Lollipop candy
□あいのかたち
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不安。音也を突き動かしていたものは、ただそれだけだった。
自分ばかりが好きで好きで堪らなくて、けれどトキヤは? わからない。訊ねれば決して悪いようには答えないけれども、そうした言葉は音也を満足させてくれるものではなかった。
二人が『恋人』関係になって半年が経とうとしている。もう互いに通じ合い、わかり合っているはずなのに、いつまで経っても音也の心は片想いだった頃から抜け出せずにいた。
トキヤは本当に自分のことが好きなのだろうか。彼にとっての一番は自分だろうか。彼がいつか自分ではない誰かを選んでしまいやしないか。
そうして様々な妄想を抱いていくうちにいつしか疑心暗鬼になり、些細なことにも神経を逆立てるようになっていた。
そう、たとえば――半日前の出来事を思い出し、音也はため息を一つつく。
借りていた教科書を返そと、Sクラスの教室へ足を運んだ時のことだ。
教室の戸をがらりと開ける。中を見回せば難なくトキヤを見つけ出すことができた。ずっと恋い焦がれて目で追い続けていた相手だ、たかが40人程度を収容するだけの狭い教室で、探すのに苦労はしない。
その一方で、トキヤはこちらに気が付いていないようだった。
告白した時もそうだった。他のことに関しては妙に聡いくせに、音也の好意などまるで意識していなかった。同性なのだからそれは当然の反応なのかもしれないが、友情としては些か重すぎる気持ちを、もう少し認めてくれていてもいいのではないかとも思ったものだ。
トキヤはクラスメイトと話していた。
『トキヤ、ねぇ、トキヤってば』
声をかけても、依然としてトキヤは振り向かなかった。自分の知らない誰かと楽しそうに会話して、笑っている。滅多に見せない笑顔を振りまいている。
(俺のことは、見てくれない。気付いてすらくれない。俺は……こんなに好きなのに)
無視されたわけではない。ないがしろにされたわけでも決してない。しかしその時確かに、音也の中の何かが音を立てて崩壊した。
肩を叩いて自分の存在を知らせることもせず、ただ借りた教科書を彼の席に置き、教室を去った。そして放課後――寮に帰るなりトキヤを縛りあげ暴行した。
あれは本当に、暴力としかいいようのない行為だった。
どす黒い嫉妬に形を変えた不安。曝ぜてしまいそうなその激情のままに欲の限りをぶつけた。挙句の果てには、彼を試すような真似までした。
(俺じゃないやつに抱かれてる、って錯覚させるなんて)
馬鹿げたことだ。そんなことでトキヤの想いなど量れない。何の意味もありはしない。今ならそう考えられる。しかしほんの数十分前の自分にはまるで余裕がなかった。
否、今とて余裕があるわけではない。ただトキヤが気を失う寸前に放った言葉に戸惑い、その意味を考えることだけで精一杯だっただけのことだ。
(『そうさせたのは私』……か。トキヤは俺の身勝手が自分のせいだって思ってるのかな?…あんな、最低なことしたのに。それでも……)
暴走するだけして、罪悪感に情けなく泣いた自分を、トキヤはそっと慰めてくれた。ごめんなさい、と謝罪までしていた。悪いのはあなたではなく私だと、ともすればそんな都合の良い解釈をしてしまいそうな言葉を残して眠ってしまった。
仔猫のように小さく身体を丸めて横たわるトキヤの寝顔を見つめる。そこに滲む疲労の色に、自分の暴挙がどれだけ彼を消耗させたかを改めて思い知らされるようだった。
傲慢なことをいえば、先程の出来事の元凶はトキヤだった。音也を酷く不安定なものに変えたのは、トキヤという存在だ。彼への想いがあるから、音也の心はこんなにもぐらつく。
しかしだからといってトキヤに落ち度はないのだ。彼が自分の心を操っているわけではないのだし、逆もまたあり得ないことだ。
つまり、巡り巡ってやはり悪いのは自分だ、自分なのだ。その結論を導き出すのは容易なことだった。目に見えた事実なのだから。『恋人』という繋がりを免罪符にしたところで、あんな愚劣極まりない行いが許されるはずがないのだ。
それなのに。
音也は唇をぎゅっと噛みしめる。
(どうして俺を責めないの、怒らないの?どうして?)
強い疑問に揺り動かされるままに、トキヤの手をぎゅっと握る。汗ばんだ手のひらは熱く、その熱に先程の情事の名残を見出だして、申し訳なさと同時にぞくりと下半身が疼く。
自分は何と浅ましいのかと自己嫌悪を覚えつつも、思わず薄く開いた唇に手を伸ばしかけたところで、トキヤが瞼を震わせた。
「んっ……」
触れる寸前だった手を引き、ゆっくりと覚醒していくトキヤを見つめる。
長い睫毛が瞬き、その下から潤んだ瞳が現れる様は、はっとするほど美しかった。泣き腫らして赤らんだ目元も何だか艶めいていて悩ましい。
再び沸いた邪念を振り払うように深呼吸し、音也はようやく目を覚ました恋人に今一度向き合う。
「…トキヤ、あの……」
この胸の葛藤を、後悔と謝罪の念をどこからどう話せばうまく伝わるか。考えても答えは見つからない。気の利いた言葉も知らない。けれどわかってほしかった。言い訳や弁解ではなく、ありのままの気持ちを受け止めてほしかった。
「……ごめん。謝って済むようなことじゃないけど、でもやっぱり…酷いことして、ごめんなさい」
「…音也……」
いざ口にすると自分のしたことの罪深さが重くのし掛かり、トキヤの顔を直視できなかった。
「…なんて顔をしているんですか」
トキヤは掠れた声で優しささえ感じられるほど穏やかにそう言い、音也の手にそっと彼自身のそれを重ねる。
「私は怒ってもいなければ傷ついてもいない。だから顔を上げて私を見て」
「トキヤ……?」
彼の唇から滑り出たのは、耳を疑うような言葉。罪悪感に苛まれる自分を奈落から救ってくれる光に思われた。
「許して…くれるの?」
「許す、というより…そもそも謝らなければならないのは私だと」
「そんな、トキヤは…」
「…すみません、音也。あなたの気持ちに気付くことができなくて」
「俺の…気持ち?」
「苦しんでいたのでしょう?あなたが抱えるものに気付いてあげられなかった…恋人として、失格です」
自嘲気味に笑うと、重ねた手はそのままに、トキヤは指を絡めてきた。擦れ合う指先はやはり、熱かった。
「…教えてください。あなたが何を思っているか。私はどうにも鈍いようで…言葉にしてもらわなければ、わからないこともある。ですから……」
「…っ、トキヤぁ……」
嬉しかった。また泣いてしまいそうなほど胸が詰まって、息が苦しくなった。
トキヤはわかってくれていた。言葉を紡がねばわからないこともあるけれど、言葉にせずとも伝わることもあったのだ。
堪らなくなって、今度は優しく包み込むような微笑を浮かべた彼の首に抱きついた。
「トキヤ、俺、俺……」
吃り、言い淀み、たどたどしいながらにも、思いの丈を全て吐き出していく。一人で抱えていた不安も、悲しみも全て、余すところなくトキヤへぶつけた。彼はそっと背を撫でながら、心を晒す言葉へ静かに耳を傾けてくれていた。
「やはり…言わなければわからないことも、あるようですね」
「うん…そうだね」
「…私は、あなたが思う以上にあなたのことが好きです」
「そうなんだ……え?」
あまりにもさらりと言われたためについ聞き流しそうになったが――トキヤは今なんと言った?彼の顔が見たくて、密着させていた身体を離す。
「トキヤ、今……?」
「見えなくとも聞こえなくとも、触れる肌の感触であなただとわかる。それくらい、私はあなたのことが好きなのです」
「……!!」
「ですから、その……」
饒舌だったトキヤが、ほんのり頬を染め、恥ずかしそうに瞼を伏せた。長い睫毛が目尻に落とす影が色っぽい。その表情に見蕩れた。
「あなた以外のものになど…なりたくないのです」
「…トキヤっ!!」
「な、音也?!くるし…っ」
「嬉しい。嬉しくて死んじゃいそう!」
「…こ、このままではあなたより先に私が逝ってしまいますっ!」
華奢な身体を骨が軋むほど強く抱きしめると、トキヤは盛大に噎せ返りながら限界を訴えた。
「あ……ごめん」
腕の力は緩めたものの、抱擁は解かない。離れがたかったのは彼も同様なのか、もう文句は言わなかった。
「…ありがとう。こんな……どうしようもない俺のこと、好きになってくれて」
「そういうあなただからこそ、ですよ。あなたには……私がいなくては駄目でしょう?」
「うん……!」
互いの想いを確認するように、どちらからともなく唇を重ねた。かさついた彼の唇を潤すように、そして胸に溢れる愛しさを注ぎ込むように、何度も口づけを交わす。キスがこんなに甘かったのだと、生まれて初めて知った。
「っは…、トキヤ、好き、大好き」
「ん……私、も…です」
息を継ぐ間に囁き合う睦言、互いの呼吸や心音、濡れた唇が触れ合う音。
二人きりの部屋は、実に様々な、そして幸せな音に彩られていた。
(大切に…大切にしなきゃ)
トキヤの髪を掻き混ぜ、唇を吸いながら改めてそう思った。
一歩ずつ、覚束ない足取りでも、手探りでも構わない。それでも伝え合うことが何より大事なのだと、ようやく気付けたのだから。
(大切に、するんだ)
二人で見つけた愛の形を、これからもずっと。
Fin.
音トキで鬼畜からのハッピーエンドということで。
後半甘すぎたかしら、と思わなくもないのですが…(汗)
というか、鬼畜=とりあえず縛っとけ、という自分の貧弱な妄想力に涙が出ました。
リクにあった『尿道責め』の解釈もこれでいいのか…ブルブル。
最後に
弖虎さま、リクエストありがとうございました!
[2012/03/24]