文芸道2

□うごく一手
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私の手にはホッチキスと数学のプリント。


ぱちこんぱちこんとプリントをホッチキスで止めていきながら、私は佐伯先生の様子を伺う。視線に気付いた先生が手を止めるなと睨んできた。本人は本人で小テストの丸付けで忙しそうだった。



ああ、だから嫌だったんだ研究室に赴いて相談会を開くのは。



佐伯先生は人を使うのがすごくうまい。
人間の中には先天的に人の上に立つ能力のある人物が居ると言うが、佐伯先生はそれなのではないだろうか。失礼しますと研究室に入ってからプリントを持たされるまでの記憶が無い。



ぱちこん。ぱちこん。



「……相談に来たんだったか」


その日、私が座っていたのは、数学研究室の入り口から佐伯先生の机の間までにあるソファーだった。私はやたらと重厚な来客用の机の前で、明日の授業に使うプリントを止めていたのだ。
しかし仕事中であっても、人は自分に話しかけてくる声を、不思議と感じ取れるものらしい。私は突然、複素数と指数対数の解き方に関するプリントを放り出し、体ごと顔をぐいっと佐伯先生の方へ向けていた。見れば佐伯先生の手元の仕事は終わっていた。


「恋愛ごとは当人同士で解決しろ……と言いたい所だがな。まあ応援はしてやろう」


トン、と採点済みの小テストを揃えて置いて、先生は自分の椅子にふんぞり返るようにして座った。サボるなと言わんばかりにプリントを指差されたので、もう一度、私はプリントを持ってホッチキスを鳴らす作業に戻る。


「しかし、黒崎から聞いたが、お前ら桶川の追試邪魔したんだろ?それであの桶川が怒ってねえってことは、それほど嫌われてはいないってことだろ。相談も何も心配する要素がどこにあるんだよ」


そうなのだ。今の所私がやったことに対して桶川先輩が怒る様子も文句を言う様子も無い。先輩の性格もあるんだろうけど、あれを受容される程度には私は桶川先輩に嫌われていないという事だ。

追試の一件から、随分と客観的に物事を見られるようになったと思う。
きっかけは、あれ、怒られないな。なんで先輩怒ってないんだと考えてみたら、行きつく答えがひとつしかなかったことが始まりなのだけど。
自惚れでなければ、この思いは望み薄ではないということなのだろう、きっと。
ひとつに気付けば、河内が警戒しすぎというほど私に突っかかる理由も、わざわざ生徒会長が忠告をしてきた理由も納得がいく。頭のいい人物というのは、それゆえに人の気持ちのベクトルに敏感で、なぜだかなあなあの雰囲気を嫌うからだ。

もっともそんな人物たちの側に居る時は、当人の意向に関係なく、文化祭だの追試だののトラブルが寄り添っている。今まで私には、なぜ彼らが私に忠告をしてくるのか、考える余裕がなかったのだ。

だが、そうも慌ただしくかつトラブル続きの日々が休みなく続く訳もなく。

今はとりあえずトラブルはなりを潜めている。学生らしい、テストだとか恋だとか友情だとかの、普通の悩みを意識することができる、ゆったりとした時期だ。いや、本来学年始めって一番忙しい時期なんだけど、この学校普通に生活してたらトラブル起こるから。というか起こすから、生徒会と風紀部が。生徒会が忙しい今の時期は却って平和なのだ。



そんなわけで、私にも少しだけ自分を見つめ直す時間と、相手を見つめ直す時間が与えられたのだが。問題があった。



先輩の気持ちのベクトルが薄っすら分かったのはいい。
この際、後藤のバカが私の気持ちをバラしたのも、私自身、腹を括れたのもいい。
問題は、桶川先輩の方なのだ。
恋愛と名の付くものはやっかいで、どうしてもその看板が目に入ると誰しも身構えてしまう。今まで普通にしていたことが、いきなりすべて違った意味を持っているように思えてしまうのだ。


多分桶川先輩は、その看板を見ると必要以上に身構えてしまうタイプだ。うまくいくはずのものが、その看板が付いているというだけで、敬遠してしまうタイプ。典型的な恋愛下手と呼ばれるタイプ。だから、いくら気持ちのベクトルが揃っていても、こちらから決定打が打てないのだ。




「……そこまで冷静に分析できて、なんで今更相談に来るんだよ」


呆れたように佐伯先生が言う。

相談というより、私は誰かに話したかったのかも知れない。なまじ冷静に状況が分かってしまっただけに、今の私にはどうしようもないということが色濃く分かってしまったから。



吐き出し口が欲しかったと正直に答えた。意味の無い事をするなと叱られるかと思ったが、意外にも佐伯先生は、そうか、と静かに頷いた。
思ったことをそのまま口に出すなんて子供っぽかったかなあとちょっと後悔してしまうものの、佐伯先生から肯定の答えを頂いてしまったためどうにも反応ができず無言になってしまった。


そんな訳で気まずい中一人でぱちこんぱちこんとひたすらプリントを閉じる作業に戻った私だったのだけれど、

「まあ、お前にしちゃいい成長なんじゃねえの」



先生の言葉で、手が止まった。


「お前は遠慮だとか我慢だとかをできねえくせにしようとするからな。鬱憤が爆発する前に吐き出せるようになったのはいいことだろ」


私は、ぽかんと先生の顔を見つめる。佐伯先生は、呆れたように頬杖を付いていた。


「無理に大人になろうとしなくていい。なんでも一人で解決するのが正しい事とは限らねえんだよ」


佐伯先生は、厳しい癖に、傍若無人な癖に、実は自分だってうんと子供っぽい癖に、生徒に必要な言葉をちゃんとくれる。
正しい事ばかりをする必要はない。
道徳的であれと気を張る必要はない。
大人になろうとする必要はない。




まだ私は、正しい事がなんなのか、道徳的である事がどんなことか、大人がどういうものなのか。きっと本当の意味で分かってないから。


じゃあどうすればいいのかと佐伯先生に問いかけてみたら、やるべきことをやれと教師らしい答えが返ってきた。やるべきことってなんだ、と顔を顰めたら、とりあえずソレ終わらせろと手元のプリントを指差される。




「ああ、それともうひとつ――」




ぱちこん、軽い音が響いた。









*****










「お前、王子を目指しているのか?」
「いやっ…………別に・そんな訳ではないぞっ、」


大体、王子やら何やらに憧れるのは女性の方だろう!野々口くんだってそういうのに憧れることもあるだろう?

口にしようと思った台詞は結局最後まで発する事なく喉の奥に引っ込んでいった、言い切る前に、唐突に、彼女の背負い投げが高坂を襲ったのだ。

高坂の口からこぼれる咳に構わず、彼女は倒れた高坂の背を踏みつける。



「颯爽と現れる王子様……?女を守って命を懸ける 優しく心の美しい王子様……?」



嘲ったような笑いが彼女の口から漏れる。黒い双眸は淀んだ怒りを浮かべ、冷たく高坂を見下ろしていた。


「いる訳ないだろ そんな男」


彼女の名は野々口歌音。結い上げられた黒髪に、猫を思わせる大きな目の、容姿は可愛らしいその生徒会役員は、男に触れるのも嫌、話すのも嫌という極度の『男嫌い』だった。一見、か弱く見える彼女はその実、頭脳派とはいえ自分より一回り大きな体格の高坂を軽く伸せるくらいの実力はあった。


「………………」

「夢を見ているのは男達の方だ。調子こいた男が恰好つけて、女を救ってあげる話を読んで自尊心をさせているだけだろう」

「――…………」

「そう、結局は自己愛。厚かましいにも程がある」

「…………野々口くん……?」


容赦なく踏みつけられながら高坂がやっとのことで声を出す。そこで我に返ったのか、はっと野々口の目が少し開かれた。






カシャッ。




そして、その瞬間響くシャッター音。野々口と高坂が振り返ると、僅かに呆然とした空気を漂わせている白木樹季が立っていた。片手には、彼女の白い携帯電話。恐る恐る彼女は倒れている高坂、高坂を踏みつけている野々口、そして自分の携帯の画面を順に見て、そそくさとそのままその場から離れようと二人に背を向けた。
「「待て待て待て待て!!」」


こうなっては男嫌いと言っている場合でも、いきなり投げ飛ばされたことを言及している場合でもない。野々口は樹季の左肩を、遅れて立ち上がった高坂は樹季の右肩を掴んで引き止める。


「消してくれといって聞いてくれるか?」


問いかけながらも威圧感を持って、野々口は樹季に詰め寄る。樹季は一つ息をついて、野々口の腕を掴む。


「じゃあ、少し時間を貰える?」くい、と樹季は掴んだ野々口の手を軽く上げる。相手が女子で、攻撃の意が無いと分かれば、野々口は手を上げるわけにはいかなかった。黙って唇を引き結ぶ。

すると寸の間の後、樹季が不意に表情をゆるめた。そして再び野々口の手を離し問うてくる。


「次に動く生徒会役員は、間違いが無ければ、貴女でしょう。そのことでも話がしたくて」


驚いて白木樹季を見ると、もう元の無表情に戻っている。真意は読めない。だが、向こうから接触して来るなら好都合と野々口は口の端を上げた。「分かった。ここでは何だ、座れる場所に移動しようか」










*****










野々口が樹季と話す場所として選んだのは、中庭のベンチだった。テーブルが備え付けられており、向かい合わせで話をすることができる。
「それで、話とは」口火を切ったのは野々口の方だ。樹季の方は、せっつくように聞いて来た野々口に動揺した様子を見せず、少し考えるように黙って、「貴女は風紀部を潰すのか、学校の評判を落とすのか」と聞いて来た。迷いのない、簡潔な話し方だ。嫌いではない。


「教えるわけにはいかないな」ぶっきらぼうに答えても、怒る様子も、気を悪くした様子も無い。考えの読めない人間だとは聞いていたがここまでとは、と野々口はじっと目の前の人物を観察した。



三年四組、白木樹季。風紀部に所属しているものの、表立った活動をしている様子は見られない。しかし、高坂俊太郎、北条若菜、綾部麗人。過去に行動を起こした人物たちが白木樹季の名を聞いて浮かべる表情は皆一様に渋い顔。どうしたと尋ねても、本人たちは大したことではないと語りたがらない。唯一、なにかの事情を知っているらしい花房会長はその生徒会の面々の顔を見て心底おかしそうに眉尻を下げたが、それでも彼女は一筋縄ではいかないと釘を刺すのを忘れなかった。


「歌音、彼女が何を考えて動くのか、僕にも読み切れない程だからね。お前は特に注意しておいた方がいいよ」
そして樹季が今日、実際に歌音に接触した。他の風紀部と組んでいる様子は無い。だが樹季が万一何か策を講じていた時に備え、野々口は人目のある中庭で話をしようと言い出したのだ。


「じゃあ、何か危ない事をする気はある?」
「それも言えない。悪いが、手の内を明かす気はない」しかし、当の樹季は特に何をするでもなく淡々と質問を繰り返すだけだった。こちらが答えないと言えば、それ以上突っ込んで聞くこともない。生徒会の面々の様子や、さっきの写真の件から、まさか人の弱みを掴んで揺さぶりを掛けるのに長けているのかと身構えもしたが、脅しの言葉を吐いてくる様子も見受けられない。本当にただ話をしにきただけのようだった。



「……単刀直入に聞く。貴女の目的は何だ」


質問を続けようとする樹季の言葉を遮る。逆にこちらから質問をすれば、答えはすぐに返ってきた。


「佐伯先生が接触して来いって言ったから」
「佐伯……先生が?」
「それが今私のやるべきことなんだそうで」



無表情のまま肩を竦める動作だけをした樹季は、構えなくていいと手を振った。


「なぜ佐伯先生は、私の元に貴女を赴かせたんだ」

「あなたが男嫌いだからじゃないの」


隠す様子も見せずさらりと言われた言葉に、野々口は目を見張る。



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