「名前のないavventura」
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「うー」
山下が携帯を閉じたのは、そんな女々しい自分が少し嫌になったからだ。
「……これ以上突っついたら、困らせるかな」
この困らせるかどうかという自問自答も、結局は嫌われるか否か、彼女の評価を気にするが故のもので。
「――――――、あ〜もう」
山下は唇を噛んで、がしがしと頭を髪を掻き回した。寝転がった固い床は、やたらと冷たくて嫌になった。
***
「本日は俺達の為に集まって頂き、ありがとーございまーす!!!今日は時間までみんなでわいわい騒いで親交深め合いましょ―――――!!!」
渋谷曰くの、『新入生歓迎会』。カラオケルームに明るく響く渋谷の声。に、対して、暗い暗い先輩ズの表情。
「……なにこれ」
「あ、みかに言ってなかったか。今日、新入生歓迎会なんだよ。渋谷主催の」
「なんでアッキーが仕切ってんの?」
「いつものことだろ」
「……なんで先輩達こんなに暗いの?」
「それは知らない」
前回のごたごたで、全く新入生歓迎会のことを知らなかった澪架深がひたすら戸惑う中、天深はブレイクメニューを見て自分の好きな料理のチェックを始めている。
「あっこの歌好き。ねーねー黒崎先輩デュエットしましょうy」
「むむむ無理!!」
まだ真冬にはそこまで女子ときゃっきゃうふふできる耐性がついていない。きっとトランプとか、そういう大人数ボードゲームが精々だ。いやとても惜しいと思っているけども。心情的にはとても二人でランデブーしたいと思ってるけども。
「私……いや私達……!」
ぐっと声を詰まらせる真冬に、同じように暗い顔をした早坂と由井がゆっくりと唸り声を上げる。
「カラオケ、したことない……!!」
「えっ」
イマドキ男子代表の渋谷が驚いた声を上げた。
***
こういう時、渋谷はすごいと、心から思う。
「天深君、飲み物大丈夫?」
「足りてる」
ランダム曲選択で、知らない歌を即興で歌うカラオケゲームを開始するという機転はもっと褒められていいと思う。
……ちなみに渋谷がみかに飲み物のことを聞かないのは、コーラとコーヒーと梅こぶ茶という最もやってはいけない組み合わせを一気飲みさせられた経験があるからだ、下手に澪架深にドリンクバーの希望を聞くと、お約束と言うか、ドリンクバーを混ぜて作ったポイズンドリンクを飲まされる。ていうかいつも思うんだけど梅こぶ茶を置いてるカラオケ店はなに考えてんだ。こんなもんドリンクバーにあったらチャレンジャーがポイズン作り出すに決まってんだろ。
「恵比澤妹、さっき言っていたでゅえっととは何だ」
「えっとね、一つの曲を二人で歌うんです。歌詞にね、マークがついてるから分けて歌うの」
今回は、先輩達が構ってくれてるお陰か、そんなに不満そうではなくてよかった。俺達の胃と舌は守られた。そうやって、安心して、ちょっとトイレに立ったのが間違いだった。
用を済ませて戻ってくるまでの数分間。この数分間で、部屋の中から黒崎先輩、渋谷、みかの姿が消えていた。
「……みんなは?」
「渋谷はトイレ。黒崎と妹は飲み物取りに行ったぞ」
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁもう目を離した隙に!!」きょとんとしている早坂先輩と由井先輩には悪いがちょっと毒吐きそうになってしまった。くそ油断した。今日は大人しくしてたからポイズンドリンクは諦めたと思ってたのに。
渋谷も普段ならポイズンチャレンジャー代表のみかから目を離さないようにしてるのに、油断してたか、顔に出さないだけであいつも疲れてたのかもしれない。
「呼び戻してきます!!」俺は慌てて部屋を出る。黒崎先輩が一緒だというが、あの先輩はとにかくみかに甘い。みかがドリンクを滅茶苦茶に混ぜ合わせても咎めることなく見守りそうだ。見守らないでくれあのドリンクの一気飲み係に任命されるのは主に俺と渋谷なんだ。くだらない数分後の地獄が容易に予想できて、俺は軽く眉を顰める。
それなのに無駄に気付かなくていいところに気付いてしまうこの頭は、そんなくだらない平和な予想の思考を唐突にストップさせる。
早坂先輩は、渋谷はトイレに立ったと言っていた。なら、なんで俺とすれ違わない。
引っ張られるようにして駆けだす。
空調の整った空気に満たされているのにもかかわらず、視界の端には太陽に数時間晒された時のように幻のような明滅が輝いている。
表情だけは変えずに、明滅する危険信号に従って、拳を軽く握った。