文芸道2

□きみは村人Aに恋する
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桶川は言いにくそうに呻き声を漏らした。

「あいつは……」

「昨日、不良に絡まれたところを助けて頂いたんです」

桶川が答える前に、いつの間にか近くに寄って来ていた少女が説明する。少女は、そっと桶川に近寄り、突然桶川の腕にその細い手を添えた。

おいこら、と低い声を出して手を払う桶川に対して少女はふわっと笑うと、急に桶川の方から樹季たちの方に向きなおって柔らかく微笑んだ。


「え・え・えっ、と」

「はじめまして。…………大宮葵です」


近付くとやはり美少女だ。樹季でさえ思わず気後れするほどに。

樹季の様子に気付いたのは一年間なんだかんだで付き合ってきた桶川に河内、後藤である。当の少女はよろしく、と挨拶しただけだった。


「えーと、大宮さん?あんた見ない顔だけど、転校生か?」
「病気で休学してたんです。私、身体が弱くて」



「ふーん……」



河内がなにか考えるように顎に手を当てた。


「おい、そろそろ出ろ」


河内がなにか言いたそうにしていたが、その前に桶川が教室のドアの方を指差した。大宮と名乗った少女は、桶川の隣から離れ、教室から出て行った。クラスの何人かが、吸い寄せられるように目で少女を追っていた。





***





「どう思う?」いつもの空き倉庫の中。後藤・河内・樹季は、数日前現れた例の少女のことについて話し合っていた。「気にいらないんだよなあ。何もかもが嘘臭いんだよ、あの女。今の内に対策練るぞ」


苛立たしそうに答える河内を見て、大宮葵を庇ったのは樹季だった。「いい人だと思いますよ、彼女」



ただし。



「礼儀正しいし、動作もきれいだし、一度助けて貰っただけの桶川先輩に恩を返すのだといってずっっと桶川先輩にくっついているのも。義理堅くて。ええ、ええ、いい人なんでしょうきっと」



目は座っているが。



「白木、桶川さん独り占めされて嫌だって桶川さんにいってやればいいのに」


それができれば苦労はしない。

樹季の目で見る限り、当の桶川が嫌がっていないようなので、自分の我儘で困らせるのが嫌なのである。


ここ数日、確かに大宮葵はことあるごとに桶川にくっついているが、桶川はそれを煩わしそうに見ることはあってもやめろと付き離してはいない。ほお、流石の先輩も美人には弱いんですかそうですか。口の中で樹季が怨嗟の言葉を呟けば、後藤が寄って来て、落ち着けと樹季の頬を引っ張ってくる。ひんやりと冷たい指にも、苛立ちの猛りは落ち着くことがない。それどころか、おそらく善意でしかない骨ばった指に、八つ当たりしたいとさえ思った。

第一、なぜ、自分の方が遠慮しなければならないのだろう。ふざけるな。この状況に、苛立ちを通り越して、怒りさえおぼえてきた。怒鳴り込んで来てやろうかと思っていると、後藤が再度、落ち付け、と、今度は両頬を両手で挟み込む。


「河内も白木も、どーしてそう頭はいいのに衝動的に行動しちゃうんだよ。まだ桶川さんがあの子に惚れてるって決まったわけじゃないだろ」

「後藤君も美人には弱いんですねえ」

「怒るぞ」


ぐ、と両手に力を入れて、後藤が樹季を黙らせる。


「ただ黙って見てろとはいわねえよ、だけど一回頭冷やせ。白木、今ムカムカしすぎて嫌な奴になってるぞ。お前、今の自分を桶川さんが見て、いい女だと思うと思うか?」
む、と樹季が顔を顰める。樹季から手は離さないまま、後藤は河内の方を見た。


「河内も。俺は誰がいい奴とか悪い奴とか見分けるのは苦手だよ。だから河内の判断を信じるしかないんだ。頼むから、お前が判断を間違えるようなことはしないでくれよ。せめていつもみたいに、情報を集めて、あの二人に何があったかを俺達に教えてから敵かどうかを決めてくれ」

「……分かった」


河内が頷いたのを確認して、後藤は樹季に視線を戻す。


「俺もさ、こうやって今までみたいに白木たちと、桶川さんと騒いでる時間が減って嫌だなって気持ちはあるぜ。俺、友達と騒ぐの大好きだからさ。だけどそれは新しく仲良くなれるかも知れない奴を嫌がる理由にはならないだろ」


少しだけ、樹季の頬を挟み込んでいる手の力を緩めた。ゆっくりと樹季が頷く。


「よし」


にかっと後藤が笑い、樹季から離れた。


それを合図にしたわけではないが、三人はぞろぞろと空き倉庫を出る。どこにいこうと決めてはいないが、先を歩く後藤と河内が裏庭の方に向かったので樹季もなんとなくそれに付いていっていた。二人の目的は自販機のコーヒーだろうから、飲み終わってだべってから教室に戻ろうなんて考えていると、視界の端に、見慣れない制服が映った。

緑ヶ丘は森の中にある。裏庭からも森は広がっているのだが、その森の中の茂みに隠れるようにして灰色の制服姿の男子が居るのである。緑ヶ丘の制服は黒の学ランなので、少なくとも緑ヶ丘の生徒ではない。


「……?」


一瞬、後藤と河内を呼ぼうかと思った樹季だったが、二人の話題が大宮葵の事から、最近の街での抗争についての話になっていたので、声を掛けられない雰囲気だった。仕方なく、人影の方に目を戻して、一人で近寄っていく。


「あの」


がさがさと茂みをかき分けながら近付くと、その生徒は、驚いた様子は見せずににこりと樹季に笑いかけている。

形がくっきりと整っている薄い唇に、目立たない程度にピアスの跡があった。髪も黒くはあるが、端々に金色の筋が見えていて、最近、金髪を黒にしたのだろうということが伺える。無意識にピアスの穴を見てしまって、とても平常心ではいられなかった。動きが止まる。


「おい」ふいに掛けられた低い声に振り向くと、そこにはさっきまで話題に上っていた噂の主、桶川恭太郎が立っていた。「一人か、後藤……河内達はどうした」



がさがさと桶川は茂みをかき分け樹季の方に近付いてきた。



先輩こそ今はおひとりなんですね、と厭味ったらしい言葉が口から出そうになるが、さっきの後藤の言葉を思いだし、堪える。一度、独占欲はないと宣言した手前もある。
醜い感情は出さないようにしなくては。


というか、今はそれどころでない。


慌てて他校の生徒の方に目をやるが、人が来たと察するや否や他校生は退散したらしい。凭れていた木の側には人影一つ見当たらなかった。



呆然と立つ樹季の背に、桶川の手が添えられる。森から出ろと言うように樹季の背を押した。




直ぐに離れていった掌の暖かさ。余韻すら残さずに、桶川は森から出て開けた裏庭に戻っていった。必要のない言葉は、一言も掛けられない。その影を追うように、伸びかけた手。
指の先で空を切った。





桶川の歩いていく先に、もう見慣れてしまった少女の姿が目に入る。


あぁ、やっぱりいたんだ。


ややしてから足を動かし、樹季も森を後にした。





***





「渋谷君、頼みがあるんだけど」樹季さんからそんなことを改まって言われるのは初めてで、俺は思わず、俺?と自分を指差した。


「樹季さんが頼み事ってことは、番長さん絡みですね。……最近噂になってる美人な女の子の事ですか」


樹季さんの眉がひくりと動いた。ビンゴ。


気持ちは分からないでもない。一年近く温めてきた想いをいきなり横からかっさらわれたようなものなのだ。ここ数日、その女の子が番長さんにべったりだというのだから、おまけに番長さんがそれを許しているのだというのだから、樹季さんとしては気にいらないの一言だろう。周りが想像を膨らまして、番長さんとその子が付き合っているという噂を流し始めたのも苛立ちの一因になっているかもしれない。



「その子が番長さんの事をどう思ってるか、俺に見て欲しい、と」



樹季さんが頷く。確かに俺はそういう、女の子の感情の機微を見分けるのは得意だけども。もしそれで樹季さんが更に苛立ちを募らせる結果になったらどうなるんだろうか。樹季さんは番長さんに対する思いが真っ直ぐすぎて、たまに行動の予測がつかないのでちょっと怖い。

それでも、女子の頼みは断れない俺だ。樹季さんに連れられるまま、番長さんと例の女の子のところにむかったのだけど。

茂みに隠れて、何か話している番長さんと大宮さんの様子を伺う。二人は、まあ、俗にいう恋人のような雰囲気を纏っているわけではないんだけど、番長さんにしては、女の子に近付きすぎじゃないか、というような距離。樹季さんも番長さんと接している時はあのくらいの距離だったと思うのだけど、それを言っても樹季さんにとっては自分のポジションを取られたようで気にいらないだけだろう。
「……っていうか、樹季さん、樹季さんだって観察眼はあるほうじゃないですか。樹季さんから見て、大宮さん、どんな感じです?」
「……分からない。だって、」

あの人と先輩が一緒に居るのをみると、頭の奥が熱くなって、なにも考えられなくなる。

ごくごく小さな声で呟かれた樹季さんの言葉。相手と言うより、自分を嫌悪するような声に、俺は、できるかぎり優しい声で、大丈夫、と言った。




嫉妬は嫌で苦しくて、辛い感情かもしれないけど、人を好きになるには必要な感情なんだから。




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