文芸道2

□きみは村人Aに恋する
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「それより、渋谷君。あの人、どうなの、その」

「うーん」


樹季さんの聞きたい事はみなまで言わなくても分かる。だけど、俺は即答できなかった。


「……分かりません」


雪岡先輩とはまた違う、『読めない』タイプの女性だ。いや、雪岡先輩は言いたいことをすべて表情や態度に乗せてグイグイ来るので俺が勝手に敬遠してただけなんだけど。
あの大宮という女の子は、女の子によくある笑顔の下のいたずらな計算だとか、好意に含ませた甘えだとか。そういう、ほんとの心が読めない。

計算もなにもない、噂通り、単に番長さんを慕っている人なんだろうか。



いや、なんとなくだけど、ほとんど勘だけど、どこか演技めいたものを彼女からは感じる。
じゃあ、あの笑顔は全て嘘で、番長さんに近付いて他の事、たとえば番長さんに取り入って不良から身を守ろうとしている狡猾な人なんだろうか。
ありそうな気もするけど、それだと逆に、自分から不良に近付く意味が分からない。


ふわふわ。ふわふわ。女の子の本心は移り気で、巧妙に隠されていて、だけど俺にとっては分かりやすいものであるのに、彼女の真意は分からない。







ふいに、大宮さんがこっちを見た。




ぞくっと背中に寒気が走る。



俺はとっさに樹季さんの腕を掴み、その場から逃げだした。俺に引き摺られている樹季さんが何か言っているが、俺の耳に届かない。

なんだ。

なんだなんだ今の寒気。なにか嫌な事を思い出すような、だけど思い出してはいけない記憶の底を引っ掻かれるような。


ぷつぷつと遅れて鳥肌が立ってきたのが自分でも分かる。


ああ、もう、この後は適当に街に降りて、お茶でも飲みながら樹季さんの愚痴でも聞いてあげようと思ってたのに、これじゃあ逆に俺の方が心配されてしまう。


「……渋谷君?」


そう思った矢先に、樹季さんが心配そうな声を俺にかけてきた。

俺はそれに答えない。思い出しそうな、だけど思い出してはいけないなにかが、いつまでも俺の頭の奥を引っ掻いていた。





***





長い長い沈黙の後。待ってるんですかと、大宮葵は聞いた。一体誰を、なんて聞くのは野暮だ。ここ数日、樹季が桶川の周りを何か言いたげにうろうろしているのは大宮葵も知っているはずである。


分かっているのにあえて訊ねてくるその声はただただ空々しかった。


「そうですけど」


誰もいないがらんとした教室で、自分の体温の移ってしまった鞄を握り締めたまま樹季は曖昧に答える。


「彼と、付き合うんですか?」


会話ができそうだと思ったのか、大宮葵は持っていた手紙の束を机に置いた。桶川の机に。


放課後の三年四組。


珍しく、大宮葵が一人で教室に居るのを見かけたので、樹季はこれを機に彼女と話せないかと思い近付いてみたのだ。当然のような顔をして桶川の席に座っている大宮葵が、誰を待っているかも明白だったが、その先を考えると苛立ちが顔に出てしまいそうなので樹季はわざと思考を止めた。自分の思考をセーブするのは得意だ。以前それを口にしたらお節介な生徒会長からあまりしないほうがいいと注意されたが。

だから樹季は少しだけ感情の蓋を開いて、刺々しい声を葵に送っているわけだが、普段表情や声に起伏がなく今回も注意して聞かないと分からない程度の変化だったのでまだ知り合って日の浅い大宮葵は、樹季の心中を察することなどできはしなかった。


「付き合っては、いないんですけど、ね……まだ」


最後はちょっと見栄を張ってみた。


「あら、よかった」

「よかった?」

「望みありだと思っただけです。気にしないで」


ここ数日で寄せられた男子からのラブレターを指先で弄びながら、大宮葵はにい、と笑った。初めて見る、いたずらを企んでいる子供のような笑みだった。


「でも、白木さんでしたっけ、その口ぶりだとあなたは彼と付き合いたい、と思っているんでしょう?」

「はい」

ここで、樹季は少し葵を睨んだのだが、葵は意に介した様子は無く、ふうんと頷いた。ちらりと固く握られた樹季の手を見る。


「そんなに固く握ってると、痕になりますよ」

「え」


何をするかと思えば、樹季の手をさっと取って、爪の食いこんだ痕を、大事が無いか見ているようだった。マイナスの感情で葵の事を見ていた樹季は、なんとなくばつが悪くなり手を引こうとした。が、思いの外強い力で握られた腕がほどけない。


「あの、離して――」


その時、教室の扉が開いた。弾けるように扉に目を向けると、きょとんとした目でこちらを見ている後藤と、その後ろに、少し驚いた顔をしている桶川。

気のきいた挨拶も言えないほど、惚けてしまっている。

苛められたわけじゃあるまいし、手を掴まれたくらいでこんなになってどうするんだ。
ああ、でも、こういった経験がなかったのかと問われれば、そうだったのかもしれないと思えるほど、樹季は葵に苦手意識を持っていた。己の対人スキルの脆さを改めて思い知る。


「せんぱ、い」

「……なにやってんだ」


思いの外低い桶川の声を聞いて、大宮葵はすぐに樹季の手を離した。


「なにも。怪我をしてないか見てただけです」


そう言って大宮葵はにっこりと笑い、机の上に置いてあった手紙の束を自分の鞄に入れる。ふわり。清潔な香りがした。


「桶川さん。よければ送って頂けませんか?もう夕方になったし、怖くて。最近、見た事のない制服の人たちがうろついてる、なんて話も聞きましたし」それだけ告げて、大宮葵は既に踵を向けて歩き出していた。



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