一話完結

□不得手
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ある年の春。真田幸隆が茶を縁側ですすっていれば、後ろからため息が聞こえた。後ろを向けば筆を持ったまま眼鏡を上に押し上げている馬場信春がいた。それを見て幸隆はいつものように笑みながら問うた。


「どうしかしました、信春殿?」

「どうしたもこうしたもないですよ。殿のことです」


殿、とは甲斐の虎武田信玄のことである。尤も、今は信玄と名乗る前であり、武田晴信と名乗っているが。
それに納得した幸隆はふふ、と笑った。


「笑わないでください、幸隆さん! こっちは真剣なんですよ!!」

「わかってますよー。それで、今回はどうしたんです?」


怒る信春に諭すように再び問う。信春が長く息を吐くと、それに答えた。


「殿が嫌いなものはご存知ですか?」

「んー、該当するものが多すぎて」


幸隆の言葉に思わず信春は苦笑する。


「そうでしたね、すみません。中でも芋虫が嫌いなようで、進軍中に木から落ちてきた芋虫に驚いて落馬したことがあるのです」

「それはまぁ……」


殿らしい、と幸隆は思う。だが、信春はそんな晴信をどうするべきか悩んでいるのであった。


「仮にも、仮にも我らの殿です。そのような情けない姿は家臣には見せられないでしょう?」

「そうですねぇ。……ああ、なら頭の良い人に聞くしかないんじゃないですか?」


幸隆がにやりと怪しい笑みを浮かべる。信春は眉を寄せて、眼鏡を軽く押さえた。











「……で、俺のところに来たと?」

「ええ、まぁ。何か良い手はないでしょうか、勘助さん」


溜め池をついた山本勘助はあからさまにめんどくさそうな表情をし、幸隆を睨む。にっこりと笑むのみの幸隆に一つ舌打ちをすると、冷たく提案した。


「んなもん、適当に芋虫捕まえて晴信にぶつけちまえばいいだろ」

「勘助、それきっと悪化する」

「うるせぇ幸隆。つーか、軍師ってのはそんなこと考えるもんじゃねぇんだよ」

「つまりは天下の名軍師山本勘助の主は芋虫嫌いのへたれ人間だったって他国、さらには未来の人に知れ渡ってもいいんだ?」

「……それは殿にも失礼では?」


信春の言葉を気にする様子も無く、勘助は少し考えるとにやりと笑った。


「上等じゃねぇーか。やってやるよ。……俺の指示に従え」





「わしに見せたいもの?」

「ええ。皆さん(多分悪い方に)張り切ってるようですよ。それで兄上を連れてくるよう頼まれたのです」

「そうか! では行くぞ、信繁!!」


笑顔を見せた兄に武田典厩信繁は何とも言えぬ表情で着いていった。何か良からぬ展開になるんではないだろうか、と。楽しそうな兄を邪魔するわけにもいかないので、何も言わないことにした信繁であった。
そして、信繁のその勘は当たることとなる。


「あ、殿いらっしゃいましたよー」


屋敷の庭に行けば、幸隆がその場にいた信春、勘助に声をかける。


「わしに見せたいものって言うのは何だ、幸隆?」

「はいはーい。信春殿ー取ってくださーい」


信春の隣には膝より少し下くらいの大きさの岩があり、その岩に布が被せてあった。取ってくれというのは、それのことであろう。何だろうか、と晴信はそれが見つめていると、信春は頷いてその布を取った。


「!?」


驚愕、という言葉が頭上に浮かんでいそうな表情。その目線の先、岩の上には大量の芋虫が蠢きその数は……最低でも三十はあると思われるが正確な数はわからなかった。


「ま、ままままさっ」

「昌信さんは呼ばないでください」


ぴしゃりと信春に言われ晴信は涙目で口を開いた。


「何でだ! わしは芋虫嫌いなんだよ!! ああっ…鳥肌がっ……」

「殿、これも試練です。いいですか。貴方は仮にも、仮にも我らの殿なのです」


その台詞さっきも聞きましたよ。なんて幸隆が呟いたが信春は気にする様子も無い。


「たかが虫です。その虫を恐れてはなりません」

「し、しかし誰にも苦手なのが一つくらい」

「殿には苦手なもの沢山あるじゃないですか。あ、殿。芋虫手にとって見てくださいよ」

「無理だ幸隆! だいたい、こんだけの量どうやって集めたんだよ!!」


ビシッとなるべく見ないように芋虫の方を指差し、ドSトリオ(勘助、信春、幸隆のこと。命名は晴信)を見つめると幸隆がにっこりと笑った。


「ああ、それは昌景殿が」

「昌景が集めたのか!?」


予想外の名前が出て晴信は目を見開く。それを察した勘助が説明した。


「晴信のためだとか理由つければ、殿のためならばこの昌景死んでも集めますぞって叫んで森の中に走って行ったからな。全く利用しやすいやつだあいつは」


山県昌景が野山を駆け巡る姿をすぐに想像出来た。身長が小さいからか猿のようだったが。


「とにかく早く掴めよ晴信」

「嫌だ! 絶対に!!」


頑なに拒否し続ける晴信を見て、幸隆は晴信の隣で苦笑していた信繁に話しかけた。


「典厩殿も虫嫌いな兄は嫌ですよねぇ?格好悪いと思いますよねぇ?」

「え、わ、私ですか? ええーと…まぁ、多少は」


その台詞がグサリと晴信の心臓に突き刺さった。


「さて、殿。典厩さんも仰っています。やりますよね?」

「やってくれますよねぇ」

「つーかやれよ」


だんだん言葉が悪化している、と思いつつも、溺愛している典厩に言われればやるしかない。というか格好良いとこ見せたい。


「……わかった」


恐る恐る震える手を伸ばす。うねうねというかぐにょぐにょというか。様々な動きをするソレに手を伸ばす。
つん、と人差し指で一匹をつつけばすかさず信春の「持ってください」という言葉が入り、比較的小さいものを二つの指で摘まんだ。


「誰が摘まめと言ったのですか。持つのです。手のひらに乗せてください」

「うわああああ…い、いいい生きてるっ……」

「当たり前だろ、アホか」


冷静な勘助の言葉が聞こえるはずもなく、ゆっくりと持ち変えて手のひらに乗せた。


「やった! やったぞ、信繁!!」

「ええ、素晴らしいですよ兄上」

「これで克服だな!!」


と、喜びのあまりそのまま強く拳を作ったのが間違いだった。


「あ」


一文字が見事に揃う。晴信は芋虫を持っていた手でガッツポーズしたのだ。持っていた、と過去形なのは最早芋虫ではなくなっていたからである。
手の中で柔らかい何かが潰れたと同時にグチョという音、そして手の中が濡れた。ゆっくりと開けば中には酷い光景が広がっていて、


「ま、昌信ぅぅぅぅううう!!!」

何かあればすぐに高坂昌信を呼ぶのをやめさせようと信春は誓うのだった。









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