文芸道2
□だーるまさんが、おいついた!
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できれば、無事でいて欲しい。
コキリ。
黄山の死屍累々に目を移して、桶川は首を鳴らした。
ひとつの問題は解決した。今度はこちらの番だ。
その時、桶川が頭上に視線を移したのは本当に偶然だった。
少し曇ったな、なんて思っていたのかも知れない。
またここに入るのか、とうんざりしていたのかも知れない。
ただ、自然と、何かに導かれるように、視線を上に向けた先に。
居た。
目が合う。
***
「あいつら、なんでここに留まってるんだろうな」黄山の番長の抑揚のない口調は、どことなく樹季に問いかけているようで、目が合った、と感じたのは気のせいじゃないのだと樹季は思った。樹季の隣に居た清水がぶるりと身震いした。気温によるものではなく、精神的な恐怖が原因としか思えない。顎には冷や汗が伝い、握った手が震えている。
「なんかあいつ、怖いんだけど。あんなに離れてるのに。なあ、白木、あいつ知り合い?」
髪型が変わっているからか、黄山の二人がこちらを見上げている人物の正体に気付く様子はない。
桶川は、黙ってじっと樹季の方を見ている。
何だ?
まるで、何かを待っているかのようだ。
樹季は考える。何だ?相手は何を言おうとしている?自分に何を求めている?
暫く、無言の見つめ合いが続く。どこか緊張した空気の中、樹季の中をぐるぐると色んな人物の言葉が巡って行った。
――逃げ腰気味なのをやめましょう。
――どうしてそこまでしたいと思わないんだ。
――理屈に叶ってても、不満がある時は誰かに愚痴なり文句なりぶつけるものでしょ。人間って、感情と理論が一致しない生き物じゃない。
――無理に大人になろうとしなくていい。
我慢するな。と、今まで出会った人たちは自分の背を押していてくれたのではなかったか。
迷惑をかけたくない、誰にも助けを求めてはいけない、駄々をこねてはいけないと、求めながら本当に欲しいものを遠ざけようとす子供の姿は、いびつだったのではないか。
ゆっくり口を開く。
「……た―――――――、」
自分で歩けと。求めてみろと。
みんな、いろんな言葉で言ってくれていたのだ。
傍観を止めろ。
いや違う、最初から、私はあの中にいた、ただ自分が歩かなかっただけ。
踏み出せ。
いや違う、私は歩いていた。ただ、怖くて、どこか臆病で、踏み出す向きをいつも遠回りの向きにしていただけ。
求めてみろ。
自分の言葉で、自分の手で。
大丈夫。みんな見守っていてくれただろう。
大丈夫。ずっと見てきただろう。河内や、綾部や、野々口や。求めた先でしあわせを掴んだひとたちを。
大丈夫。あの人は、こんな自分の我儘くらい虫ほどにも気にしないような人だと、このくらいで揺らぐ小さな人ではないと、知っているだろう。
『向き合いたきゃ背中見てないで追いつきゃいいじゃねえか』
大丈夫。
大丈夫。
息を吸う。
「助けて下さい!!」
それは、交わりえないように見えた物語の中に、傍観を貫いていた少女が踏み込んだ瞬間だった。
にいっと桶川の口に笑みが浮かぶ。
助けに来た英雄にしては鋭すぎる光を目に浮かべ、キングは再び校舎の中に駆けこんだ。
「……言えた……」
はじめて、声を出すのにここまで覚悟を決めたかもしれない。じわっと目の端に涙を浮かばせる樹季の肩を、お疲れ様、とでも言うように叩いて、野上は窓から離れた。
「清水、さっきの奴が来たら帰してやれ」そう言って、自分の出番は終わったと言わんばかりに教室を出て行く。
「それだったらテープ外しとくか」
清水がポケットからナイフを取り出す。しかし。
ドゴォォォォォォン!と教室後方のドアが吹き飛ぶ。
木片と化したドアがばらばらと落ちていく先に立っているのは、今まさにドアを蹴り壊した様子で片足を上げている長身の影で。一気に階段を駆け上がってきたのか、肩を上下させながら、眼光鋭く教室に居る二人をギロッと見下ろした。清水の手に握られているナイフと、涙目になっている樹季を見た瞬間、動く。
夏男のように冷静に相手の力量を見極めようとはしない。ただキングらしく、絶対的な力をもって、相手に抵抗する間も与えず――敵を、殴り倒した。
かつて、樹季が初めて桶川を見た時も、桶川はただ目の前の敵をその力でねじ伏せていた。
かつてのその姿を彷彿とさせながら樹季の隣に立った桶川。
険しい顔つきのまま見下ろす桶川の隣で樹季も同じように桶川の目を見返す。
「お前何のこのこ黄山なんかに捕まってんだ!余計な事に首突っ込むなっつったろうが!」
「すいませんっていうか、大丈夫です別に乱暴とかはされてませんから!」
むしろシャワーの心配はしてくれるわ、ほとんどがパンだったが食事の工面もしてくれるわで、捕まっていたというには好待遇だった。
「……怪我は」
「ないです」
樹季がそう答えたのを確認すると、桶川は樹季の腕に巻きついているテープを力任せに引き千切る。
「いっつっ!」
自由になった腕をさする樹季が落ち着くのを桶川は黙って見ている。もう少し丁寧にやってくれてもいいじゃないかと不満を顔に出す樹季だったが、王子様でなくキングに惹かれてしまった以上、この程度の唯我独尊は仕様のないことなのかも知れない。
「いくぞ」
さっさと歩き出す桶川に、樹季が慌てて付いていく。廊下を歩いている途中で、桶川の歩幅に付いていけなくなった樹季がぜえぜえと息を乱し始める。
途中で桶川が歩く速度を緩めなければ、そのまま引き離されてしまいそうであった。廊下を並んで歩きながら、樹季は隠れて微笑む。