dream
□冗談で薄めた本音より
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だるくて熱くてしんどくって、重い。典型的な風邪の症状だ。朝体温測ったときは38度あった。今はもう少し高いかもしれない、分からない、分かっても楽になることはないのだからどうでもいい。体温計取りに行くの面倒くさい。
「あつい・・・」
寝たいのに熱くて寝られない。だからといって毛布を外せば今度は寒くて眠れない。睡眠に至るまでの道のりは思っていたよりずっと苦しくて寂しい。友人が風邪をひいたと電話してきたとき笑いながら寝てれば治るでしょだなんて軽く言ってた自分を殴ってやりたい。
もう、ほんと辛い。水飲みたい、誰かに他愛ない話でもしてほしい。あと今日の予定をことごとくキャンセルしてしまったという罪悪感もずっと付きまとって息苦しい。先ほどから机に放ったままの携帯電話に何度かメールや電話を知らせる音が耳に届いているから尚更。電源切ってやりたいけど、手を伸ばして届かない距離にあるものは全て遠い。
「遠藤さん・・・」
ぼうっとした頭で無意識に呼んだその名前にすらどきりとする。眠れない眠れないと思いながらもきっともうとっくに夢見心地だったのだろう。だから鍵を閉めたはずのドアが開いて遠藤さんが会いに来てくれて、その後汗で湿った私の額に唇を寄せてくれた、そんな幻想を見たんだろう。
「・・・何で、どうして」
ええ、夢だと思ったじゃないですか。それなのにどうして私をのぞき込む遠藤さんはこんなに立体的で、額にはひんやりとした感触があるのやら。
「やっと起きたか」
私と目が合うや否や遠藤さんはぷいとそっぽを向いて立ち上がる。側にいて欲しくて反射的に伸ばした手は空を切った。
「遠藤さん・・・」
掠れた声でも台所に向かうその背中にぶつかって足を止めさせることが出来た。遠藤さんはちらりとこちらを向いてちょっと待ってろとだけ言う。もう帰ってしまうという訳ではないようで安心した。
それから数回瞬きをして、小さく体を伸ばせば段々と目が覚めてくる。ようやく遠藤さんは夢じゃないのだと確信すると何はともあれ嬉しさがこみ上げてきて口元が緩んだ。寝たからなのか遠藤さんが来てくれたことで精神的に元気になったのかは分からないが少し体調がよくなった気がする。
が、起き上がったりはまだ億劫だったから、体の向きを変えるだけにして遠藤さんの背中を眺めていた。ずっと目を開いていたつもりだったのに一瞬目を閉じただけで数分時間が過ぎている不思議な現象を数度経た後、また本格的にとろとろと眠りに落ちようとしていたらふいに声をかけられ驚いてびくんと体が震えた。
「飯、出来たぞ・・・どうせお前今日何も食ってないんだろ?」
お椀を持ってまたこちらに戻ってくる遠藤さんを見て、お母さんみたいだなあなんてちらりと思ったのは口に出さない。今日仕事はお休みなのかなだとかどうしてわざわざ来てくれたんだろうとか野暮な質問も今は飲み込んでおいてただ素直に感謝して喜ぶことにした。
「・・・前から思ってましたけど、外見に似合わず料理お上手ですよね」
気合いを入れて起き上がってのぞき込んだお椀の中身は熱々のお粥。お米は昨日の余りで、具はきっと冷蔵庫の適当な野菜だ。
調理時間のことも考えると遠藤さんってほんと料理上手だな、と。
「ま、一人暮らし長えからな」
私にお椀を持たせたら次はさっとお水を汲んできてくれた。おいしそうとは思うのに全く感じない食欲。意識を逸らすように会話に逃げる。
「結婚とか、しないんですか?」
「誰がこんな先行き不安のヤクザの嫁になるっつーんだよ」
スプーンでぐるりとかき混ぜると、ほっかほかのお米のにおい。せっかくだから食べたいと思うのになかなか動こうとしない手。
「・・・私、とか」
数回円を描いた後言ってしまった言葉を振り返って今更ながら慌ててしまった。
「じょ、冗談です」
「だろうな。冗談言ってないでさっさと食っちまえ」
私とは対照的に遠藤さんは落ち着いている。それはそうか。ただの、冗談なんだから。スプーンを手放して渇いた喉に水だけを流し込む。
「食欲ないんですもん」
「食わねーと治るもんも治らないぞ。それ以上駄々こねるなら無理矢理口の中に突っ込むからな」
「・・・駄々こねてたら、食べさせてくれるんです?」
こんなこと言ってしまえるなんて、やっぱり体調不良で頭がぼんやりしてるんだなと強く思う。じっと見ていると遠藤さんはため息をついてスプーンに少量お粥を掬ってこちらに向けた。
「ほら、口開けろ」
まさか本当にやってくれるなんて。だけど気恥ずかしさを全く感じないほど麻痺して無いから結局首を横に振って断った。
「・・・やっぱり、自分で食べます。大丈夫です」
「うるせえ、せっかくわがまま聞いてやるって言ってんだ」
また熱上がったら遠藤さんのせいなんだから。恥ずかしいやら、甘やかされてるのがくすぐったいやらで涙が出そうになってしまう。それなのに遠藤さんは構わずに口先にスプーンを運んできてほら食えさあ食えと急かしてくるから根負けして口を開いた。どろりと薄味のお粥が舌に乗る。苦もなく飲み込めば柔いお米の数粒だけが口の中に残った。
「食えそうか?」
「・・・遠藤さんが食べさせてくれたら、全部」
どうせ本気に取ってもらえないなら好き勝手言いたいだけ言ってしまった方が得だって気付いたから遠慮しないことにした。遠藤さんはまたふうと息を吐いたけどその目の奥は優しげで、それに気付いてしまったら切ないくらい胸が苦しくなる。
「食べ終わって、お薬飲んで、そしたら私がちゃんと眠れるまで帰らないでいてくれますか?」
もうお椀の底が見える。食べられないと思ってたのが嘘みたいにすぐに無くなってしまったお粥。
「ちゃんと薬飲めたら考えてやる」
空いた手に薬を握らせてあやすように頭をぽんぽんと撫でる遠藤さんはやっぱり、親みたい。
「・・・粉薬嫌いです、けど」
袋を破いて一気に飲み込むけど予想通り失敗してしまって、苦い。でもほら飲みましたよ。じとりと遠藤さんを見たときにはその顔は間近で、いつの間にか冷えピタを取り去られた額にぶつかる遠藤さんの唇。
「お前がまた起きるまでいてやるから大人しく寝な?ん?」
どきどきして何も言えない私の手を包み込んで今度は唇を奪ってく遠藤さんはやっぱり大人の男のひとで、それを思えばほんのちょっぴり背筋が震える。それでも最終的には安心して眠りに落ちてしまうのは私の中にはっきりと恋慕の情があるからなのだろう。
夢の中に沈みながら微かに聞いた言葉はきっと私に聞かせるつもりのなかった遠藤さんの独り言だったんだろう。
「こんな間抜けな寝顔毎日見れるってんなら、冗談抜きで結婚するのも悪くないかもな」