一話完結

□奇奇怪怪
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※実際は1609年ですが、大体関ヶ原前あたりの設定。


井伊直政は主である徳川家康に会おうと駿府城を訪れた。
訪れるのは久しぶりだなと思いながら中へ入り廊下に差し掛かった時だ。
ひゅんと目の前を通り過ぎる肌色の物体。あまりにも早すぎて何があったのか、直政には理解できなかった。しかし、すぐに我に返り先ほどの物体の去って行った方角を慌てて見つめれば、その物体が角を曲がる瞬間であった。


「見間違いじゃ、ない……?」


直政は思わず呟く。すると、どこからか走ってくる足音が聞こえ、次はそちらを見た。


「直政殿!」

「どうした? それに、先ほどのは……」

「あれを見られたのですか!」


駆け寄ってきた家康家臣に事情を聞けば、今日の朝方に突然庭に先ほどのものが現れたのだという。
大きさは子供ほどで、頭はなく、人間でいう胴体のところに顔らしきものがある。手はあるものの指はなく、手足は短い。まさに妖怪、化け物と言ったものであった。名前などわかるはずもなく、とりあえず肉人と呼んでいるらしい。


「家康様には?」

「城から離れた山へ追い払えと。ですが……」

「捕まらんのか」


そう言えば、バツが悪そうに顔をゆがめた。


「……仕方あるまい。私も手伝おう」

「あ、ありがとうございます!」

「家康様がいらっしゃるこの城で何かあっては困るからな」


直政がそう言うと、家臣は心強い味方が出来たと笑った。
一先ず、あの肉人がどこにいったのか調べなければなるまい。直政は肉人が走り去って行った方へ向かった。先程通ってからは時間が経っている。そしてあの速さだ。実のところ、直政が捕まえることが出来る保障などどこにもない。しかし、出来ないでは駄目なのだ。主である家康のため。徳川四天王の一人である直政が諦めるわけにはいかない。
直政は決意を胸に走った。家臣や女中の声が聞こえる方にいるに違いない。あのような化け物がいれば誰とて騒ぐ。そう踏んでいたのだが、それは直政の意図とは異なったことで証明された。


「捕まえたッスー!!」


随分と能天気な声が聞こえ、直政はすぐに帰りたくなった。いや、待て。落ち着くんだ。この城に肉人を置いておいてよいのか? 答えは決まっている。いいはずがない。もし直政が見つけ肉人を追い払ったならば。おそらく、いや確実に家康から誉められるであろう。そのためならば多少のことは我慢しなければ。
直政は声の主を探した。そして、そいつは思ったよりも近く、今朝現れたという庭にいたのだ。犯人は現場に帰るというが、まさかここにいたとは。直政は内心舌打ちをしながらその者に声をかけた。


「……康政殿」


長い髪を揺らし、笑顔で振り返ったのは同じく徳川家臣の榊原康政である。その笑顔を見て、直政は隠すことなく嫌悪感を表した。直政は康政が嫌いであった。何故と問われても全てがとしか言えない。
ただでさえ嫌いだというのに、直政の髪が金であるのに対し、康政の髪は銀。康政とは対のような扱いをされるところも腹が立つ。それだけではなく、性格も対を成していると他のものからは言われるのだが、直政は知らない。


「あ、直政くん! 見てくださいよこれー!! すげぇ変なの!!」


そう言う康政が地面に押さえつけているのは肌色の塊。妖怪のようなそれは、先ほどの家臣の情報と一致する。間違いない。肉人だ。


「報告は今いりません。それより、それを決して離さないでください」


直政が睨み付けると、康政は笑って返事をした。


「え、何でッスか? あ、もしかして直政くんが飼ってる動物? 直政くん趣味悪いッスねー」

「そのようなことあるわけがないでしょう!!」


他の者に縄を持ってくるよう指示していた直政は思わず声を荒げる。その反応に康政はくすくすと笑った。


「あは、やっぱりそうッスよねぇー……。飼うというよりは食べた方が良さそうッス」


その瞬間、康政の言葉を理解したのか肉人が突然暴れ出した。


「うわ、なんスかもう!」

「! 絶対に逃がすな!!」

「ってーか、もうこれ殺しちゃった方が早くないスか!?」


康政の言葉も一理ある。しかし、直政にはそれが出来ない理由があった。


「家康様は城から離れた山へ追い払えと仰られたのです。殺しては命に反します」

「うへ、直政くん真面目だなぁ。んじゃ、まぁわかったッスよ。敬語が取れるくらいには焦ったみたいですし」

「……貴方が食べたいなどと馬鹿げた発言をするからでしょう」


直政が睨むと康政はにへらと笑った。
丁度そのとき、一人の者が縄を持ってきた。先程頼んだ者かと直政が顔を向ければ、また別の者であった。


「忠勝くん! 来てたんスね!!」

「今来たところでござるよ」


本多忠勝。徳川家康に過ぎたるものと言われ、戦国最強とも伝えられる男だ。直政からすれば、ただ怪我をしない馬鹿なのだが。
そして、忠勝もまた直政と対のような扱いをされる。忠勝は今まで怪我をしたことがないのだという。しかし、直政は孫呉の周泰の如く全身に傷痕があったとされる。無傷で戦に勝利する忠勝、怪我を負ってでも勝利を掴む直政。どちらがよいかなど、誰にもわからない。


「それが肉人にござるか? 確かに、肉の塊のよう。皆が恐れる理由も解せるでござるな」

「いつまで立ち続けているのですか。早くその縄で肉人を縛ってください」

「辛そうな俺を心配してくれるんスか? 直政くん優しいッスね!!」

「いっそそいつごと縛れ」


直政が声を低くして告げると、康政は困ったなぁと笑みを浮かべた。
しかし、忠勝は慣れた様子で無視し、肉人を縄で縛り上げた。皮膚に縄が食い込み、肉人はギイッと声を上げた。本当に妖怪のようだ。


「さて、と。これで城内の安全は保たれたということッスね。いやぁ直政くんと忠勝くんのお陰ッスよ!」

「ははは、そんなことはござらんよ。康政殿が捕らえていたからこそ、拙者が縛ることが出来たのでござる。ただ見ていたわけではござらんからなあ」


まるで誰かが見ているだけで何もしていなかったかの物言いだ。
……いや、実際やっていたことと言えば、康政を止めることと縄を持ってくるよう指示したことくらいか。
だからといって、忠勝に反論する気も、ましてや謝る気など毛頭ない。


「そんなことより、家康様はその肉人をここから遠く離れた山に放すよう命じられました。丁度いい。忠勝殿、後の処理を任せます」

「承知つかまつった。家康様のご命令とあらばなんなりと」

「ほんと二人とも家康様のことになると仲良しになるッスよねえ」


仲良しどころか皮肉の言い合いのようなものだが。康政の頭の中はどうなっているのだろうか、直政は疑問である。
とにかく、無事に捉えたことを主に伝えなくては。直政は家康の元へ向かった。


「そうか、よくやった!」


家康がそう言って笑った。直政はそれを見ただけでとても幸せに思えた。




そしてその数日後、肉人が健康に良いと家康が聞いてとても後悔するのはもう少しあとのことである。








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