夢小説

□軽薄の裏
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洋子は今非常に憂鬱だ。
原因は目の前の男にある。

「ねぇねぇ、君超可愛いね。俺と二人で遊ばない?」

いかにも今風の若者といった風貌の男は、見たところ高校生くらいだろうか。
茶色い髪を肩ほどまで伸ばし、眉を剃りあげ、左右の耳にいくつかのピアスをつけている。

「俺、冨樫大和って言うんだけどさ。君は名前なんてーの?」

さき程からずっとこの調子だ。

朝起きると雨が降っていたので、本でも買ってカフェで読もうと思い家を出たのだが、洋子は早くも後悔しはじめていた。

カフェでこんな面倒な男と出くわすと分かっていたら家で大人しくしていたに違いない。

「君喋るの苦手?シャイガール?俺そういう娘タイプど真ん中なんだよねー」

ずっと無視し続けているのにも関わらず、男、富樫と言ったか、は去る様子がない。

せっかくの静かな読書の時間を邪魔されていることに、洋子はだんだんと腹が立ってきた。

ここから立ち去るのは簡単だが、今までの冨樫のしつこさから付いてくるような気がする。

それにこのまま相手に言わせたままでは、こちら側が折れたようで釈然としない。

どうにか冨樫を懲らしめる方法はないか。
洋子は思考をこらし、そして思いついた。

「ね、俺君の名前知りたいなー。いいじゃん、教えてよ」
「…氏原洋子」
「あ、やっと喋ってくれた。可愛い声。名前も可愛いし。氏原ちゃんって呼んでいい?」

可愛いと連呼することによって言葉の価値が下がると言うことをこの男は理解してないのだろうか。

「洋子」
「え?」
「洋子って呼んで」
「あ、ああ。うんいいよー。確かに名字より名前で呼んだほうが仲良くなった気がするよな。じゃあ洋子ちんで」

変なあだ名で呼ばれて気分が悪いがこれも冨樫に仕返しをするためだ。
洋子はぐっと堪えた。

「ねぇ冨樫君」
「俺の事は大和でいいよ、洋子ちん」
「二人で遊ぼうって言ってたよね。いいよ」
「え、いいの!?どこ行く?俺的にはゲーセンなんておすすめなんだけど。上手いんだぜ、ユーフォーキャッチャー。なんなら好きなの取ってー」
「付いてきて」

長々と喋り続ける冨樫を遮り、早々と会計を済まして店を出た。

「洋子ちん!ちょ、ちょい待ち」
慌てて冨樫は付いてくる。

「そりゃ今から遊ぶの楽しみなのは分かるけど、急がなくてもゲーセンは逃げないって!」
「……」

無言で歩く洋子。

「ストップ、洋子ちん。ゲーセンはそっちにないよ」

暫く歩いたところで、冨樫が声をかけてきた。

「ゲーセンじゃないよ」
「へ?じゃあどこ行くわけ?」
「付いてくれば分かる」
「え、ちょっと待って」

冨樫など気にかけずどんどん洋子は歩く。
休日の夕方、先程雨はあがったが未だ空にはどんよりした雲が立ち込めている。
そんな日でさえ繁華街の人通りは多い。
その間を縫うように歩く。
徐々に喧騒が遠ざかっていく。

暫くした後、洋子は足を止めた。

「はぁ、はぁ…。洋子ちん、歩くの早くね?」
「冨樫君体力ないんじゃないの?情けない」
「きっついなー。洋子ちん、超クール。それに俺の事は大和でいいって。何なら大和っちでも―」
「どうでもいいけど、着いたよ」

冨樫がとんでもない提案をする前に言葉を遮る。

「え?」

冨樫が視線をあげると、そこには毒々しいピンクのネオンを放つ建物。
駐車場らしい入口には濃緑の垂れ幕が掛かっている。
側には「ご休憩4000円」の看板。

そう、いわゆる「ラブホテル」である。

「…えっと、ここってもしかして…」
「うん。ラブホテル」

唖然としている冨樫を横目にシレッといい放つ洋子。

これこそ、洋子が思いついたナンパ男に対する仕返しである。

初対面の女にラブホテルへ連れて来られたら誰であっても引くだろし、足早に立ち去ってくれるだろう。

「ね、入ろうよ冨樫君。私冨樫君の事好きになっちゃった」

出会って数分で人を好きになれる訳がないと思うが、そこは役者。おくびにも出さない。

「え、と…」
「いいでしょ?冨樫君も私の事可愛いって言ってたよね」
「も、勿論洋子ちんは可愛いよ。でもー」
「ほら。なら早く」
「俺達まださっき会ったばっかりだしさ。もっとお互いを知ってからっつーか…」
「だって好きになっちゃったんだから仕方ないでしょ」
「…洋子ちんに好きになってもらえるのはすげえ嬉しいけど、でも…」


そう言ったきり冨樫は黙ってしまった。

走って逃げていく事を期待していた洋子としては、とんだ期待外れだ。

「冨樫君?」
「……」

返事がない。ホテルへ入るか否か迷っているのだろうか。

入ると言われたら厄介だと思い、逃げていく様を見れなかったのは惜しいが洋子は提案を下げる事にした。

「やっぱりまだホテルは早いよね。ごめん、急ぎすぎちゃー」
「……っ」

瞬間洋子は微かな嗚咽を聞いた。

「ぅ…ぐっ」

間違いない。確かに嗚咽だ。



―冨樫が泣いている。



次々と零れる涙を拭い、声をころして静かに泣く。

まさか泣くなどとは思いもよらず、洋子は唖然とした。
流石にやり過ぎただろうか。

「…冨樫君、」
「…そ、そういうのっは…けっ…結婚して…っ…からで」
「え?」
「っ…まず、は手をつ、繋いで…ひっく、それかっら、」

冨樫は泣きじゃくる。
ポタポタと雫が落ちる音がいやに大きく聞こえる。
それは先程の雨を彷彿させた。


それにしても、冨樫がこれ程までに純粋だとは驚いた。
軟派な男だから予想だにしなかった。

「…っう」

冨樫は相変わらず泣き続けている。

これで、しつこい男を撃退するという当初の目的は果たしたわけだが、余りに泣きじゃくる冨樫に申し訳がなくなってきた。
可哀想に、強く擦り過ぎるせいで目元が赤くなっている。

「…ごめん。悪ふざけが過ぎた」
「…ひっく」
「しつこくて腹がたったから、ちょっと仕返ししちゃおうと思って」
「…」
「本気で入ろうとしたわけじゃないよ。ごめんね」
「…洋子、ちん」

ようやく冨樫は泣き止んでくれた。
思うと男の子を泣かせたのなんて小学生以来だろうか。

「本当ごめんなさい」
「…い、いいよ。俺のほうこそ、いきなり泣いたりしてごめん。」
「…」
「洋子ちんにカッコ悪いとこみられちった。…俺マジだっせぇ」

冨樫は恥ずかしそうに小さく笑う。
まだ目には涙が溜まっていて、涙を拭ったせいでTシャツの袖口が変色してしまっている。

「これ、使って」
洋子は冨樫にハンカチを差し出した。

「いいの?ありがとう」
受け取った冨樫が目元を拭くが頬に雫が残っている。


「まだ残ってるよ。ちょっと貸して」
冨樫からハンカチを取り頬を拭ってやる。

「!」
「はい。もう大丈夫」
「……」

冨樫から返事はない。

「冨樫君?」
「!え、う、うん。あ、ありがとう」

赤い顔で言う冨樫。

「あ、ごめん。触ったらまずかったよね」
先程冨樫の純粋さを知ったせいで、またしてはいけない事をしてしまったのではと焦る洋子。

「いや、それはまあ、いいんだけど…」

そう言って冨樫は俯く。

「…冨樫君って見かけによらず純情だよね」
「純情!?な、なわけないじゃん。何言ってんの洋子ちん」
「いや、だって、ねえ…?」
「…みんなが変なんだって。すぐ付き合ったり、別れたり。そんなの悲しいじゃん」

呟いた冨樫に、その見た目でよく言うよと思う洋子。
しかし、冨樫の本当の姿を知って、初めは鬱陶しいと思っていた気持ちがきれいに消えているのを感じた。

「ねぇ、冨樫君」
「大和でいいってば、洋子ちん」
「…大和君。ユーフォーキャッチャーのこつ教えてくれませんか?」
「!勿論!」


洋子の手を取ってかけ出す冨樫。
踏んだ水溜まりが、はねた。

FIN


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