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□いとおしくて…
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ふと、意識が浮上した。



寝過ごしてしまったかと焦燥感が芽生えるものの頭の隅で今日はオフです、と冷静に自分の声が響く。
安堵と共に無意識の内に在るはずの温もりを抱き寄せようと手を伸ばしてみるが、一向に何も掴めずにシーツの波を指先でなぞるばかりで。



「…名前?」



幾ら待っても返って来るのは静寂ばかり。
重たい目蓋を開けるとカーテンの隙間からは淡い陽が洩れていた。
未だにひんやりとした空気を纏う室内に聞こえてくる鳥の声は今の時刻を早朝だと判断するには十分で、空いた隣りに余計不安を覚えてしまう。



「居ないのですか…?」



未だに残る睡魔に気怠い体を起こしてみるも、やはりなまえの姿はない。
普段なら朝食を作り終わり、起こしにいくまでは確実に愛らしい寝顔をみせてくれるのに、今日ばかりは違うようで。
昨夜彼女が居た場所には、彼女が愛用しているやけに大きなクマの抱き枕がごろんと転がっているだけだった。



「…名前、どこです?」



床に足をつくとひやりとした感触に妙に心が揺さぶられる。
非日常というものは思っていた以上に感情を乱す。彼女と共にある日常が、あまりに自然過ぎて。
寝間着のまま足早に寝室を出ると、遠くはあるが漸く彼女の気配を感じて張り詰めていた感情が解けていく。



足音をたてないように気配を辿って行くと、小さくトントンと音をたててキッチンに向かっている名前を見つけた。
安堵に思わず深く息を吐き出しそうになるのを、押し止めて飲み込む。
真剣に食材と向き合っているようで、此方に気付く気配は全く感じられない。



(…本当に愛らしい)



無防備な背中に加虐心を擽られ、忍び足で近付くと小さな体を後ろから抱きしめた。
耳元に唇を寄せると面白いように肩が揺れる。



「…名前、勝手に私の傍からいなくならないで下さい」

「っ、びっくりした…もう起きたの?」

「ええ。あなたの姿が見えなかったので、すっかり目が醒めました」



申し訳なさそうに眉を下げてごめんね、と呟き腕の中で更に小さくなるなまえの姿に胸が締め付けられる。



(全くあなたって人は…)



どうしてこうも、私を惹きつけて離さないのだろう。
出逢う前までは知らなかった、…知ろうともしなかった感情で何処までも満たされていく。
自然と表情が緩むのを自覚するも、抑える理由もない。



「…謝らないで下さい。悪いと思うのなら、謝罪の仕方は他にもあるでしょう?」

「……」



名前の、少しむくれた表情は私の加虐心を煽るだけで。
体に回していた腕に力を込めると、諦めたようにため息が聞こえた。





その表情も、感性も、名前を構築するもの全て…ただ掠めるように触れる熱さえ、愛おしい。

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