□通りすがりの9.5
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+過去話

「これは?」

ふと目に入った写真の一つをシーは指で示してみせた。
後ろで書物に目を落とし、机に向かっていた青が顔を上げる。
自分達がいるのは広い和室の一室だ。
壁中を背の高い本棚が並び、埋め尽くしている。
木の板を張り巡らした天井にはこの部屋とは違った趣向の灯りが吊り下げられていた。
金属製の幾筋も分かれている植物の蔓のような装飾の先端に、硝子で出来た花形のカップが取り付けられたそれ。
重厚で厳かな造りのこの部屋の中で、それは少し華奢な印象を受けた。
彼曰く水影自身の趣味だと言う。
女性の彼女らしいアイデアだ。
ちゃんと部屋と電灯の雰囲気がマッチしている。
「ただの灯りだと無機質だと言われてな」と青は苦笑を漏らしていた。
確かに素っ気ない和室が、少し寛げる空間になっている。
女性はこう言った所にも鋭いのだろう、と内心で感心したものだ。

この日は丁度調べ物でここの書斎に通させてもらっていたのだ。
今となってはもうこの部屋はほぼ、青の私室も同然になっているらしい。
それ程古い医術書がこの部屋には山程保管されているそうだ。
「今の若い者は、もうここは使わんのだよ」と彼は話す。
今は新しく別の書庫が造られているらしく、若い世代(血霧時代を知らない世代)の医療忍はほとんどがそこを利用していると言う。
ここの本を閲覧しているのは青ただ一人だけだそうだ。
それでもシーからすればここに大切に仕舞われている書物は、「宝の山」と言って良かった。
素直にそう伝えると、青は照れ臭そうに、それでも頬を綻ばせて微笑んでくれた。
「お前みたいな若者も珍しいな。」
そう言って彼の大きな手にくしゃりと頭を撫でられた。
他の誰にもそうされるのを嫌っていたと言うのに、青にだけはそうされると嬉しく思ってしまう。
我ながら子供に帰ったようだった。
否、実際そうなのだろう。
あの事件――自分の過去を暴露するきっかけとなった、あの潜入任務――以来、自分と彼は奇妙な友情を育んでいた。
友情ではなく、親子のような親交と言った方がいいかも知れない。
それだけ自分達二人の間には共通する物が幾つもあった。
今は定期的に里同士を行き来し、互いに情報を交換し合ったり、相談に乗り合ったりとコンタクトを取り合っている。
互いの立場が「影の側近」と言う事もあり、それは自然な成り行きだったのだが。
時々影同士の会談で顔を合わせる事もある。
年代こそは大きく違うものの、自分達は同じ対等の立ち位置にいる人間だった。

だからこそ、青もこの書斎に自分を招いてくれたのだろう。
シーを信頼してくれているからこそ。
そしてシー自身も青を信頼し、上司として慕っているからこそここに来ている。
昔の自分なら上司と二人きりになる事を極端に恐れた事だろう。
そもそも「上司」と言う存在が、自分にとっては脅威でしかなかった。
少年時代のトラウマは今でも根深く心の奥底に根を下ろしている。
ここに来る当初も、正直心配だった。
『何かされるのではないか?』
『彼は何を望んでいるのだろう?』
が、それは無事にいらない心配に終わってくれた。
青は純粋に同じ医療忍として、影の付人として自分と対等に接してくれた。
上の立場を利用する事も、こちらに何かを強要する事もしなかった。
そんな青の直向きに部下を想う心に触れ、ようやくシーも彼を心の底から信頼できるようになったのである。
初めて自分が上司に心を許した瞬間だった。

「必要な書籍があれば自由に見てくれていい」と言う許可を貰い、慎重に書棚を巡った。
目当ての内容が、雲の資料室ではどうしても見つからない物だったからだ。
書架を巡り、目当ての題材と関連のある書物を丁寧に引き抜きながらふとこう思った。
「青も若い頃は、こうして書架の間を行き来していたのだろうか」と。

あまり彼は血霧時代の話を持ち出す事はしなかった。
シー自身が里の理不尽な差別(肌の差別、能力の差別)に苦しめられてきた身なのだ。
それを配慮しての事だったのかも知れない。
思えば自分は彼については少ししか知らない。
自分と同じように感知能力者である事を蔑まれてきた事。
その侮蔑から逃れる為に人体の解剖や暗殺、医療にのめり込んでいった事。
青について知っている事と言えばそれだけだった。
彼自身も辛い思いをしてきたのかも知れない。
増してや彼は自分より一回りも人生を生きている。
倍以上の苦しみを味わっている事だろう。
戦争も多く体験し、仲間の死にも何度も立ち合って来た筈だ。
それに、暁に操られていた四代目の水影の最期を看取ってもいる。
想像しただけでも、青が歩んで来た人生が壮絶だったと思う事は容易かった。

つい詮索してしまう自分の邪念を振り払い、再び資料探しを再会しようとした時だった。
偶々写真が入れられたフレームが幾つも入れられた棚の前を通り掛かったのだ。
そのまま通り過ぎようと思ったのだが、ふと目がある写真を捉えた。
そして釘付けになったのである。
それで青に質問したと言う事だ。

「何か、見つけたか。」

机に読み掛けの書物を置くと、ゆっくりと彼が立ち上がる。
やがてこちらの側まで歩み寄った。
背後からシーが指差している写真を覗き込む。
小さく青が苦笑を漏らした。
「秘密を知られてしまったか」とでも言うように。

「ああ、これか・・よく目に付いたな。」
「少し気になってしまって。」
「そうか・・・。」

青が棚を開き、フレームを手に取る。
その横からシーは写真を覗き込んだ。
古い写真だ。
色褪せた、色がセピアに変色し掛かっている写真。
昔に撮った物なのだろう。
興味深々に青に訊く。

「いつの写真ですか?」
「・・二十年程前に撮った奴だな。だいぶ古くなってるが。」
「そんな前に・・・。でも保存状態は良いですね。」
「ああ。どうしても捨てられなくてな。」

青が押し黙り、無言で写真を見つめる。
やがて彼がこちらにフレームを渡してくれた。

「見ても?」
「ああ。特別だ。」

じっとフレームに閉じられた写真を見つめる。
二人の人物がそこに映っていた。
一人は霧忍のベストに身を包んだ男性。
そしてもう一人は霧の暗部の忍服に身を包んだ男性だった。
深緑の着流しに、リブ生地のタートルネック。
額当ては外している。
プライベートの時に撮った物らしい。
シーの目はその暗部の男性に釘付けになった。
日の下に晒された広い額。
短く刈られた天色の髪。
殺伐とした、鷹を思わせる二つの灰色の目。
無骨な体付きをしているがその顔は不思議と洗練され、整っていた。
そして長身の体躯。
━これは・・・。
思わず横目で青を見る。
そして再び写真の男性に目を戻す。
男性は若い風貌で、恐らく自分と同い年位だろう。
顔は皺もなく、まだまだ若々しい。
活力に溢れている印象を受ける。
多少の異なる点はあるが、間違いない。
この男性は青だ。
若い頃の、彼なのだ。

「ひょっとして、青さんですか?」

暫し沈黙。
やがて青が苦笑交じりに笑った。

「ああ。老けたものだろう?」
「いえ・・面影が残ってます。」
「そう言ってくれると嬉しいな。」

気さくに彼が笑って続ける。

「この時は・・暗部で追い忍をしていた。今見ると懐かしいものがある。」
「医療技術もこの時に?」
「ああ。毎日ここに篭ってな。当時からここを使わせてもらっていたんだ。」

隣に立つ青を見上げる。
昔を懐かしむような表情。
それと同時にどこか寂しげな表情が浮かんでいた。

「地下で人体解剖もしていたな・・周囲からは変わり者扱いされてしまったが。」

一瞬だけ彼の表情が、辛さを帯びたような気がした。
ほんの一瞬の事だった。
それでもシーはそれに気付いてしまった。
写真について訊いてしまった事を後悔する。
思い出させてしまったのかも知れない。
彼が押し込めていた暗い記憶を。

「何、そんな顔をするんじゃない。」

ハッとして見上げると、彼がこちらを見下ろしていた。
俯いてシーは呟く。

「俺の質問で・・思い出させてしまったのかと。」
「はは、全くお前は・・・。俺はそこまで軟くはないぞ?」
「でも・・・。」
「シー、気にしないでくれ。」

朗らかな笑顔を作ってみせ、彼が言う。

「俺は・・昔の事は過ぎた事だと思ってる。何故なら俺には「未来」があるからな。」
「え?」

思わず首を傾げた瞬間、再び青の手が頭に置かれる。
そして。

「お前だ。」

穏やかに微笑んで彼はそう告げた。
大きな手が自分の淡黄色の髪を撫でる。
大きくて無骨なようで、細くて形の良い手だった。
暫く言葉が出て来なかった。
信じられなかったのだ。
彼がそこまで自分を認めてくれていた事が。
自分の意志をシーに託そうと思ってくれていた事が。
誰が想像出来ただろう?
こそばゆくなり、顔が熱くなる。
それを隠す為にフレームの写真に顔を埋めながら、シーはポツリと言った。

「ありがとう・・ございます。」

俺も、貴方に会えて良かった。

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