Collection

□サロモンの秘密
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夏の鋭さを脱ぎ捨てた光がエリーの身体を包み込んでいる。
晩秋特有の淡いヴェールに守られ、微風が肌に心地良い。眼前に広がるコスモスは彼女にその可憐な美を絶え間なく与え続けていた。彼の愛する庭は言葉にできないほど美しい。一日では絶対回りきれないほどの広大さの中に季節の魅力が余すところ無くぎゅっと詰め込まれている。女の子であれば誰もが憧れ、散策に耽りたくなるような理想的な庭園。そんな風景の中にエリーは一人佇んでいた。
それから腰を下ろし、その花びらをそっと撫で、秋の香りを楽しむ。ふと、視界の隅に一人の庭師が入り、彼女は立ち上がると笑顔を綻ばせた。
「あ、フォルクルさん、こんにちは〜♪今日もとってもきれいに咲いてますねv」
「エルフィール様・・・ええ・・ありがとうございます。旦那様も日々とても満足しておられるのですよ。」
最近きちんとエンデルクは休暇を取るようになった。それも、エリーのおかげである。だが、隣にいるはずの姿が見当たらず、フォルクルは首を傾げた。
「ところで・・・旦那様は・・・?」
「はい。さっきお城の方が急にお見えになられて・・・何でも火急の用件なんだそうです・・・。」
そういえばと彼は頭を巡らし、ある異変を思い起こした。なにやら表門の方で慌しい風が吹いていたようだった。ちょうど自分が裏庭へ回っていた時、その予期せぬ客人が訪れたのだろう。
「左様でございますか・・・。」
「お休みでも突然お仕事のお話が入っちゃうんですから、エンデルク様ってほんと大変ですよね・・・。」
ぽつりと言葉を落とし、寂しそうに俯く。瞳には彼の身体と心を心底心配する気持ちが痛いほど溢れている。そんなエリーの横顔にフォルクルは穏やかな声音を響かせた。
「ええ。だから貴女様がこうして旦那様のお傍にいてくださること。私達も本当に嬉しく有難い事だと思っているのです。本当にあの方はずっと御独りでしたから・・・。貴女様はあの方にとって唯一の光、安らぎなんです。エルフィール様、どうかこれからも旦那様をよろしくお願いしますね。」
「あわわわっ・・・そんな・・・頭を上げてくださいよ!フォルクルさん!」
ただでさえ柔らかな物腰がさらに丁寧さを増す。気恥かしさと、申し訳なさで心が一杯になったエリーは「もちろんですよ。」と頬を赤らめ返答した後、慌てて、話題を生きている箒にすり替えた。そろそろ寿命が来るのではないですかと。以前よりももっと長期間使えるように調合を工夫したことなどいろんな方向から語りかけ更に箒の問題点はないか?不便なところは見つかっていないか?とも質問してくる。
こういった心遣いが主の心を動かしたのだろう。それを身近に感じ、フォルクルは頭を振った後、よりいっそうエリーに温かな眼差しを向けた。
フォルクルと別れた後、エリーは、花壇の列から離れ、緑煌く、小さな森へとハミングし、爪先を向け歩いていった。緊急の仕事のせいで、エリーに充分なもてなしができないと悟ったエンデルクは、この広大な庭を自由に歩んでいいと言ってくれたのだった。随所には庭師がそれぞれの仕事に就き作業しており、迷子になる心配もない。そしてエンデルクの仕事が終われば、用意周到な召使達が、エリーを探しに来るという寸法だ。そこにタイミング良く、みゃーという鳴き声が聞こえてくる。
「あ。エル。こんなとこでお昼寝してたの?」
樫の大木の上から一匹の黒猫が颯爽と降りてきてエリーの足元にじゃれ甘えてくる。まるで一緒に連れて行ってくれといった可愛らしい素振りにエリーはにっこりと笑いエルを胸に抱えた。そして少し薄暗いが、どこか神秘的な空気の漂う森へと入っていく。
「わ―・・・気持ち良い〜・・・。」
ザールブルグに広がる様々な自然の森をミニチュア化したような場所。そこは光と静寂が優雅に佇み世俗にまみれた時間を浄化していた。木々には小鳥やリス・子ウサギ達が集まってきており様々な会話を囁いている。まるで童話の世界を忠実に再現したかのような美しい森の姿だった。瞳の中に映し出されていく光景とともに深い緑が与えてくれる大気に思い切り癒され、深呼吸してみる。
胸元が大きく動いたからであろうか、この時腕の中のエルがぶるるっと身体を震わせ、エリーの手から滑り落ちていった。
「あ・・・エル!どこへいっちゃうの?」
だめだよ―迷子になっちゃうよ――と叫ぼうとも思ったが、自分よりもエルの方がこの森に詳しいであろうことに気付き、その言葉を飲み込む。
それにエルの速度はおいつけないというわけではなかった。しっぽをゆらゆら一定に揺らし、泰然と自信満々に進んでいる。その先っぽをずっと見、追い続けていると、やがて不思議とこんなことが浮かんでくる。突然降りたのは気まぐれではない。あなたを何処かへ案内しているのですと。
「ほらっ、つかまえた!」
言葉を話せないエルの無言の誘導には何か意味があるのかもしれない・・・・。そう朧げに感じながら、ひょいと視線を森の奥へと差し向けてみる。その時、全く予期せぬ人物の影が視界に入った。それはエンデルクを最もよく理解し、知る召使・・・・・。遥か先にサロモンの姿を見つけ、エリーは思わず立ち止まってしまった。
(サロモンさんだ・・・どうして・・・こんなところへ・・・?)
しかも驚くべきことはそれだけではなかった。いつもの、落ち着いたナイスミドルな様相とは全く異なった表情を彼は浮かべている。
(・・・・・・。)
エリーの変化を知ったエルはまたぴょんと腕の中へいつしか収まっている。そんなエルとサロモンにエリーは交互に視線を送ってみる。うにゃんと気楽そうに鳴くエル。どこか青褪めたサロモン。サロモンの顔色はどんどん冴えない方向へ傾き、若干暗い影すらも落としている。そしてどこか焦燥感まで漂っている・・・。
こんな顔をするサロモンなど見たことがなく、エリーはエルの案内を確信し、小さく頷いた。彼はこちらに全く気付く風でもなく、ゆっくりとその前方にあるログ調の小屋の中へと入り、周囲をさっと確認した後、パタンとその扉を閉めてしまう。
(・・・・どうしよう・・・なんか・・・気になっちゃうんだけど・・・。)
錬金術師としての好奇心はこんな種類の事でも騒ぎ出してしまうのか、否、野次馬根性だといわれてみればそれまでだけれども・・・・。それよりあの蒼白な顔が気にかかって仕方なかった。ここの主同様、彼も決して辛さを見せないタイプのような気がしたからだった。どこか身体の具合でも悪いのではないだろうか・・・。皆に心配かけまいとしてこんなところで薬でも飲んでいるのではないだろうか・・・。


その時胸元で可愛らしい鳴き声が思考を遮る。
にゃにゃん!
「え?エル・・・覗いてみろっていうの?」
にゃんvv
「そんなぁ・・・だめだよぅ――だって明らかに怪しいし・・・・。見ちゃいけないのかも・・・?」
にゃおん!
「あっ!だめだって!エルったら―――!!!」
勢いよく腕からすり抜けたエルは飛ぶようにミニログハウスの方へ走り出していく。その速さにつられ、ついついエリーもその小屋へ足を運ぶことになってしまった。



大きな丸太を隙間なく組んだ壁にはガーデニング用の道具が立てかけられている。窓はついているが全てエリーの背より幾分高い場所に配置されている。どうやら物置小屋だと判断はついたが、益々疑問が沸いてくる。
「いったいこんなところへどうしてきてるんだろう?う――んわかんないなぁ・・・。」
もう一度外へ並べられている道具をくまなく観察してみたが、どれもこれも戸外で必要とされる用具ばかりである。執事のような彼が取り急ぎ使用するようなものはないような気もしてくるし、仮に彼がカーデニングを趣味で行うとしても、どうしてあんな弱々しい態度で、まるで人目を避けるようにここへ入ったのかは全く謎に包まれている・・。
「う――――ん・・・やっぱり気になっちゃうよ・・・・。」

あらためてエリーはサロモンのことを思い描いた。ここへ来て初めて馴染みとなった召使である彼は、精神的にも年齢的にもエンデルクよりずっと大人で、時にはその落ち着きの中に軽い揶揄を含ませながら、自分達に接してきている。最近顕著にそれを感じたのはエンデルクと熱いキスを交わした後、かけてきた食事への案内だった。
(接吻をしている最中の方がよろしかったのですか・・・だなんてそんな恥ずかしいセリフ・・涼しい顔していわないでくださいよううう〜〜〜!!!)
みらっみらららら!!!と巻き舌になってしまった心の裏側にはこんな乙女な訴えがバクハツしていたというのに、彼も恋人のエンデルクもたいして動じてはいなかった。そのことは今でも滅茶苦茶口惜しい。
キスを目撃されるということは普通の常識から考えてとても恥ずかしいことだというのに、それを一部始終見たであろう彼はその後もなんの些細な変化を見せることはなかった。いやそれどころか一層自分に親しい目を向けてくれ、余裕ある洗練された物腰で優しく接してくれているのだ。サロモンとエンデルク。クールで大人な二人はやはりどこか似ていた。そして自分はいつも二人の手の中で良い様に転がされているのだ。但し恋人であるエンデルクについては、これまで自然に天然化していた誘惑で迷わせることができていたようで、思いがけず達成されていた逆襲に満足もあった。併し、サロモンについては一向に手のうちようがなかったのが現状である。




ところが・・・・。
今回のサロモンの奇行である・・・。
一生彼には頭が下がりっぱなしだと思っていたのに、今そのチャンスが転がり込んでいるような気がする・・・・。





(あっ・・・なっ・・なんてこと!ひょっとしたらご病気かもしれないのに・・・今チャンスだなんて思っちゃって・・・エリーのバカバカ!!!)

いつもやりこめられているものだからついつい小悪魔的な感情がぴょこりと芽を出してしまう。
そんな心の動きを一気に後押しするように、エルがひょっこりと屋根の上から顔を出し、鳴き声をあげる。

「あ!エル!そんなところに!」

いくら降りておいでと小さく声をかけても、エルはぽやんと欠伸をし、呑気に毛づくろいを始めている。

(んもう・・・仕方ないなぁ・・・。)
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