文芸道2
□ゴースト?ハプニング
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河内自身は、自分こそ論理的であると主張するが、彼の論理は彼の欲に従ったものを大前提とした、よく言えば自分に素直、悪く言えば子供の屁理屈であることが多い。
だからこそ、欲を押し殺したうえでの樹季の主張が届かないのだと樹季は思っている。
「大体お前は、」
コップにまた緑茶を注ぎながら、河内が樹季に顔を寄せる。元々切れ長の瞳が、更に細く顰められた。
「自分がどうしたらいいか分からないから、道徳的な一般論に逃げてるだけだろ」
数学の問題を解き終わった不良が河内を呼び付けたため、河内は水筒とコップを樹季の手に押し付けて樹季の元から離れていく。樹季は僅かに残念そうな顔を見せた後、自分を呼んだ生徒の元へ重い足取りで向かっていった。
「あの、白木、お願いがあるんだけど……」
「ここ間違ってる。日本国憲法の公布は『愛しむがいいさ』。はいリピート」
「日本国憲法公布はいつくしむがいいさ……あ、そうか1946年11月3日……って、そうじゃなくて!お願いなんだけど!」
「はい、えーと」
「藤島です。……あの、ちょっと旧校舎に一緒に行ってくれませんか……」
何故。
空気だけでそう問いかける樹季に、藤島は鼻の前で手を合わせ、頭を下げた。
「実は前、旧校舎を根城にしてたときさー、教科書とかノートとかあそこに置きっぱなしにしてて……番長交代の後、全部持ってきたと思ってたんだけど、今見たら公民の教科書がなくて……!」
「待って」
樹季は強い声で留めた。藤島を見据える。
「ということは今までの公民の授業はサボってたのね」
樹季は言って、河内から受け取ったままだった水筒とコップを机に置いた。その手を藤島が掴んだ。
「一昨日河内に言われてようやく勉強しようって気になったんだよ!教科書取ってきたら真面目にするから!」
「だーかーら一人で行ってこい!」
「だって暗いし怖いんだよー!」
いくら押し問答をしても、相手が引く様子は無かった。
……昨日河内が、プライドを捨ててまで頼みごとをする奴ら、と称していたが、これはただプライドが無いだけなんじゃないか、と樹季は思ったが口には出さなかった。
「まだ夕方でしょうが!私他の人の勉強も見なくちゃいけないの!」
樹季がそう言うのに合わせて、あちらこちらからそうだぞ俺達が困る、と文句が出た。
「あんたらは問題に集中!」
「「「はーい」」」
カリカリカリ、と机に向きなおる面々を確認してから、まだ手を掴んだままの藤島の手を払えば、指先が白い。
樹季は鉛のように重い気分をどうにか奮い立たせ、コップに入ったままの冷めた緑茶を飲みほした。近くに居た河内に水筒を返し、手招きして愚図っていた藤島をそっと立たせる。
髪と同じく明るい茶色のシャツを着ていた藤島は、長い足を他の机にぶつけないように、歩きにくそうに樹季の後についてきた。いかにも今時の高校生のような風貌だが、暗いから付いてきてくれと頼みこむ姿はただの子供の様だ。
「旧校舎の、どこ?」
教室を出てからそう尋ねると、藤島は分からない、というように首を振る。こんな動作もどこか子供っぽい。基本的に年下に弱い樹季には無視できない動作だった。
「……旧校舎をざっと探して、無かったら三年の先輩に去年の教科書持ってないか聞きましょうか」
「お手数かけます……」
「そう思うなら一人で行って」
「だって旧校舎って怖い噂あるんだもんよおお!」
怖い噂、という単語に、昇降口の方へ向かう樹季の肩がぴくりと反応した。
「放課後、旧校舎に行くと、中から男の高笑いが聞こえるって!誰も居ない筈なのにだぜ!?」
ぎらりと樹季の目が光る。ホラー文字書きの端くれとして、その話は非常に興味がある。
「よし急ごうか」
「えええなんで俄然やる気出してんの白木……」
さっさと靴を履いて旧校舎の方へ向かう樹季。旧校舎は落書きこそ消えたものの、薄暗い場所に立てられている。いったん近くに足を踏み入れると、影になっている所為か肌寒く感じる。人影ひとつない森を駆け、旧玄関に近寄る。
樹季が躊躇いなく扉を押すと、ギィイイイ、と見た目通り重い音を立て扉が開く。
なぜか空いていた扉の鍵や、扉の横に立てかけられていた箒。そして、埃一つない床。それらを見て、樹季は目を細めた。
「あれ、意外と綺麗だな。なーんだあ、もっとお化け屋敷みたいになってんの想像してたから変にビビッてたぜ!良かった良かった、じゃー早速教科書探そうぜ」
樹季の微妙な表情の変化に、藤島が気付く様子はない。嬉々として教科書を探すべく、埃一つない旧校舎の中へ足を踏み入れた。
藤島が目的の物だけを求める効率型なら、樹季は興味あることを片っ端から試す享楽型。二階に何かあるだろうと踏んで、樹季はそのまま二階に上がることにした。まだ閉門までは時間がある。樹季は空っぽの花瓶が並んだ玄関の棚の前で携帯を開いた。河内の番号を選ぶ。尖った声が聞こえてきた。
『なにやってる、早く戻って来い』
「ちょっと遅くなる」
『はあ?どうして……』
その時、二階の方から人の声がした。樹季と藤島は同時に顔を上げる。
「ふーん」
「あの、白木。い、い、今の声……」
そう藤島がぼやいた途端、二階から狂ったような男の高笑いが聞こえてくる。藤島の顔色が無くなった。
藤島がいたのは、階段脇にある棚の所だった。足が曲線を描いたレトロなスタイル。そのレトロないかにも値打ちものの棚を調べていた藤島は、がくがくがくがくとそれはもう食い倒れ人形も驚くほどの震えようで、見ていて樹季は可哀想になってきた。
「いいいいいいい、今のわらわらわらいごえ……ゆ、幽霊だあああああああああああっ!!」
まさしくプライドもなにもない叫び声を挙げ、藤島は旧校舎を飛び出す。樹季が止める間もなかった。慌てたのか、開ききっていない扉に頭を突っ込んで「ぐおっ」と情けない声を上げて倒れ、すぐ起き上がり、ダッシュで外に転げ出る。白人ホラーのリアクション顔負けの騒がしさだった。
ばああああん、と藤島が出て行った後、扉が閉まる。立てかけられていた箒がカラン、と空しく転がった。
この季節外れの時期に、また緑ヶ丘の恐怖談が追加されることになるだろう。いつだって、怪談話はああいう臆病者の枯れ尾花語りで広まっていく。旧校舎に響く笑い声なんて、幽霊談にするには格好の話の種だ。まあ一か月もすれば噂も消えてしまうだろうが。
閑散とした中央玄関にそびえるのは、新校舎よりほんの少しばかり高い階段だ。樹季は一階からその階段の上を仰ぎ見る。呆然とした二人分の影が樹季を見下ろした。
『――おい、どうした?白木?』
繋がりっぱなしだった携帯越しに呼び掛けてくる河内に、なんでもない、しばらく待っててと返して、通話を切る。
「……お二人さん、どうしたの、こんなところで」
逢瀬には向かないと思うけど?と問いかけると、影の片方――綾部は慌てたように、違う!と叫んだ。
「白木さんこそ、なんでここに……?」
影のもう片方、黒崎真冬は呟いて、すぐにはっとした表情で綾部の腕を掴んだ。
「あやべん!まさか白木さんにも果たし状を!?ダメダメダメ!駄目だよ女の子と喧嘩しちゃ!!」
あんたも女だろうが。この時綾部と樹季の心情は見事にシンクロしたのだが、両者ともそれに気付くことは無かった。
「出しとらんわ。……なんや白木、なんでお前がここに……いやそれより、さっきの声聞こえ……」
「旧校舎に幽霊が出たって言うから確かめに来たの。ついでに人に頼まれて探し物……藤島君、出る時頭ぶつけてたけど大丈夫かな……」
後半は綾部と真冬に聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟かれたものだったが、聞こえていたらしい。綾部が、何!?と反応した。
「藤島さんがぶつかって……!?ああっ藤島さんが倒れてしもうとる!藤島さ―――――――ん!」
シュバァッと光の速さで玄関横に立てかけていた箒に駆け寄った綾部は、大切そうに箒(藤島さん)を抱き起こしていた。片膝までついていた。流石の樹季も、突っ込むべきか真面目に対応すべきか分からない。そろそろと段上の真冬を見る。
「えーと、あやべんあやべん。その、いいの?」
「なんやまふまふ!はよう牧村さんと篠宮さん連れて来んかい!また一階の床汚れてしもうとる!ふ……ふふふふ、はーっはっははははははは!!」
「あやべーん」
「ああもうこんなにくっきり足跡が……はぁ……きれいにせんといかんなぁ……ふふふふふふふふふふ」
「白木さん見てるよ」
「はっ」
はた、と我に返り綾部は樹季を見る。
バッと樹季は目を逸らす。
「……」
「……」
「今日ハイイ天気デスネ」
「ソウデスネ」
「二人とも現実を見て!」
互いに全く関係ない話に逃げた綾部と樹季。ツッコミを入れたのは真冬ひとりだった。
「えーと」
全く、口火を切るのにも勇気のいる状況だった。が、一応先輩として、率先して樹季はその役回りを引き受ける。
「二人は、仲良くなったの?」
「は、はい、そりゃあもう」
「仲良くあらへんわ!勝手に捏造すんな!」
そう綾部は言うが、どう見ても悪友同士のじゃれあいにしか見えない。樹季はとりあえず殴り合い蹴落としあいの関係ではなくなったらしいと、そっと息を吐いた。
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つぎの朝は爽快な気分で目覚めた。久しぶりに会話した黒崎さんは思ったより元気そうで、怪我も大したことがないようだった。まだ二人の間になにがあったのか分からない事だらけだが、昨日の二人の様子を見るに険悪な関係のままという訳ではないようである。
黒崎さんは先天的に人の毒気を抜く才能でもあるのかもしれない。
大きく伸びをしつつ、カーテンをシャッと開けた。
なんだかんだで、私の周りは騒がしくも平和に回っている。
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あとがき。(2013.10.19)
綾部に「藤島さーん!」をやらせたいがためにモブの名前を藤島にした。