が窓から降り注ぐ。
ただ、空気に舞う埃だけがゆらゆらと揺らめく。
『こんなおそろしいものだと思わなかったと、――そんな言葉を聞くのが、怖いんだろう』
少し陽がかげった。
廊下に目を落とすと、薄暗い床に、震える自分の膝が目に入った。
『ははは。お前は、突き放されるのがこわいんだ。彼女がまるで、ともだちみたいに接してくれるから、それを崩さないように必死になってるんだ』
「何がわかるのよ!幻のくせに!!」
『俺達はお前の幻だ。お前のこころはよく知っているよ』『本当は彼女を留め置いておきたいことも』『彼女を助けるために、ほかの怪談に干渉していることも』『みんなみんな、知っている』
「……」
『しらばっくれるなよ。彼女を犯そうとしてた不良達に、狸の化け物をけしかけてたろ』『結局、彼女の目の前で人の壊れるさまを見せることになって、後悔してることも』『みんな知っているよ』
幻影達はふふっと笑って、のらりくらりと仮面の少女から身を離した。
あえて聞こえないフリを続ける仮面の少女に仕方なくその口元を指差し言う。
『いっそ自分の本性を、打ち明けてみたらどうだ?彼女なら、受け入れてくれるかもしれない』
「言わない……」
否定されて、否定されて、孤独のうちに死んだ少女は、どこまでも自分に否定的だ。
「いくら彼女でも――他の誰だって――こんな恨みに突き動かされたばけものに付き合ってくれる人はいないわよ」
***
鳴神学園はマンモス校だ。
だから、体育大会の団分けは赤・白・黄・青の四色。
「で、弾幕の飾り付けってぇ、どういう風にする?」
「大漁旗みたいなの!」
「恵美ちゃん、それ暴走族みたいにならない?」
「白ばかりじゃなくてもいいんじゃないかしら。黒を使って、モノトーン調にしても素敵だと思うわよ」
「……」
福沢玲子、岩下明美、倉田恵美、元木早苗。学怖主要メンバーの姿が放課後の教室の中にあった。「ねえ土生藍、さん?だったかしら、どんなのがいい?」
遠慮がちに元木さんが話しかけてくる。マンモス校と呼ばれる中で、生徒がくそ多いこの学校の中で、よく私の名前を憶えていたものだ。
「さあ」
私が興味なさげに言うと、元木さんは困ったように声を漏らした。
「………えぇっと」
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あとがき。
霊すらも取り付かれる、それが鳴神。