Subject

□『月蝕』
1ページ/2ページ


落ちていく闇。
融けていく感情。
咽るような甘い香りに、
踏み躙りたくなるような嫌悪感。

目の前に広がるのは、ただ風のように撫でていく………発狂の想い。



…それだけだ。





『月蝕』





通り過ぎる風が、不意に胸の中を掻き乱す。
小さく疼く胸の傷が、ただ責め立てるように軋んだ。
見上げれば微かな光。
街の灯りに隠され、目立たない地味な色。
それが何故だか無性に腹立たしくて。
鷹山は、手にした煙草をクシャリと握り潰した。



許されようなんて思っていない。
それが、どれ程に苦しいコトであっても…
今更、諦める事など出来なかった。


けれど、時折…不意に、顔を擡げるように。
キリキリと胸を締め付けるような痛みが、身体中を駆け巡る。


焦燥感に似た、諦めの色。
けれど、諦めと言いながら…白い腕を攫もうともがく。
それが、どうにも可笑しくて…自分を静かに嘲笑した。


冗談で隠しながら、本音を告げる。
それが、あまりに情けなく、口にした言葉が自分を切りつけた。
鈍い痛みと、嫌悪を感じながら、
それでも目の前の痺れるような甘さに抗う事が出来ない。





パラパラと屑となった煙草が指先から零れ落ちる。
足元に散らばったソレを、無機質な瞳でジッと見つめた。










「タカ〜?」










不意に、間の抜けたような声が響く。
いつまでも戻ってこない鷹山に痺れを切らしたのか、
不貞腐れたような顔の大下の近づいてくる姿が見えた。


「どうしたんだよ?」
「別に〜、遅いから迎えに来てやっただけ」


静かに問う声に、どこか茶化したような声が答える。
相棒の様子に小さく笑えば、そんな鷹山の様子を気に留める事も無く、
大下はすぐ側にしゃがみ込むと、空を見上げながら煙草に火を点けた。


「何かあったか?」


突然の大下の行動に鷹山は訝しげに問えば、
その言葉に答える事無く、スッと空を指差した。
それにつられるように空を見上げれば。
真上にあるのは、消えてゆく月。


赤黒く、欠けていく月が…ただ一つ。
闇に静かに紛れていく。


「今日さ、月蝕だって…知ってた?」


ニヤリと笑って告げる声に、小さく首を振った。
勝ち誇ったような笑み。
その笑みに、困ったように苦笑した。


「朝から騒いでたんだよ。ホント喧しいくらいにさ」


顔は、不満そうに眉を顰めているけれど、
そう告げる声は、愛しい感情に満ちたもので。
鷹山は、煙草に火を点ける事もせずに、手の中で弄ぶ。


徐々に消えていく月の姿。
白い冴え冴えとした、凍てつく月が。
赤黒い、歪んだものへと変わっていく。
まるで、自分の中に眠る醜い感情のようで、
鷹山は、赤黒い月が自分の顔のように、歪んで見えた。



















「さってと、そろそろ時間じゃねぇの?」


ゆっくりと立ち上がる相棒の姿。


「デートの時間でしょ、タカの大好きなあいつらとさ」


そう言うと、大下は時計を指差した。
見れば、大切な取引の時間が迫っている。
鷹山は小さく息を吐き出すと、手にした煙草を口に銜えた。
そんな相棒の様子に気づいたのか、大下はそっと火を差し出した。


煙草の燃える匂いが、鼻につく。
いつもと同じモノの筈なのに、苦さが口に広がった。
静かに、肺に紫煙を送る。
ゆっくりと吸い込んだけれど、どこか煙たく…思わず、咽そうになる。
詰まる胸を押さえながら、空に向かって紫煙を吐き出した。
ゆらゆらと昇る煙が、赤黒い月を滲ませていく。
歪んだ顔が、更に歪み、…姿を消していく。


「タカ?」


不意に耳に届く、相棒の訝しげな声。
鷹山はそんな声に小さく笑うと、


「何でもねぇよ」


と告げ、足を前に出した。





頭の上では、歪んだ月が…元の姿に戻ろうとしていた。



終。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ