Lollipop candy

□ねこのいる生活
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【ねこのいる生活 音トキ・音HAYA】

 一十木家には、二匹の可愛い猫がいる。

「音也くん、おかえりにゃー」
「音也、おかえりなさい」

 仕事を終えて帰宅した午後六時。玄関のドアを開ければ、同じ顔をした二匹の猫が主である音也を迎え入れてくれる。

「ただいま。ハヤト、トキヤ」

 ハヤトとトキヤ。双子の兄弟猫である彼らは、音也の大切な家族だった。深い藍色の髪と瞳、艶やかな黒の体毛に覆われた形の良い耳と尻尾がとびきり綺麗な猫だ。

「疲れたでしょう。ごはんできてますよ」

 向かって右に立っていた猫──トキヤが、慣れた手つきで音也の鞄を受け取りながらにこりと微笑む。彼は家事全般を得意とする、とても家庭的な猫なのだ。掃除や洗濯はもちろんのこと、毎日食事の用意までしてくれる。音也が仕事の間、家のことは皆トキヤに任せている。彼はさながらよくできた嫁だ。

「いつもありがと。今日のメニューはなに?」
「カレーです」
「ほんと? 嬉しいなあー。トキヤ大好き!」

 夕飯が好物のカレーだと知り、音也はつい舞い上がってトキヤを抱きしめる。するとそれを横で見ていたハヤトが不満げに頬を膨らませた。

「もう、トキヤばっかりずるいにゃー! ボクもボクも!!」

 ハヤトはとびきり甘えたがりな猫で、ことあるごとにスキンシップを取りたがる。成猫ながら言動にもまだあどけなさが残っており、それをトキヤにしばしば叱られていた。トキヤが嫁なら、ハヤトは甘えん坊の子供といったところだろう。

「あはは。そうだね。ハヤトも大好き。ふたりともだーいすき」

 音也は二匹の猫をまとめて腕の中に収めると、それぞれの髪にそっとキスを落とした。ハヤトは嬉しいと言って喉を鳴らし、トキヤは恥ずかしいと言って、けれどやはり喉を鳴らしていた。
 二匹分の温もりを感じながら、幸せとはこのことだ、と音也はしみじみ思った。
 ハヤトとトキヤが一十木家にやってきてから五年になる。彼らを家族に迎えたことで、音也の生活はがらりと変わった。
 彼らと音也が出会った五年前。あの日はそう──雨が降っていた。
 身も凍るような冷たい雨の中、道端に置かれたダンボールの中にふたりはいた。寒さと空腹で、彼らは震えていた。小さな身体から懸命に力を振り絞り、助けを求めて鳴いていた。
 その姿に心打たれ、音也は彼ら二匹を自宅へ連れ帰った。
 彼らと共に暮らすようになってからというものの、ふたりの存在に、音也の心は幾度となく救われてきた。まるで凍てつくような寒さの冬が春へと変わるように、冷え切っていた心が温かさに満ちた。誰かと共に過ごす喜びも、自分を待っていてくれる者がいる家に帰る幸せも、ふたりがいなければ知ることはなかっただろう。ふたりは音也にとって救世主であり、大切な家族だった。それどころかふたりは今や、生きている意味そのものとなっている。

「ん……音也くん、ちょっと苦しいにゃ」
「え? あ、ごめんごめん」

 ハヤトの指摘で、ふたりを抱きしめる腕に力が籠もりすぎていたことに気付く。音也は抱擁を解き、代わりにハヤトとトキヤの手を取り、指を絡めた。

「ふふっ、これで苦しくないね」
「うん!」
「……そうですね」

 一人と二匹は、仲良く手を繋いでリビングへと向かった。


 
 夕食と入浴を済ませた午後八時。
 音也はリビングでパソコンと向き合いつつ、じゃれ合うハヤトとトキヤの姿を眺めていた。

「ふみゃっ」

 ハヤトがトキヤの身体の上に馬乗りになり、わしゃわしゃと頭をかき回す。すると今度はトキヤがハヤトの手を掴み横に引き倒そうとする。しかしハヤトは頑として動かず、なかなかうまくいかない。

「にゃっ、ハヤト! 私の上からおりなさいっ」
「イヤにゃー。えい、トキヤにこちょこちょしちゃうにゃー」
「ふにゃぁっ!!」

 わき腹をくすぐられたトキヤが悲鳴のような声を上げる。助け舟を出そうかと思ったが、なんだかんだでトキヤも楽しそうだったので邪魔はしないでおいた。
 ハヤトとトキヤ──二匹はまったく正反対の性格ながら、とても仲の良い兄弟だ。
 明るく社交的で人懐こく、甘えたがりなハヤト。真面目で物静かで気難しいけれど、実は少し寂しがりなトキヤ。トキヤを静とするならハヤトは動、あるいは月に対して太陽と言えるだろう。
 そうした性格の違いゆえに言い争いをすることもあったが、それでもふたりの絆は強固だった。

「ねぇ、音也くん音也くん!」

 ぼんやりそんなことを考えていると、ハヤトが音也の肩を叩いた。

「あれ? もうふたりで遊ぶのは終わったの?」
「うん! だから今度は音也くんもいっしょに遊んでほしいにゃーっ」
「こらハヤト、音也はまだ仕事が……」

 遊びたいとねだるハヤトを、すかさずトキヤが窘める。
 確かに仕事はまだ少し残っている。けれど今日中に終わらせなければならないような緊急のものでもないので、音也はノートパソコンを閉じて立ち上がった。

「大丈夫だよ、トキヤ。別に急ぎの仕事じゃないし」
「でも……」
「わーい、音也くーん!!」

 遊べるとわかるや否や、ハヤトが勢いよく抱きついてくる。

「今日は何して遊ぶ? この前買ったおもちゃ試してみようか」
「うん! じゃあ持ってくるにゃ」

 ハヤトは音也の身体を離すと、リビングの隅にあるカラーボックスから箱を取り出した。その中には二匹の為に集めた猫用の玩具が入っているのだ。

「これだにゃー!」

 数々の玩具が雑多に入っている箱の中から、ハヤトはひときわ新しいものを手に取った。それはつい最近買ったばかりの猫じゃらしだ。棒に括られた紐の先に、小さなねずみの人形がついている。遊びすぎてぼろぼろになった先代に代わって新しく一十木家にやってきた猫じゃらしだった。

「よし、じゃあ……」

 音也はハヤトから猫じゃらしを受け取り、まずは床に沿ってゆっくり振る。ねずみの人形が左右に揺れ始めた途端──猫の本能なのだろう、それまでにこにこと笑っていたハヤトが真剣な表情に変わる。
 じっと、ハヤトの目が人形の動きを追う。尻尾の先端が小刻みに揺れていた。音也は少しずつねずみの動きを早く、不規則なものにしていく。

「にゃっ!!」

 狙いを定め、ハヤトがねずみに飛び掛った。しかしその手が人形を捕らえるすんでのところで、音也は猫じゃらしの棒を高く持ち上げる。

「うにゃーっ!」

 ハヤトは悔しそうに一声鳴くと、再び猫じゃらしを捕まえようと試みる。
 音也は捕まりそうで捕まらないぎりぎりの位置になるよう猫じゃらしを操り、ハヤトを翻弄した。

「うー、にゃーっ! ふにゃぁっ!!」
「ほらほら、そっちじゃないよ、こっちこっちー」
「にゃぁーっ!!」

 ハヤトはすっかり目の前の猫じゃらしに夢中だ。
 だがふとその時、この部屋にはもう一匹猫がいることを思い出す。

「トキヤ……?」

 部屋を見回すと、トキヤはソファの上に座っていた。そして寂しそうな目で音也とハヤトが遊ぶ光景を見つめている。尖った耳はだらりと垂れ下がり、後ろを向いていた。
 音也の仕事を邪魔してはいけないと思いつつ、彼も本音では一緒に遊んでほしかったのだろう。けれど照れ屋は彼は、ハヤトのようにそれを素直に言えないのだ。
 いじらしいトキヤが可愛くて、口元が緩む。おいで、とトキヤに手招きをする。

「…………」

 トキヤはしばらく躊躇っていたようだが、結局音也から目を逸らしてしまう。どうやらハヤトばかりを構っていたせいで、随分と機嫌を損ねてしまったらしい。
 音也は猫じゃらしでハヤトをあやしつつ、トキヤの座るソファへと移動した。彼の隣に腰掛け優しく頭を撫でれば、トキヤはふん、っと鼻を鳴らす。

「拗ねないでよ。トキヤもいっしょに遊ぼ?」
「いやですっ」
「ふーん。じゃあトキヤにはこうだっ」

 音也はトキヤの腰を抱き寄せ、彼の耳にかぷりと噛みついた。

「にゃぁっ!? な、なにするんですかっ!!」
「素直じゃないトキヤにおしおきー」
「なっ……そんな、やめっ、にゃあああああっ!!!!」

 歯は立てず唇だけで挟んだのだが、トキヤにはそれがかえってくすぐったいらしい。悲鳴のような声を上げて暴れる。

「トキヤ、音也くん、何してるにゃ?」

 ただならぬ様子のトキヤに気付いたハヤトが、玩具にじゃれるのをやめて首を傾げた。

「ハ、ハヤト! 助けてください!」
「音也くん、トキヤいじめちゃだめにゃー」
「違うよ。今ね、俺とトキヤはいちゃいちゃしてんの。ハヤトも混ざる?」
「そうなのかにゃ? それじゃあまざるにゃー!」
「にゃっ!? 何でそうなるんですかっ!!」

 助けを求めた言葉も虚しく、ハヤトは必死に抵抗するトキヤの腕を掴み動きを封じた。無防備になったトキヤへ、音也は更なる攻撃(という名の愛撫)を仕掛ける。片手で耳をふにふにと摘まみ、もう一方の手で尻尾をまさぐる。
細長くしなやかなそれを、根元から先端へ向かって指先で撫で上げた。

「ふみゃぁぁぁ……やめ、やめてくださいにゃあーーーっ」
「まだまだー! ハヤト、そっちの耳も!!」
「がってんだにゃ!」
「みゃっ!!!! ハヤト、やめなさい!」
「トーキヤー、俺もいるよー?」
「にゃああっ!! 音也もですぅっ」
 
 狭いソファの上で、一人と二匹がもつれ合う。部屋の中には大きな笑い声(と時々悲鳴)が響いている。こんな時、ふいに目頭が熱くなるのはきっと騒ぎすぎたせいだけではないのだろう。
 大切な大切なふたりのねこと過ごす時間。彼らがそばにいてくれる生活。何があっても、それらを手放したくはないと強く思う。
(──大好きだよ、ハヤト、トキヤ)
 もう、彼らなしでは生きられない。けれどそれくらい愛することができる相手がいる自分は、きっと世界一の幸せ者なのだろう。 




Fin.







[2013/03/03] 樹



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