始まりと始まりの関係

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「和尚さんが私の名付け親なんですよ」
だから名を頂いたこの日に挨拶にきた、という説明を聞いた。なるほど、これは確かに他人にはつまらない旅行だと風間は頷いた。


「藍さんは奇異な星の元に生まれておりました。ほいでわしがせめてと厄を避ける名を付けたんですな」

「私は姓名判断とか、胡散臭い占いみたいなの嫌いなんですけどね」

「それで丁度いい。信じる者は救われますが、同じくらいに信じぬ者も救われる」


相手が信じなければ、悪いものも憑くに憑けないからといって老人は笑う。確かに、さっきの高木ババアだとか吉田だとかの話を聞いた時も思ったが、藍は非科学的なものをあまり信じていない。だからこそ、形ないものが脅威にならない。認識すらしてくれない相手を取り殺すのは無理だものな、と風間は適当に相槌を打ちながら足を進めていた。


「あれがわしの寺になります。階段が急ですが、そう長くないものなのでご辛抱」


山と丘の中間のような高さの盛り上がりに、まっすぐ階段が延びている。


「落ちそうになったら支えてあげるから、君から行くといいよ」
「なんか生理的に嫌なんでお断りします」
喉元過ぎればなんとやらでまたけろりとしている風間である。
風間を睨みながら藍は全く!と乱暴に足を揃えて立ち止まった。

藍が階段前で立ち止まったのを確認して、老人は足を進めた。しばらく風間も無言でついていったが、ふいに老人が口を開く。




「風間望」




老人の声は穏やかだが、でもその分威圧を感じる。



「風間、風間。厄を運ぶ異端者と言う意味も篭った名ですな。しかし、風の字を導きとし、門から射す日を表す間、望と言う字を満月の意と読み取るなら……貴方はあの子を導く光にも成りえる……貴方がどちらなのかは、わしにはわかりませんが」


ざく、という音が響き、老人が、階段を上り切ったことを知る。もうこんなに足を進めていたのか、と驚きながら、風間はなんとか足を動かした。ふと、後ろを付いてきていない藍のことが気にかかるが、なぜだかこの瞬間。風間は振り向くより先に、足を先に進めなければならないという思いに駆られていたのだ。
「貴方があの子の厄とならぬよう、釘を刺そうと思いまして」
階段の上から、老人の声が降ってきた。
「誉れ、名声、恨み、望月、山の名にして大川。貴方の名は、総じて願いや欲望を現している」
一歩、一歩。
足が自分のものでなくなったかのようだった。老人の方に近付くたび、老人の声が大きくなっていくような錯覚を覚える。そして、最後の一歩。階段の一番上――いや、確か前に、福沢が上の階の廊下と繋がる床の部分は階段に含まれないと言っていた。ならば階段ではなく上の地、寺へ続く地面に足を乗せようとした時。風間の中に警告音のような耳鳴りが響いた。


「望という字は、届かぬものを求める人の形をしております。欲望が過ぎると――」


踏み込むな。本能のような声が頭の中で響く。自分の警告の声を無視するように、風間の足は、一歩を踏み出した。

「――名の通り、月を亡くす王になりましょうぞ」

「!」




がくん
と、地面に置いた足から力が抜けた。




ちょっと待て、今倒れたら――


「お気を付けなされよ、狭間の字を持つ異端の方」






「な……」最後に聞いたのは、温度の無い老人の声だった。





***





「うん……?」星空が流れている。
目を開けて、最初に思ったことがそれだった。「なにここ、電車?」
視線を動かすと、藍が自分を見下ろしているのが目に入った。同時に自分の状態も理解した。
電車の座席で寝かされている。それも、膝枕をされて。「……もしかして、ずっと膝枕してくれてた?」



鈍く頭を鈍痛が襲っていたからすぐに気づけなかった。
ずっと流れていた星空は、電車の中から見えた、外の光景だったようだ。他に人のいない電車の中で女の子に膝枕をされている、そのことにはしゃいでいる自分を見たようだ。目の前の女の子を愛しているというわけでもないけれど。




「直に頭を置いたら傷に響くと思って」藍はさっきまで見せていた拗ねたような顔になって風間に言った。


そういえばあの老人の前で階段から落ちたのだと思い出す。


「……僕が落ちた時のこと、少し話してくれる?」


「言真和尚のお墓参りの帰り、落ちたんですよ。階段で、倒れちゃって」


墓参り、という単語に驚き藍を見るが、冗談を言っている様子ではなかった。

藍の話だと、どうも墓参りをしている時の風間はぼーっとしていて、「らしく」なかったらしい。薄手のシャツで風間が出歩いていたものだから、風邪でも引いたかと思い早めに切り上げ、帰ろうとした。そして、いきなり意識が途切れたかのように崩れ、階段を転げ落ちたのだという。

駅から山へ向かう間の事も尋ねてみた。しかし、藍は一緒に歩いていた老人などいないと狐に抓まれたような顔をしていた。


「名付けをして貰った話とか、したじゃない」

「はあ、しましたけど、一緒に歩いてたお爺さんなんていませんでしたよ」


そうだろうか。風間は思い出す。そういえば、藍はあの老人に一度も話しかけなかったし、一瞥もくれなかった。風間の見た幻だと言ってしまえば、通じてしまう気がする。どこからが夢だったのだろう。

電車がそこで駅に到着し、扉が開いた。もともと、彼女と朝に乗った駅だ。風間は、流れ込んでくる冷たい風に目を細めたまま、じっと彼女の反応を待った。黙ったまま、ただ前を向き、風間たちは止まっている。藍はしばらく動かなかった。


「降りなくていいの?」と風間が訪ねた。

「あの、すみません、今から鳴神に戻ります」座ったままの藍が頭を下げた。


「もう少し先の駅にバス停があって、そこからだったら私の学校の側にほとんど歩かないでいけます。風間さん、今動かない方がいいでしょ」


「今日は泊りとか言ってなかったっけ」


もう一部屋用意してくれと今朝、電車を待っている間に民宿に連絡していた。風間が怪我したから帰るにしても、動かしたくないというなら鳴神に態々帰らなくてもその民宿で休ませればいい話だ。「実は私、風間さんに話してなかったことがあります」

「うん?」

「私、風間さんのことを人間扱いしてなかったんですよね」

「……どうして?」

「いやあの、ゲーム……いや、先入観に踊らされてたというか。とにかくなんとなく人間とは違うって感覚だったんですよね。それが風間さんがさっき階段から落ちて血を出してるのを見て、目が覚めたというか、ああ風間さんも生きてるんだって実感して……死んじゃったらどうしようかと思って……」


「待って、落ち着いてひとつずつ話して」体を起こし、藍の姿に視線を移した。丸首シャツの上にカットソーを羽織り、ラフな格好だ。マフラーは風間の枕代わりに膝に置かれていた。もっと厚着をしているかと思えばそうではない。横に視線をずらすと自分の体の上に、くたびれたコートがかけられていた。
「だから、ええとですね」


藍は話す事を整理するように口の中でぶつぶつ言って、「よし」と風間に向きなおった。

まだまだ要領を得ない話だったが、情報だけを抜き取って整理することにする。


曰く、藍は鳴神の世界では命を狙われる。

曰く、それは、藍が持つ、世界を変える力を世界が疎んでのことである。

曰く、しばらく向こうで暮らせば、藍の世界を変える力は消える。故に、世界は藍を受け入れる。
故に。


「私が向こうで世界に命を狙われるのと同じように……こっちでの風間さんもそうなのかもって」

「心配してくれたんだ?」

「だって、風間さんも死んじゃうんだって思ったら怖くなって……ゲームと違って、リセットで復活なんてしないんだから」

「まあそうだよね」


風間は興味なさげに答える。


「…………あの力、しばらくしたらなくなっちゃうんだ」

「ハイ、その人が言うには。あの世界での私の立ち位置が安定したら、…………多分私の生活も安定するんだと思うんですけ、ど」

「……………………そりゃそうか……」



藍が肩をすくめながらそんな事を言うもんだから、風間は膝に掛かったコートをいじりながらすっと目を細くした。

世界を変える力を魅力的なものとして見ていた風間にとっては、面白い玩具が半分壊れてしまったようなものだ。ここで会話が終わっていたら、風間はいずれ、藍を観察するのも飽きて、それだけの関係で終わっていただろう。





だが、続けた藍の一言が、新たな風間の興味の導火線に火をつけることになる。





藍は言った。

「なんだかんだで、一応風間さんが死ぬのは嫌なんですよ。こんな……世界がどうこうなんて話できるの、風間さんだけだし」

――と。



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