文芸道2
□ライク・ア・ニュイセンス
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「白木、今日溜息多くねえ?」
ふと、後藤が缶コーヒーから口を離してそう問いかける。すでにココアを飲み終わっていた樹季は手の中で缶を転がしながらぱちり、と瞬きをした。
「さっきから数えてたんだけど、五回目だぜ?どうしたんだ、疲れた?」
「そういやさっきも何回か溜息ついてたな」
「無理言って手伝って貰ってるもんな……疲れたら教室上がっていいんだぞ?」
「無……」
こちらの頼み事に付き合って貰っている、という意味での後藤なりの気遣いなのだろう。隣の桶川が『無理』という単語に些かショックを受けているのに気付かず、後藤はどうぞどうぞと教室の方に手の平を向けた。
「いや、無理とかじゃなくて……心配ごとが」
さりげなく桶川へのフォローを入れつつ、樹季は溜息の訳をぽつりぽつりと話し始めた。樹季の心配事とは、生徒会と風紀部に所属している二人の後輩のことだ。相談してもよいものかと一瞬悩んだが、名前だけを伏せて事のあらましを伝えることにする。
まず一昨日、とある後輩の様子がおかしかったこと。その後輩は、おそらく喧嘩をしようとしていたこと。薄々と標的になる人物は予想できていたが、確信が持てなかったので、樹季本人はしばらく様子見しようとしていたこと。……そしたら、昨日、その標的になった人物が不自然なまでに肌を隠す格好で登校してきたこと。
全ての事を話し終えたせいか気が緩み、樹季は体の力を抜いて背を丸めた。
断片的に浮かんでくる、二人の後輩の姿。
それが今、重なって見える。
「でもさ、厚着してきたってだけなんだろ?怪我してるとは限らねーじゃん」
「それが、どうも様子がおかしいんだよね。元気がないというか」
「不良同士の喧嘩だろ、後輩だからって首突っ込むんじゃねえよ」
「……残念ながら両者とも不良じゃないんですよね」
綾部はむしろ優等生に入る部類、真冬は(今は)普通の女子高生だ。
小声で答えつつ、樹季は空を睨んだ。
樹季がもし様子見といって呑気に構えていなかったら、綾部の暴走(何をしたかは樹季とて知らないが、とにかく穏やかではないことが起こったという事は予想している)を止められていただろう。
「(白木の方が堪えてますね)」
「(だな)」
小声でやりとりを交わし、桶川と後藤は困ったように樹季の様子を伺った。
ここ一年にも満たない付き合いだが、冷たく見える第一印象とは裏腹に、樹季が後輩や友達思いの人物だというのはよく分かっている。樹季の話しぶりから、喧嘩を吹っかけた後輩も、喧嘩を売られたという後輩も知り合いなのだろう。止められるかも知れない立場であるのに止められなかったという樹季の心情を察して、二人は顔を曇らせた。
「……分かってると思うが、後輩同士だろうと首は突っ込むんじゃねえぞ。お前は自分の実力をもっと自覚しろ」
文化祭のことを思いだしてか、桶川は樹季に釘を刺す。遠回しではあるが心配されている事は分かるので、樹季も反論はせずこくりと頷く。
「んん……でもやっぱり、話くらいは聞いておきたいので、ちょっと一年の教室行ってきます」
スカートに付いた草を払って、樹季は立ち上がる。桶川もつられて立ち上がろうとしていたが、後藤に「桶川さんは駄目っす!追試の勉強!」と引き止められて断念していた。
「追試の日って、明後日だよね?」
「そーそー」
「じゃあそれまでにまた問題確認しますか……私も解説ができるよう勉強してきますから、先輩も頑張って下さいね」
先輩がやっといてくれないと解説もできませんからね、と念を押して言えば、桶川は渋々といった様子で教科書を持った。グッジョブ、とこっそり親指を立てる後藤に、気を取り直して樹季はしっかりと頷いた。
「じゃあ明日、また昼休みと放課後に」
桶川は返事をするように、すっと左手を顔の横に上げ、反応する。
「じゃあなー。何があったのか詳しくわかんねえけど、困ったら俺でもいいから、相談しろよ。愚痴くらいなら、聞けるか……」
後藤の言葉が終わる前に、顔の位置に上げられていた桶川の左手が振り切られる。きれいに後藤の鼻っ面に入った。
「っぷう!?何するんスか桶川さん!?」
「うるせえ」
番長と子分のじゃれあいを見て、樹季は少し表情を緩める。
気を置けない関係が近くにあるというのは、とても有難かった。
*****
「……」
二年四組にて。ずらりと並んだ不良の面々に、樹季は分かりにくい表情をひくり、と歪めた。
樹季の横には河内。一年教室に向かう樹季を掴まえ、脅して、もとい、頼みこんで二年教室に来て貰ったらしい。
「河内君、これは?」
「喜べ、お前の指導技術を見込んで是非とも勉強を教わりたいと頼み込んできた奴らだ」
明らかに嫌そうな雰囲気が樹季から漂う。
いち早く空気を読み取った不良の一人が、涙声にならんばかりの哀れな調子で、頼むよ、と声を上げた。
「またこのあいだの、模試で成績落ちてたんだよ」
「模試ならとりあえず進級には関係ないでしょ」
「そんなこたぁ、充分に分かってんだよ!問題は、部活と進学なんだよ」
「進学……」
を、気にする不良がいるとは、と些か失礼な考えが樹季の頭を過ぎった。
部活生はまだ分かる、成績が下がったら部活動停止、なんて厳しい顧問もいるのだ。しかし、三年ならまだしも、二年の時点で進学を気にして焦る几帳面な不良はいるのだろうか。なんて事を樹季は考えた。風紀部の後輩に几帳面代表の金髪ヤンキーが居ることは忘れている。
「だって河内が!」
「前に模試を甘く見て三年になってひどい目に遭ったOBが居るって!」
「オカマバーくらいしか就職先無かったって!」
「嫌だあああああああああ!男捨てるなんて嫌あああああ!」
顔を蒼白にした不良たちの阿鼻叫喚の図を見て、樹季は呆れたように息を吐いた。同時に、傍らに立つ河内を睨み付ける。河内はしれっとした顔で樹季の視線を受け流すと、窓際の方に一列に並んでいる集団の方に歩いて行った。
「で、こいつらが追試組」
「……え」
「二年の、追試組」
河内に指された面々は、至極気まずそうに顔を歪ませる。
「なぜ私なんでしょう」
初めて会う追試組は樹季と面識が無かった。
たまに廊下ですれ違った、という記憶もないということは学校にすらあまり顔を見せていなかったのだろう。
それが、なぜいきなり樹季の元に来たのか。
「河内が勉強教わるなら白木がいいって」
「……ちなみに、追試の日程は」
「明後日」
樹季の視界の端に、にやにやと笑みを浮かべる河内が映る。
この男、樹季が桶川の追試の手助けができないように周りを固めてきたのである。
「白木には理解し難いかも知れねえけど、男が女に、それも勉強のことで頼みごとをするって結構プライドが傷つくもんなんだぜ?それでも、お前に縋るほど必死なんだよ、こいつらは」
これだけ言うのに、断るわけないよな?と河内の笑顔が圧力を掛けてくる。
「悪いけど、」
「桶川さんに惚れてること本人にバラすぞ」
勝負あり。
*****
翌日放課後。
陽が傾いてきたころ、数学と物理を担当していた河内が水筒を持って来た。
「休憩しなくて大丈夫か」
コップに緑茶を注ぎながらそう問う。うん、と樹季が生返事をすると、
「……やっぱ桶川さんの方行く気か」
低い声でそう訊いてきた。樹季は驚いて顔を上げ、教科書から顔を上げクラスメートの端正な顔を見た。
「なんで……」
「その教科書、三年のだろうが」
自分で注いだ緑茶をずず、と啜りながら河内は樹季の持つ教科書を指差す。樹季が気まずそうに教科書を背に隠した。
放課後に集まってから三時間。今回は追試組以外は特に範囲が決まっていないので、教師陣に適当なプリントを貰い、それを解いたものを樹季が丸付け・解説する形だ。今は、しんとしたクラスの中、勉強会の参加者たちがシャーペンを走らせる音だけが響いているので、二人は教室の隅で極力声を落として話す。
「充分私の時間は削ったんだから、少しくらいの手助けは見逃してよ」
「ったく、諦めの悪い」
「河内君に言われたくない」
わざわざこんな時期に、成績の悪い奴らの不安を煽ってまで用意された舞台。
すべては、桶川をこの学校に引き止める、ただそれだけのために河内はここまでやってのけたのだ。
「どうしてそこまでするのかね」
「どうしてそこまでしたいと思わないんだ」
実際問題として人を我儘で困らせることはできない。人は、そういう次元で動かしてはならないものだ。どう説明すればいいのか――考えて、樹季は途方に暮れる。
河内は決して愚かではないし、実際の生活の場面ではむしろ賢く聡いと思う。だが、彼は自分の欲を置いて論理でものを考えることができないのだと、樹季は思っていた。
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あとがき。(2013.10.7)
いや夢主、どっちにしろ止めらんねえよあの綾部の暴走は。