始まりと始まりの関係
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悪魔とは、案外上下関係が厳しい、と言ったのは向こうの世界の友人だ。
弱肉強食、弱い悪魔は基本的に上位の悪魔に逆らえない。この時私は、そう語っていた友人の声を思い出していた。
落ちたトランプの上に、美津見さんが手をかざす。と同時にいきなりトランプがぼっと燃え上がった。
「うえっ」
私は思わず仰け反った。
ネズミの悲鳴のような細く甲高い声がトランプから上がっている。よく聞くと、美津見さんが持っている木箱の中からも、キィキィと小さく声が漏れていた。
「こんな風に、上級悪魔が下級悪魔を殺した場合。この下級悪魔の契約は破棄される」
何か害を与えられたわけではないが、彼女の声の中に殺人クラブと対峙した時のような殺意を感じ、逃げ出したい思いに駆られた。殺意を読み取れるようになってることにちょっと自分でショックを受けた。
しかし、美津見さんはゆっくりと首を振り――
「まだ話は終わってないからだめよ。……それとね、契約自体に穴があった場合――大きく分けてこのふたつがよくある契約破棄の例なんだけれど……特例としてひとつ、契約が破棄される場合があるの」
そこで彼女は、私の胸の辺りを指差した。
「この世界の常識の当てはまらない、異世界からの介入があった場合」
すっと目を細めて、美津見さんは私を見下ろした。
「困るのよね、異世界人って契約もなにも、私達の人知が及ばないものだから、契約のルール自体が適用されないのよ。本来他者が入り込む余地のない一対一の契約に、あなたは容易く介入できる。つまり、悪魔にとってすごーく迷惑な存在なの。そもそも異世界人って、たまに私たちの真名を知ってる人もいるし。怖いわ」
「ま、真名?」
「大川先輩だったら、インキュバス。知ってる?悪魔との契約で名前を晒すのはタブーなのよ、自身の魂の一部を握らせるも同然だから。インキュバスなんかは文献にも載ってるから有名だけれど、私みたいなひっそりと生きてる悪魔の真名を最初から知ってるなんて、気持ち悪いじゃない。ほとんど教えた事、ないのよ」
いきなり初めて会った人に名前を言い当てられたら気持ち悪いのは人間も悪魔も同じらしい。
美津見さんはそれ以上何も言わず、ただ、黙って私の目を見つめる。
彼女は警戒しているのだ。
異世界の人間である私が――彼女の言う契約とやらに干渉することに。
そして、彼女には、人間でいう所の因果関係なんて考える気がないのだ。
ただ邪魔だから、目障りだから消しておく。
目の前の埃を払うかのように、いともたやすく躊躇いなく、彼女はそれを行おうとしている。
準備室の扉がゆっくり閉じられる。
「さよなら土生さん。扉を閉じて鍵をかけて、出られないようにしてから火をつけてあげる。大丈夫、運がよければ帰れるわ」
***
一方、彼女達が話している階下での出来事。
「……つっぎから次へと……鬱陶しいなあ……!」額や頬に青痣を作った風間望は、何人目か分からない不良を蹴り転がして、切った口の端を乱暴に拭った。昇降口で不良達に絡まれ、暴行を受けそうになったときはひやっとしたが、これでも一応殺人クラブの一員である。うまいこと逃げ回っていたのだが、ちらりと藍が、美津見という女子に連れて行かれたという話を小耳に挟んだときに状況は変わった。
逃げるのをやめ、美術室の方に向かおうとする風間を、不良は乱暴に止めようとする。風間は風間で、非暴力なんて掲げちゃいないので遠慮なく不良をぶん殴ったのだが。
……以前、福沢の話で美津見志保のことは聞いている。嘘か誠か、八重樫という不良が率いているグループに力を貸している悪魔だとか。大川のことがあるから一概に笑い飛ばせない、本当に悪魔が藍に目をつけたのだとしたら藍が危ない、なんせ相手は人間を一瞬で炭に変えてしまったり、本の中に閉じ込めてしまったりする化け物なのだ。
一気に階段を駆け上がり、美術室の扉を開ける。準備室前に、知らない女の後ろ姿があって、その奥に藍の姿がある。それだけ確認できれば十分だった。志保が振り返る前に、黒板消しを掴んで、志保に投げつける。丁度振り向いた志保が庇うように腕を上げた。
――土生さんは……?
志保の腕に当たって、黒板消しから白い煙が広がった。
「きゃ!」
突然の事に悲鳴を上げる志保を押し退け、準備室の中で、呆然と立っていた藍の手を掴む。
「え、っ、風間さん!?」
がたん、と。
藍の持っていたキャンバスが、床に落ちる音がした。
「痛い」なんて声を聞いた気もするが、今ばかりは気遣っている余裕がなかった。
「失礼っ」
途中でひょいと藍を抱きあげ、廊下を駆ける。
「わあああぁぁぁぁああ!?」
「ちょっと、うるさい土生さん!!撒かなきゃいけないんだから、お口にチャック!!あと暴れないで、パンツ見えるよ」
「撒くったって……」
廊下に居た美津見の取り巻き不良の姿を確認して、藍が悲鳴を漏らす。
「ええ、なにあの人たち!?風間さん、また怒らせるようなことしたんですか!?」
「一方的に絡まれたんだよ!」
助けにきたのに、ひどい言われようだ。
ああ、なんでこんな面倒臭い子に惚れたのかなあ、
心の中で思った言葉は口に出さずに。
決して落としてしまわないように。風間は藍をしっかりと抱きしめて、走った。
***
「逃げられちゃった」
志保はチョークの粉で汚れた手をぱんぱんと払って、残念そうに肩を竦めた。
「無理やりにでも帰してしまおうかと思ったのに。……あの様子じゃ、帰らないんじゃなくて、帰して貰えないのかしら、あの子」
僅かに憐れむような声で呟く。
そうして志保は美術室を出た。
***
その日の夜の事である。
美術準備室に何者かが火をつけたのは。
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あとがき。
悪魔についての解釈は管理人独自の解釈が混ざってるのであんまり信用しないでください