夢小説

□可愛い君.3
1ページ/1ページ

午前7時45分、いつもより少し遅れて家を出る。

7月も半ばを迎え、いよいよ本領発揮と言わんばかりの太陽がコンクリートの地面を焦がす。
立ち昇る熱気がスカートを揺らめかすのを感じる。

じわりと滲む汗に不快感を覚え洋子は歩を早めた。

教室に入ると大山と目があった。
朝の練習をあがったばかりらしく、汗で濡れた首元を練主着の裾で拭っている。
そのため普段は日にあたらない白い腹が外気に晒される。
洋子は引き締まり薄く割れ目の入ったそれに暫し目を奪われた。

「あ、氏原!お、おはよう・・・」
慌てて腹を隠す大山。

「・・・残念」
「は?」
「いや、なんでもない。おはよ」

そう言って席に着く。
隣の席になってからおよそ1ヶ月近くが過ぎた。
席替え当日以降一切大山には触れていないというのに、未だに洋子を警戒しているらしく、ふとした時にその素振りを見せる。
今も大山から視線を感じている。

洋子はそのことに少し寂しさを感じながら、始業までの時間に読書をしようと本を開いた。

-----------------

ゴホゴホ…

隣で大山が咳をする。
ちらりと視線を向けると、マスクに隠れた頬が紅潮しているのが見て取れた。
目も潤んでいて、いかにも病人といった感じだ。

風邪かと尋ねるとそうだと言う。
ならば朝から練習などしなければいいと思うのだが、真面目な大山には休むという選択肢が思いつかなかったのだろう。

そんな事を考えて洋子はノートを機械的に写し取る作業に戻った。


-----------------

7月末に控える大会に向けた準備も大詰めを迎え、いつもより部活が終了するのが遅かった。
下校時刻を1時間も過ぎた。
日中は人で溢れていた廊下も今は閑散としている。
午後7時といっても太陽の活動時間の長い夏はまだ日の光が残っていにもかかわらず、やはり人気のない学校というのは不安を煽る。

洋子は早足で荷物をとりに教室へと向かっていた。


教室のドアを開けた瞬間、洋子は息を飲んだ。
教室後方、洋子の席付近に黒い人影があった。
しかしすぐにそれが大山であることに気付く。
逆光に照らされてあまり表情は把握出来ない。

「大山君?」
「…」
「大山君」
「え?あ、おお」

やっと洋子の存在に気付いたらしい大山。
この時間まで残っているところをみると、放課後も野球部の練習に参加したのだろうか。

「今日も部活行ったの?」
「まあな。あんまり本格的なのはやらしてもらえなかったけど」
「風邪、大丈夫?」
「まだ頭がボーっとするけど朝よりはマシ」

そういって自分の額に当てる。
大山の言う通り、朝よりは幾分調子がよさそうだが、まだ本調子ではないようだ。

「ねえ、大山君の家ってどこ?」
「家?駅裏の山手のほう」
「そうなんだ。じゃあ良かったら一緒に帰る?」
「は!?…いや、いいよ。先帰れよ」
「まだ何か用事あった?」
「用事はないけど…」

煮え切らない大山。
洋子としては体調の悪い大山を一人で帰宅させるのは憚られる。
しかし、心配だからと言えば、大山はより頑なに誘いを断る気がした。

「正直言うとさ、怖いんだよ」
「怖い?」
「人の居ない学校ってなんだか不気味じゃない?」
「…まあ、確かに」
「だから一緒に帰ってくれたら嬉しいんだけど。お願い」
「…」

大山は頷かない。
埒が明かないと思った洋子は大山の腕へ手を伸ばす。

「ほら、どんどん時間経つから早く帰ろう」

洋子の手が触れそうになった瞬間、バッと大山が身を引いた。
行き場を失った洋子の手は空を掴む。

「あ、…悪い」

その瞬間、洋子は悟った。
薄々は分かっていたが、今はっきりと分かった。

大山は自分に恐怖心を抱いている。
今まで異常な事をしてきてしまったのだから、当然かもしれない。
そうは思うものの、洋子は動揺を隠せなかった。
気まずい沈黙が場を包む。

「…ごめん。今まで変な事して。もうしないから。じゃあ帰るね」
早口に言って逃げるように教室から出る。

心臓が痛い。
あんなことしなければよかったと後悔ばかりが頭を巡る。
少しでも教室から遠ざかろうと廊下を駆ける。
もう大山と関わる事は避けなければいけない。
そう思うとより一層胸が痛んだ。

「氏原!」
後ろから大山の声が聞こえ、次の瞬間腕を掴まれた。

「待って。お前何か勘違いしてるって」
ゼェゼェと息を切らしながら言う。
大山の体格に見合った力で掴まれた腕は逃れようにもビクとも動かない。

「ごめん、大山君。離して」
「嫌だ」
「じゃないと、また変なことするよ」

この場を離れたくてそんな事を言った。
手を離されたらもう立ち直れないのに。

「…いいよ。しろよ」

耳を疑った。

「何て?」
「だからしたかったらしろよ」
「大山君、私のこと怖いんじゃないの」
「え、怖い?」
「あんな態度とられたら誰だって分かるよ」
「だから、それが勘違いなんだって。俺はー」

そういって言葉に詰まる。
大山は何か考え込んだ顔をしたり、うーだの、あーだの言葉にならない音を発したり、暫くそうしていたかと思うと、決心したような顔をして口を開いた。

「俺さ、最近変なんだよ」
「変?」
「氏原最近は全然変な事してこなかただろ。勿論そのほうがいいんだけど、…それが、寂しいとか物足りないって感じたりさ」
「…」
「…初めて氏原とまともに喋って耳に触れられた日から、いつもお前のことが頭から離れなくて」
「授業中も隣に氏原がいるって思ったら全然集中できないし、部活でもぼーっとすんなって毎日顧問に怒られて。最近は夜も眠れなくてそのせいでこんな風邪までひいたり。時々お前の体温を思いだいて、オナニーしたり、もっと耳触って欲しいって思ったり。なんなんだよ、これ。全然分からないよ。…俺どうしたんだよ」

一気に捲くし立てた大山がゼェゼェと肩で息をしている。
マスクで頬は見えないが、耳が真っ赤な大山は、居たたまれなくなったのかうな垂れてしまった。

「…大山君」
声をかけられ、大げさに大山の肩がはねる。
表情は分からない。

「大山君、顔をあげて」
「…嫌だ」
「お願いだよ」
暫くしてしぶしぶといった様子で大山が顔をあげた。
まだ顔の熱は引いていないようだ。
居心地悪そうに目が泳ぐ。

「キスしてもいい?」
「え、…は!?」

驚いた表情でこちらを見たタイミングで、グッとネクタイを引っ張り顔を寄せる。

ピントが合わないほど近くなった大山に
「なんでそんなに可愛いの」
と尋ねる。

息を呑む大山を無視し唇を奪った。
マスク越し、唇の柔らかさは分からない。
風邪がうつっちゃうかもしれないな、とぼんやりと頭の隅で考える。

マスク越しに大山の唇の温度を感じる。
なんて愛しい温度なんだろうか。

「大山君、」
名残惜しげに唇を離して声をかける。

「…何?」
「そんなに私のこと好きなの?」
「は!?いやいや…」
「今の話、完全にそう聞こえたんだけど」

言葉につまり、一層赤みを増す大山の頬。

「…今の聞かなかったことにならない?」
消え入りそうな声でつぶやく。

「残念ながら」
「…」
「ねえ、大山君。私大山君のこと見てるとちょっかいかけたくなるんだ」
「…そうみたいだな」
「大山君の泣き顔とか見てみたし、怯えた顔とか、気持ちよさそうな顔とかも見てみたい」
「な!…何が言いたいんだよ」
「つまりね、私も大山君のこと好きだよ」
「!」

驚いた顔をする大山。
よっぽど思いがけなかったらしい。
大体、好意のない相手の耳を噛みたいなどと思うだろうか。
よほどの変態だと思われていたらしい。

大山に手を伸ばす洋子。
もう先ほどのように大山は体を引かない。

「一緒に帰ろっか」
「…おお」

廊下の窓から差し込む月光がすっかり暗くなった廊下を照らす。

洋子は先ほどとは異なる胸の痛みを覚えた。
それは甘く心地よい痛みだった。



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ