始まりと始まりの関係

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火の気のない美術準備室が火事になった。


先生が、発火性の高い油絵の具や紙なんかを調べていたけれど、結局火事の原因は分からなくて、どう考えても放火としか思えない。らしい。

その噂を私が聞いたのは、お昼休み、荒井さん、倉田さん、坂上君、私という、ちょっと変わったメンバーでお昼を食べている時だった。


「新堂さんに教えて貰ったんだけど、第二トレーニングルームがしばらく使えなくなるんだって」


坂上君がお昼のサンドイッチを頬張りながらそう言った。この間の集会以来、なにかにつけ彼は新堂さんに「もっと鍛えろ」「部活入れ」と声を掛けられているらしい。坂上君曰く「いらない世話」らしいが。


「ふうん。なんでかしら?どこかの部活が問題でも起こしたの?」


火事について、倉田さんが当然と言えば当然な疑問をぶつける。彼女は一足先にお弁当を食べ終わって、デザートのカスタードプリンをぱくついている。

彼女は、たまに坂上君を連れて殺人クラブの集会に乗り込んでくることがある。最初は驚いていた殺人クラブのメンバーも、今ではもう慣れたもので、いつの間にか二人を含めての殺人クラブ、みたいな雰囲気になっている。余談だが、先日、倉田さんには「次々期殺人クラブ部長は私が頂くからね!」と謎の宣言をされた。どうぞ。



「今、美術準備室にあった荷物を一時的にトレーニングルームに移してるんですよ」


そう答えたのは荒井さん。なぜ一年メンバーの中に彼が居るのかというと、理由は単純で、購買でプリンを買っている倉田さんと偶然会ってそのまま引き摺られてきたらしい。

今日の荒井さんのお昼はメロンパンだ。「普段はちゃんとお弁当ですよ」ジト目でそんな事を言い放ち、さっきまで話していた続きをしようと思った時だった。


「よお、珍しい面子だな?」

「…………新堂さん!」


首ちょんぱを免れた神田さんを従えやってきたのは我らが新堂さん。

あからさまに嫌な顔をした坂上君の表情に気付いて、「なんだよ」と坂上君にアイアンクローをかけていた。


「やめてやれよ」


神田さんが一言言ったけど、無視。関わりたくないのか、荒井さんと倉田さんは見ない振りをしている。いじめの実態を見た気がした。


「新堂さん、第二トレーニングルームが使えないって本当ですか?」

「ああ、そうそう。うち運動部多いのに、あれじゃ雨の日筋トレできねえよ」



助け舟代わりに話を振ると、ようやく坂上君は開放される。「はくじょうもの……」と小さく倉田さんと荒井さんに向かって行っていたけど、当然のようにその呟きは無視された。

「昨日の夜、準備室から火が出たんだろ。無事だった作品や道具を第二トレーニングルームに置いてるって……この辺は荒井の方が詳しいんじゃねえのか、校長に聞いてねえか」

「新堂さんが知ってることとほとんど同じですよ」


自分の台詞を新堂さんにとられて悔しかったのか、荒井さんは少し口を尖らせて答えた。

「火ィ!?あ、あの、それで準備室は……」

「全焼全焼。人がいなくてよかったよな」

火と聞いて思い浮かんだのは美津見さんのことだけど、確かにそうだ、彼女は私を殺そうとはしていたけど、私がいないのに火をつける意味がわからない。私は今立ち入り禁止になっているはずの準備室の方を見上げた。

ドア。ドアは無事なんだろうか。ドアがないと私あっちに帰れない。


「色んな作品、置いてあったのに残念だよな」

ぽつりと新堂さんが言った。


「燃えてよかった作品もあったんだろうけど」

「そういえば、岩下も残念がってたな、肖像画が燃えたって」

「え?」


神田さんの言葉に、思わず反応すると、神田さんは準備室、と準備室がある方向に一瞬目をやってすぐ戻した。


「あそこに、卒業した先輩が一枚、肖像画を置いて行ってたんだ。岩下の肖像画。岩下、それをすごく大事にしててさ……」


私の頬をだらだらと冷や汗が伝う。岩下さんの肖像画は、数か月前に私が日野さんをぶん殴って破壊してしまったんだけど、有難いことにバレていなかったらしい。


「今回の火事、放火って噂だろ。岩下の奴、放火犯見つけたら、肖像画と同じ目に合わせてやるって息巻いてたよ」
有難う。火事有難う。私の帰り道は心配だけど今この瞬間だけは有難う。


「……ていうか、あいつ、俺と付き合ってた時は他の女子と話すなとか、浮気するなとか言ってたくせに、自分はその先輩に未練たらたらじゃないか。なんだよあれ」日野さんのことには今日は触れないでおこう、と思い、あえて福沢さんの話題を出す。「神田さんだって福沢さんと浮気したんじゃないですか」と、私は突っ込むように言った。「神田さん、見るからに浮気しそうなタイプに見えたんじゃないですか」とも付け足した。


その会話が終わってから、私は準備室の様子を見に特別教室棟に行った。他に見物人でも居るかと思っていたけれど、そんなことはなかった。焦げたにおいがする以外はいつも通り。

瓦礫を片付けた先生たちがもう必要ないと判断したのか、準備室の扉は、外されていた。

形ばかり、細いビニールテープが張ってある。奥に、真っ黒になった机が置いてあった。私がはじめてこっちに来たときに、盗聴器を仕掛けた机。もう遠い昔のことのようだ。


ビニールテープを超え、あちらがわに行ってみる。

今まで使えた携帯で、赤部に電話を掛けてみる。繋がらない。
こうして唐突に、突然に。
私と世界は簡単に分断された。





***





「可哀想なことをしますね」中庭にある古びたベンチに腰掛けていた美津見志保は、隣に座った人物にそう語りかけた。

「帰りたがっていましたよ、あの子」実は志保は、準備室の様子を見に行った藍の姿を見ていた。なにやら電話と思われるような物を握り締め、友人の名を呼んで泣いていた。そうやって泣くほかなかったのだろう。人間としての暮らしが長い志保には、藍の心情を想像することは容易だった。


「そんなに彼女を手放したくないのなら、手足を落としてずっと手元に置いておけばいいんです。私もあの子にうろちょろされていては気が気じゃありませんから。手伝いましょうか?」

「うるさいな」

「言ってみただけじゃないですか、怒らないで」肩を竦めて、志保は視線を前に戻した。
「不安になったんでしょう、私が彼女を還そうとするのを見て。手放すのが怖くなったんでしょう」

悪魔の言葉は、人の心を直接縛り上げるように、残酷に響く。


「思いついてしまったんでしょう、私が火をつける、と言っているのを聞いて、彼女を手元に置いておく方法を」
「あなたなら、人というものがどんなに壊れやすくて、どんなに変わりやすいものか知っていると思っていたんですけれど」
「大事に大事にしていたのに、自分で壊すんですね、可哀想な人」
「名前の通り、すべてを失ってしまうことなんて、分かっていたでしょうに」



のぞむ、望。月を亡くした愚者の字を持つ人。
嘲ったように言って、悪魔はベンチから立ち上がる。


「いっそ、こちらがわにきてしまえばいいのに」

「やだよ。悪魔になんかなったら、土生さんが嫌がる」

「それは失礼。……では」

「……じゃあ」


風間は、志保を引き止める事はしなかった。



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