始まりと始まりの関係

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細田は、廊下を見まわし目立った汚れが無いのを確認してから息を吐いた。
が、情けない事に掃除当番を押し付けられるのが常であるため、クラスメートに逆らえない自分を思い出し、そのことを考えて自己嫌悪に陥ると明るい気持ちにはなれなかった。


さて、一足早く掃除を終えた細田は、岩下と荒井の居る部屋へ足を進めた。手伝うことがあったら手伝おう、と、言えるくらいにはあの二人とは話せる。ちなみにクラスの人とはそれすら話せない。



……しかし、二人が居る、空き教室前の廊下に出たところで、細田は絶句した。



なぜだか、岩下と荒井が向き合って、武器(岩下はカッター、荒井は三角定規)を構えている。

「あら、細田君。廊下の掃除は終わったのね。あなた、掃除はいつも早いわよね。ああ違うの、手を抜いているのかしら、とは思ってないのよ。見ればわかるわ」

「……岩下さんと荒井君は、どうしたの、えっと……」

「あなたは止められもしない癖に、争いの原因を突き止めるのが好きなのね」カッターを構えた岩下がそう言うと、荒井が表情も変えず、「失言しました」と答えた。「独り言が聞こえていたようで」


二人は睨みあっているというか、荒井が後退りしている分、岩下が威圧している。基本的に年上に対して強くは出れない(風間は別)荒井だから、その失言の後は言い訳も言い返しもせず、ただ黙って岩下の威圧に耐えているのだろう。細田は少し同情した。

しかし、彼には岩下の言った通り、この喧嘩を止めるだけの度胸などありはしない。困った顔をして二人の周りをおろおろと動くだけだ。
キチキチキチ、とカッターの刃が鳴る音がする。いよいよ岩下の堪忍袋の緒が切れかかっているらしい。


「ふ、二人共!掃除は!?」


細田にしては、十二分に勇気を振り絞った台詞だった。ヤケになったとも言う。


「よろしくお願いするわ」

「……終わってないんですね……」


「だって、汚れはこちらの方がひどいもの」岩下の口ぶりは、拗ねているようだった。「拭くのに時間が掛かったのよ。モップでもあればよかったのだけれど」




モップなら一階下の用具入れにありますよ、とアドバイスできる雰囲気ではない。部屋を覗いてみたところ、床の汚れは地道に雑巾で拭き終わった後のようだし、細田は仕方なく部屋に入り、散らばったプリントや隅に寄せられているガラスの破片の片付けに取りかかった。




「わあ、何、この状況」




廊下の方で、風間の声がする。睨みあった岩下と荒井を見たのだろう。

「荒井君が私に暴言を吐いたのよ」

風間の語る七不思議並みに短い説明が聞こえた。
風間は「そう」と一言言っただけで、余計なちょっかいはかけずに細田の居る部屋の中に入ってきた。人が居るとは思わなかったのか、少し驚いた顔をして、すぐに興味なさげな顔に戻る。ゴミ箱の中をちらりと見た後、勝手に椅子を出して座っていた。手伝う気はないらしい。




「大丈夫だと思う?」




ぼそっと呟いた声に、細田はしばらく反応できなかった。自分に話しかけられていると、理解するのに時間が掛かったのだ。



「大丈夫、って」

「土生さん」



最近風間は、やけに藍を気に掛ける。他のメンバーはどうせいつもの気紛れだろうと思っているようだが、細田は違った。人の顔色を、伺って生きる彼は、人の心の機微に敏感だ。
おそらく、風間は、風間も初めて持つ感情を、藍に抱いている。
地金がちゃらんぽらんで、何もかもが人とずれている彼なので、その感情が一般に言う甘い男女のあれそれの感情であるか、と問われれば、首を傾げたくはなるが。

細田の他には福沢も、風間の心境の変化には気付き、面白がっていた。

しかし、彼女はプライベートではあまりクラブのメンバーと関わりたがらないため、あまり意味はない。

結果的に、細田が折角気付いても、風間の変化について語らう相手がいないため今の今まで風間と藍の事について深く考える機会がなかったのだ。いやまあそもそも恋バナまがいの話題できゃっきゃうふふできるメンバーではないのだが。


本人は自分の気持ちに気付いているんだろうか、と思うと今度はつい最近の場面が浮かぶ。倉田が勝手に七不思議の集会に乗り込んできた日のやり取りだ。あの時、風間は「藍が浮気している」と言った倉田の言葉に対し、綾小路に向かって「人のものにちょっかいを出すなんて」と言ったのだ。

独占欲の先にある気持ちに、彼自身は気付いているのだろうかと。
問いかける勇気はないから、細田はやっぱり黙る。
「彼女にとって殺人ってさ、すごく重い意味を持つものみたいだし。死んじゃわないかなあ大丈夫かなあ、自殺なんてするようには見えないけど人間って何するか分からないし、土生さん人とずれてるし、そうでなくてもふらふらしてるから事故なんかに」


細田からの返答は期待していないようで、風間はつるつると勝手に喋る。細田もあまり会話が得意ではないから風間の好きにさせていたが、ふいにぽつりと声を漏らした。


「殺人じゃなかったらしい、ですよ。新堂さんたちが、死体を抱えようとしたら、急に意識を取り戻して、走っていったっていうし」

「そうなの?……ああ、そういえば、『悪魔の力を借りてる不良グループ』だっけ。チートだよね、悪魔って。……じゃあ土生さんに、それ、教えてあげた方がいいのかな?どう思う?そっとしておいたほうがいいのかな、明日話したほうが、」

「……そんなに心配なら、送ってあげればどうかな、今日は土生さん帰るみたいだし。確か、坂上君と倉田さんも帰るみたいだけど」

「帰る?」

「今日は、土生さんに殺しの体験をして貰うのが目標だったからね。……今日の人たちは、ちょっと頑丈だから殺しには至らなかったみたいだけど。……日野さんのいう、目的は果たしたみたいだからもういいんじゃないかな」

「――」


ああ、そうなの?となんで知ってるんだい、と言いたげに口の形を動かしかけて、風間は口を閉じる。そして、言葉を飲み込むように一度喉を鳴らすと、「じゃあ、そうする」と言って椅子から立ち上がった。

「そこ、汚れてる」部屋から出て行きざまに風間は部屋の一角を指差す。細田は風間の指差した方に集まったごみを拾い上げた。




「……動物の毛?」






***






「人の感情をコントロールする薬っていうものが世の中にはあってな」




坂上君と倉田さんが帰った後、日野さんがこういった。


「人の殺意を増幅させる薬も世の中にはあるんだ。お前が飲んだのはそれだ」
記憶を辿る。思い出すのは風間さんに差し出されたお茶。
雨の落ちはじめた外を見つめてから、昇降口を降りた。階段で、足音が響いているのが分かる。ぞんざいに物を突っ込んできた鞄の口が開いていないかを確かめた。
「あ」
下駄箱の影に誰かいる、と思う間もなく、その影が近付いて来る。
「風間さん」
「送る」


この人は私に毒を盛った人だ。いや、毒じゃないのか。薬。いいや、とにかく一服盛った。
無視して横を通り過ぎると、勝手に風間さんは付いてくる。


「……責めないんだね」


靴を履き替え、外に向かっていた私の足が止まる。

しとしとと雨の降る校門前で、私と風間さんは向き合う。私は校門から出ていて、風間さんは校門の中。壁もしきりもない空間だけど、確かに彼と私の間には、校門を隔ててなにかの溝が存在した。

いつも通り、軽いような、それでいて冷たいような声で彼は言う。「……気休めにならないかもしれないけど、生きてたよ、彼ら。悪魔に力を借りてたんだってさ。だから、その」風間さんは言葉を切ってから、ゆっくり口を開いた。


「だから、今回の彼らのことは、気にやまなくても」
歯切れの悪い言い方だった。私はそれに答えない。隣から、居心地悪そうな空気が伝わってきた。しばらく歩いて、決めた。打ち明けよう。



「……私やってませんよ」

「え?」

「やってません。私じゃないんですよ、あれ。風間さんがくれたお茶飲んで、眠って起きたらすでにあの状態でした」




風間さんが息をのむ気配がした。



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