始まりと始まりの関係

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夏休みに毎日会いに来てくれる孫。彼女が腹の下で何を考えているかさえ知らなければ、彼女の観察に費やした日々は、祖父を想う優しい孫の行動そのもの。最期に彼女が投げた問いは、祖父の死を受け止められないが故の呟きに聞こえているといい。これは私の、希望的観測だけど。


私はレポートを丸め、鞄のサイドポケットに突っ込んだ。科学室に置きっぱなしにされていた温度計は、三本くらい失敬してレポートとは逆の方のサイドポケットに入れる。


「あとは……」


私は教卓の横に積まれていた雑巾の山を手に取った。使っていないようだ。使わないなら捨てるか燃やすかすればいいのに。私は雑巾の山を持ってゴミ箱の方へ移動する。

残り三時間切った。










*****










燃やすで思い出した。確か、ラストシーンで燃える旧校舎から坂上君が脱出する描写があったはず。
ということは、アンプルは旧校舎にあるということだろうか。しかし、科学室から旧校舎に向かうとなると、荒井さんの居る屋上前の階段の前を通らないといけなかった。遠回りしたらしたでそっちのルートは岩下さんの居る部室前を通る。

岩下さん移動しててくれないだろうか、という淡い期待を抱きつつ、もう一度盗聴器のイヤホンを耳に入れると、イヤホンからは、予想に反して二人分の声が流れてきた。


『ねえ、やっぱり部室は私一人で大丈夫よ。荒井君は階段の方へ戻って構わないわ』


岩下さんの会話の相手は深々と息を吐いた。


『ダメですよ。階段下で待ってても土生さんが来ないんです。当初の予定通り、部室をふたりで担当した方がいいと思いまして』

『そう、お節介だったわね、ごめんなさい』


荒井さんは喉を引き攣らせたような笑い声を短く漏らす。
『いえいえ……そういえば、どうでした?この部室で待機している間、彼女が帰ってくる様子はありましたか』
ら、ラッキー!荒井さんが部室に戻ってる!


じゃあ、最短ルートで旧校舎の方へ向かえる!私は喜び勇んで科学室から出た。

足音を立てたくはないから、歩いてだけど、私はなるべく早く足を動かして旧校舎の方へ向かった。この屋上に続く階段を横切って、真っ直ぐ行った突き当りの階段を降りれば、すぐ旧校舎にいけるはず――





「あら、本当に引っかかったわ」





笑いを含んだその声に、バケツで水どころかドライアイスを被ったような勢いで、私の体温が下がった。


「あなた、結構単純なのね」

「策士策に溺れり……ですね」


そう言って、屋上へ続く階段の踊り場に姿を現したのは、カッターを持った岩下さんと、アレ何?鎖?を持った荒井さん。どうして二人がここに?私の顔に混乱が出ていたのだろう、岩下さんが至極楽しそうに笑った。
「どうしたのかしら?幽霊にでも会ったような顔をして。私は生身よ?それとも」


岩下さんはポケットからゆっくりと「それ」を取り出した。「それ」――私が仕掛けていたはずの盗聴器はするりと岩下さんの手を滑り落ち、階段に落ちた。


「――これから聞こえた情報と、今の状況が一致しないことに、驚いているのかしら」


……こんな風に、盗聴器は、情報をこっそり取得するのには適しているけど、バレた後ミスリードされる恐れがある。いってみれば、どちらが優位に立てるかの大博打だったんだけど、私はたった今その博打に負けた。

愕然とする私の顔の横から、風を切る音がした。威嚇だろうか、荒井さんが隠し持っていた彫刻刀を投げつけてきたのだ。からん、と後ろで彫刻刀の転がる音がする。


「貴女は本当に考え事ばかりしていますね。直した方がいいですよ、残り数分の寿命の間だけでも」

「ハイ直します努力します努力のためには生きなければいけません!見逃してくれませんか!」

「あら、駄目よ。ここで私達に捕まるのが貴女の運命だもの。直さなくてもいいから、さっきの面白いお話の続き、最期が来る前にたっぷり聞かせて頂戴。大丈夫。話せるように耳と口は傷つけないでおいてあげる」



目と鼻その他はっ!!!!?



タタタンッと階段を駆け下り、岩下さんがこちらに向かってくる。私は慌てて、鞄から引き抜いた温度計を岩下さんに投げつけた。しかし、岩下さんはすかさず手を横に払って温度計を叩き折る。カシャンと高い音を立てて割れた温度計が落ち、更に粉々になった。自分の腕や制服が、温度計の中に入っていた液体で汚れるのも構わず、岩下さんはカッターを構えた。私はその時、獲物を狩る狩人の表情というものを初めて見た。嬉しそうな、高揚した冷たい笑顔に、足が竦んで動けない。

このまま岩下さんが突っ込んで来たら、私は間違いなく喉笛を掻っ切られていただろう。いや、話を聞きたいと言っていたから、目や鼻をえぐり取られていたかもしれない。
それをためらうような相手ではなかった。





しかし、私が絶体絶命の窮地に立たされる瞬間。


カッターを振り上げる岩下さんに制止の声を上げる人が居た。





「待って下さい、岩下さん!」


荒井さんだ。



荒井さんはハンカチで口と鼻を押さえ、階段上から岩下さんに声を掛けた。そして、続ける。


「服を脱いで!」


私の数歩手前で岩下さんの足が止まった。すうっと眉が顰められる。その迫力たるや、悪魔も裸足で逃げ出しそうな程であった。仁王立ちする岩下さんの周辺だけ、冷気が集まってひゅおおおおと音をあげていた。飲まされた毒には幻覚作用でもあるのかも知れない。岩下さんの背後に般若の顔が見えた。

普段と違い、自分が見上げられる位置に居ても岩下さんの気迫は十二分に伝わったのか、踊り場の上でびくっと荒井さんが肩を跳ねさせた。


「いやらしい意味じゃなくて!温度計です!」



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