12/27の日記

19:19
泣けるかどうか
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気分転換にDVDで『続・三丁目の夕日』を観た。

よくできた話だ。CGも凄いが。

で、伏線として「純文学とは何か」のいわば自問自答がある。

思えば、第1作からそれはあった。
監督・脚本の山崎貴が、登場人物に芥川龍之介、吉行淳之介の名前を用いていたのも、そんな企みがあったのだと思わず膝を叩く。


簡明に言うとその解釈は「泣けますか」である。


いや、それは聞いていた。新潮から「泣けますか」と。
出版サイドから言えば「売れますか」と同じ意味である。

カネを払って、紙の小説を買う意義はそこにある。


今この平成20年も、それは変わっていないんだ。
たとえば「一杯のかけそば」みたいなくだらない話でも、売れればいい話である。飯島愛も。

ケータイ小説も。


現代社会には、泣きたい場面がたくさんあって、でも涙こらえて生きている人が多いから、そうなっちゃうんだろうな。


あーいう映画を観ると、まだ純文学には仕事があるなーと確信する。

いわば「なみだ仕掛人」だ。


まっ、書くのは若い人たちにまかせるよ。

おれにはもう『未来』という時間がない。


世に何かを書き残すには、そうだな、10年は要る。


夏目漱石は38歳で処女作『我輩は猫である』を書き、文壇デビュー。他界したのは49歳。
ちなみにビートルズ。デビューが1962年、解散は1970年である。

(おれの記憶が正しければ)


おれはあと10年も生きる気がしない。

新しい人が書いたものを読んで泣く『涙もろい老人』になろう。

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