Lollipop candy

□全開ダーリン
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「んだぁぁ!つ・か・れ・たー!!!!」

 楽屋に入るなり、来栖翔はそれまで我慢していた思いの丈を吐き出した。まだ局内とはいえ、楽屋の扉を閉めてしまえばひとまず他人の目や耳はない。一緒に戻った那月が隣にいるだけだ。
 履き慣れない靴を脱ぎ捨て、邪魔なリボンとウィッグも外して横に放る。プロデューサーやスタッフ、そして同じST★RISHのメンバーに至るまで様々な人から賞賛を浴びた衣装だったが、翔にすればそれは羞恥と不名誉の塊でしかない。

「取っちゃうんですか?せっかく可愛いのに」

 翔と共に他の面々よりひと足早く楽屋へ戻ってきた那月が、名残惜しそうに眉尻を下げる。可愛いものが大好き、そして翔のことはもっと大好きな那月は、その二つが見事にコラボレーションした今の状況をいたくお気に召していたのだ。
 いわゆる、女装。化粧をし長い髪のウィッグを付け、女性用にデザインされた衣服を身に付けるという、翔にとっては拷問でしかない企画。それはST★RISHがレギュラー出演しているバラエティ番組で、視聴者のリクエストを基に実現した。六人いるメンバーそれぞれに違う衣装が宛がわれていたのだが、翔の場合は圧倒的多数で女装の希望が多かったのである。

「収録終わったんだからいいだろ。プライベートでこんな恰好してたら、ただの変態じゃねぇか……」

 翔は深々とため息をついて、部屋の奥に設えられたスペースに腰かけた。そこは二畳ほどの狭い空間だったが、椅子を置いて座る他とは異なり床が少し高くなっていて、その上に畳が敷かれていた。

「あと可愛いって言うなよ。俺はれっきとした男だかんな」
「知ってますよ。だからこそ可愛いんです」
「はー、お前ってやっぱ、わかんねぇ……」

 那月のことは幼い頃から知っているが、やはりこういうところは未だに理解しがたい。天才肌故に感覚が人とズレているというか、所謂天然ボケというやつのか。だが、精神的疲労からいつものようにツッコミを入れることも億劫になり、翔は再び深く息を吐き出す。

「仕事だからしょうがねぇけど……何で俺だけ女装なんだろうな。他はみんなまともな衣装だったのに…」
「それはもちろん、似合うからですよー」
「いや、嬉しくねーし…」

 那月に悪気はない。わかっているが、やはり落ち込む。収録中にも似たような誉め言葉をさんざん浴びせられたが、そのせいで翔の男としてのプライドはズタズタに傷付いていた。
 確かに標準よりは幾らか低いが、学生の頃に比べればかなり背は伸びた。トレーニングも欠かさず行なってきたし、筋肉量もそれなりにある。華奢な体格を根本から変えることは出来ないにしろ、自分なりに必死で努力してきたつもりだ。
 だからこそ、『男らしい』域までは到達せずともせめて、『女の子のような』という形容からは卒業したかった。それなのに、だ。
 レースとフリルがふんだんにあしらわれたひらひらのワンピース、髪に巻いた大きなリボン、可愛らしい花の飾りのついたエナメルのパンプス――そんな、女の子が着ればさぞかし絵になるであろう衣装の数々を身に纏い、それでも違和感が無いだなんて。
 更に服や靴のサイズが妙に体に馴染んでいるのも癪に障った。

(アイドルだから……ファンの求めにはちゃんと応えなきゃいけねぇし。文句なんか言ってらんねぇって、わかってるけど)

 それでも男心は複雑で。

「視聴者のみなさんは絶対喜んでくれますよ、だから翔ちゃん、そんな顔しないで」

 唯一の慰めは、ファンが喜んでくれること。来栖翔は一人の男であると同時に、今をときめくアイドルなのだ。ファンの声援が、翔を支える糧になる。

「喜んでくれる、か…そうだといいな」

 番組がオンエアされた後の反響に期待しつつ、翔は衣装を脱ぐべく自分の背中に手を回した。ワンピースといえどこれは体にぴったりと密着するタイプのデザインで、どちらかといえば見た目は簡素なウェディングドレスに近い。着るにせよ脱ぐにせよ、ホックとファスナーは後ろ側にあった。

「う…ギリギリ届かねー。那月、手伝ってくんないか」
「いいですよー」

 那月に背を見せるように体の向きを変える。すぐに足音が近付き、肩甲骨の辺りに温かな指先が触れた。

「ここですね。今外しますから、翔ちゃん…手、どけて」
「あ、あぁ。悪い、サンキュ」

 言われた通り、翔は背中に回していた手を前に下ろす。自分の手があっては邪魔なのだろうと、特に深く考えもせずにそうしたのだが。

「那月?……うわっ!!」

 無防備な背中を晒した途端、ホックを外すどころか後ろからすっぽりと体を包まれる。思わず情けない声を上げてしまった。那月のハグには慣れているが、体格差があるだけにやはり振動や衝撃も大きいのだ。加えて、何となくだが激しく嫌な予感もしたため、腕の中に収められた体は強張る。

「な、那月ぃ?何して…」
「脱いじゃうなんて、勿体無いですよ。翔ちゃん」
「!!」

 猫なで声が耳元で囁く。それは那月の『スイッチ』が入ってしまった何よりの証であると、経験で知っている。血の気が引くのを感じた。人肌に触れているはずの背中がひやりとするようだ。

「お前、こんなとこでサカるなよ!楽屋だぞ!」

 ここにはまだテレビ局内で、いつ誰が来てもおかしくない。そもそもST★RISH六人に割り当てられた楽屋なのだ、じき他の四人も戻ってくるだろう。良識を働かせれば拒むのが当然で、しかし抵抗しようとすると更に強く抱き込まれてしまう。

「だーめ。逃がしませんよ」
「ばかっ、離せよ!」
「だめったらだーめ」

 長い腕は翔の体にぴったりと密着し、逃げ出すことは難しい。更には耳朶や首筋にかかる熱い息が、抵抗する力を奪っていくようだ。

「ふわぁ、っ……」

 うなじに唇を落とされ、声を上げてしまった自分が猛烈に悔しい。すると那月は腕の力を緩め、翔の初心な様子を楽しむかのようにゆっくりと腰回りを撫でる。

「やっ、那月……」

 ウエストを辿られただけだというのに、ぞくりと全身が粟立つ。それが嫌悪や拒絶の反応ならばまだ良かったのだが、

(くそ……何で…っ)

 認めたくはない、けれど体はこの感覚が何かをよく知っている。

「わぁ…下着も女の子なんだね、翔ちゃん」
「なっ……、バカっ、スカートめくんなっ!!」
「ふふ……可愛い」

 触れられて気持ち良いなどとうっかり思ってしまった自分自身へ後悔する間もなく、那月の魔の手はスカートの中にまで侵入してくる。翔を押さえ込む片腕はそのままに、もう一方で器用にガーターベルトを外した。押さえを失って吊られた靴下が落ちると、必然的に素足を晒す恰好になってしまう。

「大丈夫、怖くないから、ね?」

 閉じた膝をゆっくりと割り開かせながら、甘い声音で那月は言う。
 別に怖いわけじゃない、と言い返そうとすると、再び首にキスをされた。

「んぅっ……」
「ふふ…翔ちゃんって首弱いね」
「う、るさい…っ」
「可愛い。首も耳もイチゴさんみたいに真っ赤ですよ」
「ばか那月、いい加減に…て」
「今日はこのあとオフなんだから、何も心配することはないよぉ?」
「バッカ!!そういう問題じゃねぇ…!」

 いつ誰に見られるかわからない。それは自分可愛さで言っているのではなく、何より那月の名誉を心配してのことなのだと力説する。
 那月は大人しく翔の話に耳を傾け、暫しの間沈黙していた。そして、

「なら、しょうがないですね……」
「那月……!」

 やっと俺の心が通じたか、と――まるでペットへの『待て』のしつけが成功した飼い主のような心境で、翔は目を輝かせる。
 しかしそんな期待はあっさりと裏切られた。

「ちょっ、え?那月?」

 てっきり解放されるものだと思っていた翔は、自分の手首に何かが巻き付けられたのを見て呆気にとられた。
 それが那月のネクタイだと気付いたときには既に遅く、きつくはないが解けないよう結ばれ、しっかりと両手の自由を奪われてしまっていた。

「おい何だよこれ!」
「何って、ネクタイですよ」
「知ってるよ!そんなことを聞いてんじゃねぇぇっ!どういうつもりだ!」
「だって〜、翔ちゃんが可愛いから」
「はぁぁっ?意味わかんねぇよ!」

 翔は両手が塞がった代わりに自由になった体で、那月を振り返った。相変わらずわけのわからない那月の説明に頭痛を覚える。しかし本人は満面の笑みで呆れる翔を見つめ、無防備で無抵抗な姿をたっぷりと目で堪能している。

「さっき鍵はかけましたから、安心して。だから、暴れないでくださいね?」

 優しく、あくまで優しくそう言いながら、那月は再び翔へと迫った。畳の上を後ずさるものの、スカートの裾が邪魔で思うように動けない。
 結局逃亡は叶わず、那月の腕に捕らえられその大きな身体の下に組み敷かれてしまう。
 もはや逃げ道はないかと思われたその時。

『あれ?何か鍵かかってるよ』
『おかしいですね。先に翔と四ノ宮さんが戻っていたはずなのですが』

 ドアの向こうで人の声がする。楽屋へ戻ってきた音也とトキヤだ。

「……!!」

 驚きと、安堵のあまり翔は叫び声を上げそうになったが、すんでのところで那月の唇に口を塞がれる。

「んんっ……、んっ…!!」

 頭を振って逃れようとする翔に、有無を言わさぬ勢いで那月は口づけた。

『困りましたね。二人に連絡してみますか?』
『…一十木、一ノ瀬』
『その必要はないよ、二人共』
『レン!それに真斗も。何で?』
『シノミーとおチビちゃんなら……』

 レンの言葉はそこで途切れた。おそらく小声で話しているのだろう。続く会話の内容は聞こえない。
 しかし数秒後、

『…そうですか。本当に仕方のない人たちですね』

 呆れ返ったトキヤの声が聞こえたかと思うと、四人の足音が遠ざかっていく。

「お、おい、那月。まさかお前…」
「うん。レンくんに事情を話したら協力してくれましたよー」
「くそっ…あいつもグルなのかよ」

 暗闇に差した一条の光が、再び闇に消えていく。せっかく助けてくれると思ったメンバーが既に那月の手の内にあったことに、翔は心底落胆する。今度こそ、手段という手段が全て断たれてしまった。

「そういうわけで翔ちゃん、安心して僕に愛されてくださいね?」
「しかたねぇ…今日だけ、特別だかんな」

 足掻けるだけ足掻いて、しかし無駄だとわかったら潔く諦めることも重要。那月との長い付き合いで学んだことの一つだ。

「嬉しい。翔ちゃん大好き」

 ちゅっ、と音を立てて、那月が翔の額へキスを落とす。触れた唇は鼻へ頬へと移動し、再び翔のそれへと重なる。
 啄むような淡い口づけは、すぐに深い交わりに変わった。差し込まれた舌がいいように口内を舐め回す。頬の内側や上顎の裏をなぞると、翔の舌を根元からさらっていく。

「ふぅ……っは……」

 長く濃厚な口づけに、体が震える。僅かに挟まれた息継ぎの間に、密やかだがはしたない声が漏れてしまう。それが恥ずかしくて堪らない。顔に再び熱が集まるのがわかる。
 だがその時、不意にのし掛かるような重みが消えた。それが唐突かつ不自然なタイミングだったため、翔は閉じていた瞼を開けようとする。すると那月の手に阻まれた。

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