文芸道2

□昼下がりの攻防
2ページ/4ページ



「――え、樹季さん明日の朝行っちゃうんですか?」


どうにかこうにか誤解を解き、一息吐いて雑談をしていたところ、いつ向こうに帰るのか、という話題になった。
明日帰る、と答えると、焦った様子で山下君が食いついて来た。
元々、冬物と春物の服を取りに帰って来たようなものだから、長居する気はない。
更に言うと、明日の夜から親が仕事で家を空ける上、うちはあまり食料を冷蔵庫に貯める習慣が無いので、これからの食費軽減も望めない。

居る理由が無いのだ。

そう言うと、山下君は複雑そうに眉を下げて、困ったように首を少し傾けた。
「じゃあ、明日駅に向かう前にうちに寄ってくれませんか?弁当作るんで……――ああ、夏休みのお詫びみたいなもんですよ。結局碌に謝れなかったし……番長から聞いたんですけど、樹季さん、火事で大変だったんでしょ?」

お詫びに、食費に貢献してくれるのだという。
彼が、自分の兄よりも頼りがいがあるように感じられた。

……というのが、一昨日の昼の話。
複雑な思いを抱えつつ、私は帰る前に山下君お手製のお弁当を受け取って駅に向かった。
それで、一人暮らしのアパートに帰宅してからの数日間はそれで食い繋いだのだ。そして今日。ラスト一個のタッパーを持って、私は外に出た。今日は冬にしては暖かいから外に出るか、という軽い気持ちからだった。


「なんや自分、戻って来とったんか」


公園のベンチに座ってタッパーを開け、もそもそと昼食をとっていたのが十分ほど前のこと。
聞きなれた声がして私は手を止める。声の方に目を向けると、私服姿にいつものギターケースを背負った綾部が公園の入り口に立っていた。ベンチから入り口までは近い。腕は届かないが声は届く、微妙な距離を縮めることなく、綾部はそこに立ったまま話し掛けてきた。

「弁当か。割り箸やなくて弁当用の箸持ち歩かんかい」

話し掛けてきたというか小言を掛けて来たというか。もう慣れたからなんとも思わないけど。
あと割り箸は環境に優しくないと言われてるけど、処分に困ってる日本の丸太素材を消費してるから、環境はともかく花粉削減には貢献してるんだぞ。
私の主張にも、綾部はまるで動じない。
怒るでもない不可思議な様子で、私の手元を真っ直ぐ見つめた。
「自分が作ったんか」
まさか。私はこんなに彩りを持った料理は作れない。
「それ、豚肉か?」
それ、と言って綾部が指差したのは肉じゃが。
まごうことなく豚肉だけど。
「……こっちでは豚肉なんか」
綾部が何に納得しているのか分からず、ハテナマークを飛ばしていると、綾部はああそうか、と言いながらゆっくりベンチの方へ近付いてきた。
「俺の地元は肉じゃがには牛肉やった」
……肉じゃがに牛肉!?マジかよ!豪華だな!
綾部の地元では牛肉が安いんだろうか、なんて考えていると、綾部が私の手元を覗き込んでぼそっと呟いた。
「……ネギが白い……」
……普通ネギって白い部分しか使わなくないか?私は貧乏性だから緑の部分も使うけど。
「……ネギは緑の部分しか使わんやろ」
……なんだろう、綾部と私の間に文化と言う名の壁がある。

「まあ俺は勿体無いから白いとこも使うけどな」

あ、こういうところは通じてる。



それにしても、綾部はこっちに来てから寮の食事でこっちの物を食べなかったんだろうか……。綾部の事だから、自分で作った方が経済的と、寮の食事申請をしていないのかもしれない。……ああ、すごい珍しいものを見てる顔になってる。


「なあ」


何だとは聞かず、私はタッパーの蓋を閉め、立ち上がった。


「それちょっと――」


ハイきた!ほらきた『ちょっとくれ』!お断りだ!今日の私のお昼ご飯!!
私の態度から無言の拒否を感じ取ったんだろう。綾部は綾部で無言で箸を握って立ち上がった。



……そしてこれが、数十分前の話。





*****





「少しくらいええやろ!せせこましい奴やな」

「主婦の顔をした人の『ちょっと』は『ちょっと』じゃないの!綾部は特に!味覚えるまで確認する気でしょ」

「自分が作り方知らんのが悪い!作り方確認できればええのに自分が知らんのやったら食って確認するしかないやろ!」

一瞬納得しかけたけど騙されないからね!そもそも人の物欲しがらないでよ」

「欲しがっとらん、分けろいうとんのや」


ここが公園だとか、子どもが見ているだとか、そういう諸々の事は二人の頭から抜け落ちていた。

綾部は文句を言いながらも、無意識か公園の出入り口の前に立ち塞がり、退路を塞ぐ。




「お前ら……公園で何やってんだ」





そんな緊迫した空気の中、その二人に呆れた声を掛ける人物が居た。


綾部は背後から聞こえてきた声に驚き息を飲み、樹季は公園の入り口に立つその姿を見て直立不動の体勢を取る。


「お前ら、補修回避したからってアホな遊びしてんじゃねえよ。冬休みの課題は終わったんだろうな」

冬にしては暖かいこの日に、厚手のトレーナーと紺のマフラー。若さのわの字もないような格好で二人を見ているのは、緑ヶ丘学園数学担当、佐伯鷹臣だった。
年上が苦手な綾部が、じりじりと下がり、視線を下に落とす。ごく小さな声で「すんません」と謝っていた。
確かに光景としては圧倒的な威圧感だったが、樹季は欠片も焦りはしない。佐伯は確かに厳しいが、流石に人目のある場での鉄拳制裁はないだろう。
とりあえず無駄口を叩くのを止め、手短に課題の進行状況を報告しておいた。綾部は四組の数学担当が佐伯でないからか、目を逸らしたまま何も言わない。
樹季の課題状況の報告を聞き終わると佐伯は頷き、気だるげに樹季と綾部を見た。
「休み明けに課題が仕上がってなかったら覚悟しとけよ。……それから白木、お前の声でかいんだから公園で騒ぐな」


それだけ言うと、佐伯はすたすたとその場から離れた。佐伯の背が見えなくなった瞬間、緊張から解放された二人が同時に息を吐いた。



次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ