□通りすがりの16.8
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あの隻眼の男が彼に絡んできてから数日が経っている。
あれ以来あの男が騒動を起こしたと言う噂は何も立っていない。
あの夜の後日にシーに訊いてみても、同じ返答が返ってきた。
何も起こっていない。
何もされてはいない、と。
が、自分は知っていた。
あの男が立て続けに病院に来ている事。
シーを訪ねている事。
話によると持病の薬を処方してもらっているらしい。
が、それ以外でも彼はしょっちゅう病院に来ているようだ。
恐らくシーに会う為に。
さらにはザジやオモイ、他の子供達とも交流している事も知っていた。
それ自体は特に大した事ではない。
あれ以来あの男は全く何の騒ぎも起こしていない。
全く何も。
それ所か、子供達に川での遊び方を教えているらしい。
子供達も彼を慕い始めている。
大した事ではない。
そう、何も問題は起こしていないのだから。
あの男は大人しくなっている。
それでも自分は何故か不安になった。
直感が囁いていたからだ。
「あの男は怪しい。」
「あいつには気をつけろ。」
そんな警告が、自分の脳裏に何度も鳴り響いて止まらない。
考え過ぎだと言う事は分かっている。
それでも。
やはり自分はあの男性を信用出来ない。

+ + +

夜に染まり掛けていく里の通りを歩いて行く。
下駄が地面を踏み締める音が夜道に静かに響いていた。
まだある程度通行人の姿が見えているが、それでも昼間と比べると静かだ。
やはりこの時間帯が一番落ち着く。
何気なくトクマは暗くなった空を見上げた。
建物から吊り下げられている赤い提灯が、煌々と明るい光を投げ掛けているのが見える。
点々と提灯の赤い光が里の街並みに浮かび上がり、ボンヤリと街の輪郭を照らし出していた。
ゆったりとした速度で歩を進めて行く。
腕には買い物袋を提げていた。
丁度食料品の調達から帰ろうとしていた所だったのだ。
今日は確か肉料理だったか。
珍しく皆の意見がそれで合致し、トクマが献立の材料の買い出しに行く事になった。
(元々分家の毎日の食事は自分が担っていた。)
久々に一族総出で合同の稽古をした為、皆も腹を減らしたのだろう。
恐らく今晩の夕食では凄まじい光景が見れるに違いない。
大の男が何人も一つ屋根の下で暮らしているのである。
━皆の事だから、おかずの取り合い合戦になりそうだなぁ。
ふふ、と笑みを溢す。
皆の為にも早く帰らねば。
さぞ心待ちにしているに違いない。
家で待っている分家の皆を思い浮かべながら、夜の道を歩いて行く。
今日は張り切って精を出した方が良いだろう。
そう思いながらトクマは夜の冷えた空気を吸い込んだ。

病院がある筋の通りを歩いていた時だ。
病院の入口付近で誰かが立ち止まっている。
どうやら二人いるらしい。
何やら会話を交わしているようだ。
━?
咄嗟にトクマは立ち止まった。
病院の入口から光が漏れ、立ち止まっている二人の姿を照らしている。
長身の人物と、それよりも背が低い人物(それでも普通の男性位の身長だった)だ。
そして。
━あれは・・・。
光に照らされ、髪の色がはっきりと見える。
一人は水色の髪。
もう一人はよく見知った金髪だ。
次の瞬間、トクマは殴られたような錯覚を覚えた。
何故なら。

━あいつだ。

あの隻眼の男。
彼がシーと話を交わしている。
病院の入口の壁に凭れ、すっかり寛いだ出立ちで彼は何やら話していた。
両手を使ってさも大きな話をしているかのようにジェスチャーをしながら、あの捻くれた笑みを浮かべて。
シーは男の隣に立ち、彼の話に耳を傾けている。
顎に手を当て、じっと微動だにせずに相手の話に聞き入っているらしい。
咄嗟に頭に浮かんだのは警戒心だった。
何故あの男が。
何故またシーに絡んでいる。
あの夜の光景が再び脳裏に甦った。
あの得体の知れない笑み。
いきなりシーの胸倉を掴み上げて。
それだけじゃない。
あの男はザジの首にまで掴み掛って来たと聞いている。
まさか今度も?
━あいつ、また・・・っ。
そのまま二人の方に足が動きそうになった時だった。

シーが笑い声を上げた。

控え目で微かに押さえたような声だったが、確かに笑っていた。
笑っていたのだ。
あの男に対して。
まるで友人と話していて、その話の内容を面白おかしく思っているかのように。
まるで打ち解けた親友と話しているかのように。
気さくで一切よそよそしさのない、本心から楽しんでいる笑いだった。
心なしか、自分といる時よりも打ち解けているように見える。
その事に余計に言いようもない感情が胸を焦がした。
シーの笑いに釣られるように、男もおどけたように笑ってみせるのが分かる。
二人共、どちらも会話を楽しんでいるらしい。
予想外の光景に面食らい、トクマはその場で立ち尽くした。
シーとあの男が。
親しげに話している。
親しげに笑い合っている。
信じられないような光景のように思えた。
━シーさん・・・。
途端に何か曰く言い難い物を感じた。
気まずさのような。
あるいは。
そう、嫌悪感のような。
何故かは分からない。
それでも本能がそう感じているのだ。
あの男に対して、本能が嫌悪感を抱いている。
それもその筈だろう。
平気で人に物騒な「冗談」とやらを吹っ掛け、子供に対しても脅しをする男。
いかにも不躾で、ごろつきのような態度。
あの狡猾な笑み。
どこから来たのかも分からない、馬の骨のような男。
その彼が。
シーと親しげに話している。
あの純粋で真っ直ぐな目をした、潔白な男性と。
あの二人が親しくしている光景を想像する事など、とても出来なかった。
別にあの男性自体が嫌いな訳ではない。
ただシーのような、濁り一つない人物といる所を想像出来なかったのだ。
狡賢そうな、いかにも低俗なごろつき共と大差ないのだ思っていた。
場を弁えない、教養のない男。
一方でシーは自分の目に、常に一種の理想の男性のように映っていた。
純粋にトクマは彼に好感を抱いていた。
人としての好感を。
真逆の人間が、目の前で二人きりでいる。
そのせいで彼ら二人の結び付きが自分を混乱させてしまったのだろう。
そして本能的な感情を抱いてしまったのかも知れない。

と、シーが不意に身動いだ。
周囲を探るように辺りに目を配り始める。
咄嗟に勘付かれた事に気付いた。
慌てて暗闇に身を隠す。
鼓動がドクドクと早鐘を打っている。
息を潜めてその場にしゃがみこんだ。
声が聞こえて来る。
二人の話す声だ。

「どうした?」
「何かいた気がするんだが・・。チャクラを感じた。」

その後、二言三言会話が続いた。
やがて男性が病院から立ち去って行く。
去り際に彼が大きく手を挙げるのが見えた。
シーに向かってのジェスチャーなのだろう。
それに応えるようにシーが気さくに手を挙げ返す。
そのまま彼は病院へと戻って行った。
シーが建物の中に消えた後も、暫く動けなかった。
未だに心臓は大きく音を立てている。
胸の奥には靄のような感情が燻ぶっていた。
あの男への嫌悪感。
シーに絡んでいる彼に対しての、嫌悪感。
トクマは認めざるを得なかった。
自分はあの男が彼に近付く事が、本能的に許せないのだと。

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